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『すぎやまこういち』と『ドラゴンクエスト』との出会い

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『すぎやまこういち』と『ドラゴンクエスト』との出会い

ご訪問ありがとうございます。
今回は、音楽家『すぎやまこういち』と『ドラゴンクエスト』との出会いについてご紹介します。

 

『ドラゴンクエスト』の制作には、
ゲームデザインに『堀井雄二』さん
プログラム・開発には『中村光一』さん
モンスターデザインには、『鳥山明』と強力な人材が集結するんだ。

 

だけど、もうひとつ足りないものがある。

 

それが、『ドラゴンクエスト』の音楽なんだ。

 

『ドラゴンクエスト』の音楽に物足りなさを感じていた、プロヂューサーの千田さん

しかし、『ドラゴンクエスト』の制作に進んでいく・・・

そんな時、千田さんは、ある音楽家と偶然出会うことになる

 

それでは、『ドラゴンクエスト』制作者のインタビュー記事から、
『ドラゴンクエスト音楽』の誕生をみてゆこう。

 

『ドラゴンクエスト』プロデューサー千田さんのおもい

「時代のニューロンとの出会い ドラゴンクエストを解体する 千田幸信インタビュー」より

1985年の秋、ドラゴンクエストの開発がスタートする。

シナリオを含めた主要ななゲームデザインは堀井が担当し、プログラムその他の開発作業は中村が率いるチュンソフトが担当する。

 

さらに、堀井の友人であった週刊少年ジャンプの編集者、鳥嶋和彦を介して、当時人気絶頂のマンガ家であった鳥山明がモンスターデザインを手がけることになった。

世界一のゲームに向けて、最強の布陣は整った。

 

千田
千田

実は最初から、このゲームは絶対に当たると確信していました。ですから、主なスタッフを集めて宣言したんです。

私はこれから世界一のゲームを作ります」と。

その記録を残すために、写真を撮ったことがあります、スタッフ全員の。そのくらい、自信はありました

千田
千田

今から考えれば、あの当時どうしてそこまで宣言できたのか、正直に言うと思い出せないんです(笑)。

 

ただあの時点で、私どもが時代の流れというか、ファミコン業界の、ユーザーの流れというのを完全につかんでいたことは事実です

 

千田さんが考える、『ドラゴンクエスト』に足りないもの

滝田誠一郎『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡』 より

千田が開発スタッフを集めて写真を撮ったというエピソードは『ドラゴンクエストへの道』でも描かれている。

しかし、「世界一のゲームを作る」とスタッフに豪語したものの、千田の胸中では、一つだけ欠けているものがあった。

 

千田
千田

「ぼくは『ドラクエ』のプロジェクトをスタートさせるときに、みんなに『世界一のゲームを作るんだ』と宣言したんですよ。

 

シナリオライターもプログラマーもキャラクターのデザイナーも、みんなそれぞれの分野の第一人者が集まっているんですから、世界一のゲームが作れるはずだ、と。ただ、一つだけ足りないものがあったんです

 

音楽。

千田
千田

何とかしなければいけないなと思いつつプロジェクトを動かしていたんですが、本当に偶然にすぎやま先生と知り合うことができて、それで『すぎやま先生』に音楽をお願いすることにしたのです」

 

ゲームに音楽を

『ドラゴンクエスト』を制作していた、
1986年頃の『ファミコン』では
ゲーム制作者は、それほど『音楽』重要視していなかったんだ

 

プロデューサーの千田さんは、『エニックス』から発売されたゲームの
ユーザーが投稿してきた、アンケートをすべて読んでいたんだ。

 

そして、ユーザーのアンケートから、
ゲーム音楽が、ユーザーにとって大切なものであることを知ったんだ。

 

それで、
『ドラゴンクエスト』には音楽が足りないと
思っていたんだね。

 

そう、そしてある偶然から、有名音楽家の『すぎやまこういち』さんと出会いことになる。

 

音楽家『すぎやまこういち』さんとの出会い

「すぎやまこういちのゲーム漂流記 第20回 千田幸信」『The スーパーファミコン』1992年10月2日号 より

すぎやまこういちがドラゴンクエストの音楽を手がける事になった経緯は以下のとおり――

 

エニックスから発売されていたPCゲーム『森田の将棋』をすぎやまがプレイし、同梱されていたアンケートハガキに感想を記入して机の上に置いていたところ、すぎやまの妻がポストに投函し、エニックスの千田の目に触れることになった。

 

すぐさま千田はコンタクトをとってBGMの作曲を依頼しすぎやまは快諾する。
偶然が重なったことにより、ドラゴンクエストの名曲は出来上がった。

 

すぎやまこういち
すぎやまこういち

実際に直接のきっかけになったのは「森田の将棋」のアンケートハガキを書いたことだったんですけど、あれは千田さんが直接見つけてくださったんですか?

 

千田
千田

あれはいろいろありまして、私自身は私が見つけたんじゃないかと思っているんですけどね。

すぎやまこういち

社内で、実は私が見つけたっていう人がいたりなんかして。

千田
千田

そうなんですよ。まあ現状で記録が残っているのでは私が見つけたことになってるんですよね(笑)

 

すぎやまこういち

でも見つけてもらってよかったよなあ。

千田
千田

僕の目の前にアンケートがあったときは、前々からすぎやま先生は存じ上げておりましたので、何かのきっかけになればいいなと思いましてね。

手紙か何か書かせていただいたんですよね。

すぎやまこういち
すぎやまこういち

そうそう、それをいただいてすぐ僕が電話したんですよ。
で、僕が連絡したときにはもう具体的に音楽を依頼しようとおもってらっしゃってた?

old_phone

千田
千田

イメージ的にはありましたね。当時は「ドラゴンクエスト」のプロジェクトが進行してましたから。

手紙を出したときはイメージ的にあったんですけれども、そのあと直接先生とお会いしていろんな話を伺ったうえで、これは絶対にイケるという確信がありました。

おー、大音楽家『すぎやまこういち』さんの登場

『森田和郎の将棋』発売されたのが、1985年
そして、『ドラゴンクエスト』制作がはじまったのが、1985年11月
『ドラゴンクエスト』が完成したのが、4月の初旬だから。

 

千田プロデューサーが、『すぎやまこういち』さんに手紙を出して、直接会ったのは
1985年11月~1986年3月の頃だと思うだ。

 

『すぎやまこういち』さんの奥様が、アンケートを投稿しなかった
『ドラゴンクエストシリーズ』で、『すぎやまこういち』さんが音楽を手掛けることはなっかったってことですね。

 

アンケートの中から、大音楽家の『すぎやまこういち』を見つけて
手紙を書いた千田さんの行動力もすごいけどね。

 

千田プロデューサーが、『すぎやまこういち』と会った時、
『すぎやまこういち』さんが、ゲームマニアだったことがわかったんだ。

 

なにせ、アーケードゲームから家庭用ゲームまで、
すべてプレイしているんだ。
『ビデオゲーム』だけじゃなくて、カードゲームなどのアナログなゲームも
すべて遊び尽くしているんだ。

 

すごいゲームマニアだね。

それで、大音楽家だけど大のゲーム好きの『すぎやまこういち』さんなら

ゲームの音楽つくりに参加してくれるんじゃないかと

思ったんだね。

 

そうだね、大音楽家が『ゲーム音楽』を手掛けるなんて、
当時では、考えられないことだったからね。

 

ちなみに、『すぎやまこういち』さんがはじめて
エニックスのゲーム音楽を手掛けたのは

1986年4月に発売された『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』です。

 

しかし、『ドラゴンクエスト』制作陣には、
プロの音楽家を起用することに、猛反発する人たちがいたんだ。

開発スタッフの猛反発

「ドラゴンクエスト誕生25周年 産みの苦しみに悶絶した「製作者」の開発秘話」『週刊新潮』2012年1月5・12日号

だが、すんなりとは行かずに一悶着あったようだ。

すぎやまに依頼する前に、既に開発スタッフによってゲームのBGMはでき上がっており中村光一らチュンソフトの一同は、すぎやまの起用に対して猛反発する。

千田は彼らを説得し、すぎやまと実際に会って話をするように取り計らった。

すぎやまこういち
すぎやまこういち

ボクはゲーム好きでゲーム音楽にも興味を持っていた。

だから千田さんからの電話は渡りに舟だった。

“ゲーム音楽を作ってもらえませんか”と言われ、“やりましょう”と即答した。悩む時間は一切なし。本当に、間髪いれずに快諾した」

 

中村光一
中村光一

超有名な大先生ですよ。
そんな凄い人が、真面目にゲームの音楽なんて作ってくれるとは思えなかった。
チョロチョロって作って終わりにされると思った。

 

しかも、千田さんがすぎやま先生にお願いする、と言い出した時には、すでに僕らで音楽は作ってあった。だから猛抗議しました」

 

『すぎやまこういち』さん、中村光一との対面

『WiLL 2011年12月号増刊 すぎやまこういちワンダーランド』より

そして『すぎやま』は『千田』の付き添いのもと、調布市のワンルームマンションの一室にあった“大学生のサークル”のような会社、チュンソフトを訪れる。

すぎやまこういち
すぎやまこういち

千田さんから「こちらがチュンソフト社長の中村光一さんです」って紹介されている間、

周りで見ているスタッフはみんな、非常に不審な目つきで、じっとりと下から見上げるように睨んでいた(笑)

しかし、中村ら開発スタッフは不承不承ながらも話をしてみたところ、

すぎやまのゲームに対する造詣の深さを知り、徐々に心を許していく。

 

そして、スタッフに受け入れられたすぎやまは、DQのすべてのBGMを一週間で作曲するという凄まじい仕事ぶりを見せる。

 

メインテーマである「ドラゴンクエスト序曲」に至ってはわずか5分で作曲したらしい。

 

プロ音楽家とゲーム制作者との大きな壁

チュンソフト(中村チーム)の猛反発がすごいですね。

千田さんは、『ドラゴンクエスト』の音楽に
『すぎやまこういち』に担当してもらいたいことを
チュンソフトの中村さんに、相談していたんだ。

 

千田さんの予想通リ、中村さんは猛反発

中村さんにとっては、音楽担当のプログラマーが音楽を担当するもので
プロの音楽家が、ゲーム音楽などつくれるわけがないと思っていたんだ。

 

このころ、プロの音楽家とゲーム制作者との間には
大きな壁があった時代なんだ。

 

大きな壁?

そう、プロの音楽家からみれば、ゲーム音楽はプロが手掛ける価値のないものだと

そして、ゲーム制作者は、
プロの音楽家にゲームの楽しさはわからない
と思っていたんだ。

 

だから、この頃音楽家が『ゲーム音楽』を手掛けることなどありえなかったんだ。

 

中村さんからすれば、熱い思いを持ってゲームを作っているのだから
思いが同じにチームで、ゲーム音楽もつくりたいと思っていたんだろうね。

そうなんだ。

そこで、千田さんは、
それならチュンソフト(中村チーム)と『すぎやまこういち』を合わせてみようと考えたんだ。

 

『すぎやまこういち』さんは、ただの大音楽家ではないからね。

チュンソフト(中村チーム)が、『すぎやまこういち』と話をはじめると

雰囲気がかわってゆく、

 

あまりの『すぎやまこういち』さんのゲームマニアぶりに

チュンソフト(中村チーム)の『すぎやまこういち』さんに対する、
目が『敵意』から『尊敬の眼差し』に変わってゆく。

 

中村光一
中村光一

すげー、俺達よりも『ゲームマニア』だー。

『ゲームマニア』の年期がちがう。

先生よろしくお願いします。

 

ここに『ドラゴンクエスト・すぎやまこういち』が誕生するんだ。

 

『ドラゴンクエスト』と『すぎやまこういち』さんの出会いは、
すごい偶然の出会いだったんだね。

 

『ドラゴンクエスト』に『すぎやまこういち』さんを
引き合わせた、千田プロデューサーの存在も忘れてはいけない。

 

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