エニックス

中村光一インタビュー・『ドラゴンクエスト2』への道

エニックス

中村光一インタビュー・『ドラゴンクエスト2』への道

『ドラゴンクエスト2』は、やりたかったことの半分ぐらいしかできなかった。中村光一・堀井雄二対談

中村光一×堀井雄二『『ドラクエIII』の楽しみどころ』『虹色ディップスイッチ』アスキー,1990年 より
中村光一
中村光一

『ドラゴンクエスト2』は

結果としてはみなさんの好評を得ることができましたが、作ったぼくらの側からみれば、

 

やりたかったことの半分ぐらいしかできなかった、というかんじなんですよ。

 

というのは、たとえば『ドラゴンクエスト』なんかは自分自身でゲームをプレイしながら煮詰めていくことができたんだけど……。

 

堀井雄二
堀井雄二

『ドラゴンクエスト2』は時間がなかった、でしょ?

中村光一
中村光一

そう、とにかく『ドラゴンクエスト2』のときは忙しくってそれどころじゃなかった。

 

堀井さんから送られてくる仕様を見ながら、つぎからつぎへとパーッとプログラムしまくってました。

 

バグ出しも自分ではできない状態で、さあ、今日工場へもっていくぞ、というときにはじめて自分でやったんですよ

堀井雄二

どの辺が気に入らない点なんですか?

中村光一

まァ、船を手に入れるまではすごくいいかんじなんですけど、そのあとがどうもちょっと気に入らないな、と……。

堀井雄二

具体的に言うと、どのへん?

中村光一
中村光一

やっぱりモンスターたちのバランスという面でね、これは自分が目指しているものではないな、と感じました。

堀井雄二

とにかく『ドラゴンクエスト2』は時間がなかったんだよね。

中村光一

そう、堀井さん自身もそれまで全体を通してゲームをしてなかった

堀井雄二
堀井雄二

シナリオを書きつつバランス取りをしていたからとっても忙しかった。

 

やっぱり船を取るまでは何回もやっていたんだけど、それから先は、もう時間がぜんぜんないってことでロンダルキアに。
中ヌキでやっちゃったわけ。

 

中村光一
中村光一

堀井さんとぼくだけじゃなく、

 

『ドラゴンクエスト2』を工場へ持っていった時点で、

驚くべきことに開発スタッフの誰ひとりとして、

このゲームを最初から最後まで、通してプレイした人がいなかった

 

この恐るべき事実! そんな調子でよくゲームが動いたな、というかんじでした。

コメント

ここで『ドラゴンクエスト2』の凶悪モンスターを紹介します。

ゴーゴンヘッドのスクルトの応酬

ゴーゴンヘッド

 

パペットマンの不思議な踊りで凄まじくMPが吸い取られる

パペットマン

キラータイガーの集中攻撃で瞬殺される

キラータイガー

デビルロードのメガンテの恐怖

デビルロード

『ドラゴンクエスト2』では、プレイヤーを苦しめた場面が沢山ありましたよね。

余裕のなかったドラクエ2の制作:すぎやまこういち×中村光一対談

『すぎやまこういち×中村光一 制作チームも“冒険”してきました』WiLL 2011年12月号増刊 すぎやまこういちワンダーランド より
中村光一
中村光一

『ドラゴンクエスト』の時は時間に少しゆとりがあったので、最後にしっかりバランスをとるための時間があったんです。

 

だから、ゲームとしてのバランスが整っているのですが、大変だったのが『ドラゴンクエスト2』。

 

私も堀井さんも時間の余裕が全くなくて、

実は完成版のマスターロムを任天堂に入れた時点で、

誰一人、最初から最後まで『通し』でゲームをやっていなかったんです

すぎやまこういち
すぎやまこういち

えーっ、そうだったんですか!?

中村光一

考えられませんよね(笑)。

船を手に入れてアレフガルドに渡るあたりまでは・・・・

中村光一
中村光一

さすがに

『この地域はこれくらいのレベルで、

このくらいの武器があればいいだろう』

 

と部分部分ではバランスが取れていると思うんです。

 

だから、

船を手に入れてアレフガルドに渡るあたりまではきれいにバランスが取れているんですが、

 

海の向こうへ渡った途端

 

『なんじゃこりゃ!!!』

 

という状況でして(笑)。

すぎやまこういち
すぎやまこういち

そうだよ。僕も行った途端に、瞬殺(笑)。

時間に追われ続けた、『ドラゴンクエスト2』

『ドラゴンクエスト2 制作スタッフ座談会』『ファミコン神拳奥義大全書特別編 キム皇の110番』ホーム社,1987年 より

『ドラゴンクエスト2』制作スタッフ座談会に参加していたのは、

 

シナリオ担当の堀井雄二さん、

CGデザイナーを担当した、

安野隆志さん、

そしてシナリオアシスタント担当だった、宮岡寛です。

今回、特に気をつけた点や、苦労したところなんか、ありました?

堀井雄二
堀井雄二

なにせ時間に追われちゃってねー。

7か月ぐらいで作ったもんだから、みんな体がボロボロ。
胃に穴があいちゃう人がいるし。

社員
安野

最後のころなんか、チュンソフトの床で、エニックスの千田さん、ころがって寝てるし……

任天堂上村さん
宮岡

徹夜で打ち合わせして、昼間少しカプセルホテルで眠るんです。
で、2時間ぐらいすると、千田さんが起こしにくるの。

 

宮岡さーん、お願いしますよー。』って、くらーい声で。(笑)

 

逃げ出したくなってしまった『ドラクエ2』の開発:中村光一

『中村光一インタビュー』『ゲーム・マエストロVol.2』 毎日コミュニケーションズ,2000年 より
中村光一
中村光一

『ドラゴンクエスト』はそれほどでもなかったんですよ。

最終的にじわじわと売れて、それなりの本数になりましたけど、思ったより火がつかなかった。

 

でも、ファミコンでは技術的に3人のキャラクターが表示できるというのがわかっていたんで、

『ドラゴンクエスト2』は主人公を3人にしようと考えていました。

 

ところが『ドラゴンクエスト2』の制作は別のところで大変でした。

『ドラゴンクエスト2』は、発売日が延期されたんですよね。

中村光一
中村光一

開発にものすごく時間がかかってしまったんです。

 

あれは今思い出しても嫌な気持ちになりますよ。
本当につらかった。

プログラムを壊しながら動いている

中村光一
中村光一

メインプログラムなどの人数を増やして4人で分担して仕事をしていたんです。
僕はメインを作って、戦闘部分を人に任せていたんです。

 

ところがどうもプログラムの様子がおかしい
中を見てみると、ひとりのプログラムがほかの人のプログラムを壊しながら動いているんです

 

それが発覚するたびにやり直して、もうメチャクチャ。
人間関係もどんどん悪くなるし、本当に逃げ出したくなってしまった。

 

しかたがないので、エニックスに何度もお願いして発売日を延ばしてもらったんですけど、最後はほとんど調整できなくて終わってしまった

 

今でも夢に見ます

中村光一
中村光一

じつは『ドラゴンクエスト2』は僕の仕事の中で不満が残っている一本なんです。

あの難しさが逆にマニアの心をつかんだというところもありますよ。

 

僕としては、あんな感じにするつもりはなかったんですけどね。
この間も、『ドラゴンクエスト2』を作っている時の夢を見ましたよ。
つらかった。

 

僕にとってはトラウマなんです、『ドラクエ2』は 中村光一

※中村光一の2003年頃のインタビュー記事。
サイト『日本ゲームスタッフリスト協会』より

初回注文も一旦取り消しに

中村光一
中村光一

当時『ゲゲゲの鬼太郎』が1メガソフトで登場して、

『ドラゴンクエスト』も初めて1メガロムになったんですが、プログラマーを初めて3-4人に分けて作ったんですね。

 

これが凄い混乱を招いて、スタッフも険悪な雰囲気の中で作り上げたんですけど、プレイしてみたらもの凄くバランスが悪くて

 

あまりにも酷いから、どうしても1ヶ月発売を延ばしてもらったら

80万本くらいあった初回注文も一旦取り消しになって、

40万本くらいに減っちゃって。

中村光一
中村光一

プログラムの修正、他のスタッフのバグ取りとか全部やりつつ、

最後に自分のやらなきゃいけないことが山ほどあって…

 

最後の1週間は1人で4台のパソコンを使って、死ぬ思いで作り上げたんですよ

 

最終的には7人くらいで約半年で作ったんですが、

僕にとって『ドラゴンクエスト2』の曲は今聴いても鳥肌が立つんですよね。

凄いトラウマで、悪い意味でなんですけど(笑)

共同開発の大変さを知った『ドラクエ2』中村光一

『すべては『ドアドア』から始まった――チュンソフト30周年のすべてを中村光一氏と振り返るロングインタビュー【前編】』ファミ通.com 2014年6月8日 より
中村光一
中村光一

事前にいただいた質問状で、

 

“チュンソフト30周年でもっとも苦しかったことは?”

というのがありますが、振り返っていちばん辛かったと感じるのは、

『ドラゴンクエスト2』を作っているときなんです(笑)。

 

『ドラゴンクエスト2』のときに、初めて本体のプログラムを3~4人で分担して作ったんですね。

 

僕にとっては、共同でプログラムを作るということ自体が初めてで、

本当は最初に決めなくてはいけないことも決めずに、

意思の疎通もしないでスタートしてしまったので、

 

いろいろなトラブルが発生しまして……。

 

中村光一
中村光一

途中まで動いているんだけど、突然おかしくなったりして、だけど、誰のプログラムが悪いのかわからない。

 

みんな、完全なプロではなく、半分学生のような人たちだったので、『お前のせいだ!』と言い合って険悪な雰囲気になったりして。

 

当時の僕の仕事は、デバッグよりも仲裁がメインでしたね(苦笑)。

 

大作ゲームの短期間開発の難しさ 中村光一

『とにかく無類のゲーム好き 自立した『ドラクエ』作者 中村光一』『週刊ダイヤモンド』1998年2月7日号 より
中村光一
中村光一

それまでのゲームは、優秀なプログラマーが一人いればできた

 

だが、『ドラゴンクエスト2』は『ドラゴンクエスト』より大作にし、

しかも短期間で作るためにと、

スタッフの数を増やし作業範囲を明確に分担しながら進めることにしたのだ。

 

いまでこそチームによるゲーム作りは常識だが、

当時はだれもそんなノウハウは持ちあわせていない

 

中村光一
中村光一

それぞれが好き勝手に作業を進めたため、

トラブルの続出で開発現場は大混乱

 

人間関係までギクシャクするなか、

大学の卒業を迎えた創業メンバーの二人が一般企業への就職を決め、

チュンソフトから去っていった。

 

スタッフは辞め、トラブル続きで発売日は遅れ……

 

その結果受注数も当初の半分に減った

このときばかりは会社を畳もうと考えました

中村光一
中村光一

やっと完成したものの、

時間がなくてチェックが行き届かなかったせいか、

必要以上にむずかしいものになってしまった。

 

『ゲームの出来に幻滅して、このときばかりは会社を畳もうと考えた

 

ところが、いざ発売してみると、240万本という前作をしのぐ売れ行きだった。

 

『どうしても先に進めない。ヒントを教えて』といった会話が、学校や職場で交わされるようになった。

中村が心配した『むずかしさ』が功を奏したのである。

 

タイトルとURLをコピーしました