『ファミリーコンピューター(ファミコン)』は、こうして名付けられた

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今回は、『ファミリーコンピューター』(通称:ファミコン)は、こうして名付けられたをご紹介します。
『ファミリーコンピューター』は、任天堂が1983年に発売し、全世界で6000万台発売された大ヒット家庭用ゲーム機だよ。

『ファミリーコンピューター(以下:ファミコン)』が、どのように名付けられたのかは、断片的な資料しかなくてなかなかよくわからなかったんだよ。

『ファミコン』の生みの親である上村雅之さんの奥さんが名付けたとか。
『ファミコン』の開発コードネームが、『ガメコム』だったとか。

そう、『ファミコン』開発時には、なんと呼ばれていいて、
いつごろ、『ファミリーコンピューター』という名前をだれが思いついて、誰が決定したのか?
はっきりとは、わからなかったんだ。

『ファミコン』は、1981年11月に任天堂の山内社長の『鶴の一声』ではじまり。
1983年7月に発売されるんだ。

ということは、『ファミリーコンピューター』と名付けられたのは、1981年11月~83年7月のどこかってことですね。

そうだね。
と言うことで、『ファミコン』の生みの親である上村雅之さんのインタビューを中心に
『ファミリーコンピューター』が、どのように名付けられたのか を解き明かしてゆこう。

まずは、
日経トレンディの『第8回:ファミコン誕生、家庭用ゲーム機の代名詞に』の記事から紹介します。
ファミリーコンピュータと名付ける

こうして1983年春には、本体の外観やコントローラ、ROMカセットなど、製品の全体像がはっきりしてくる。
ガメコム(GAMECOM)という開発コード名で呼ばれたゲーム機に『ファミリーコンピュータ』という名が付けられたのはこのころである。
名付け親は上村の妻だった。1983年4月ころ、上村は家庭で『ガメコム』の話題を出した。
そのとき上村の妻が次のように言った。

「ホーム・コンピュータでもパーソナル・コンピュータでもない家庭用コンピュータなら、『ファミリーコンピュータ』かもしれない。
しかも、パーソナル・コンピュータを略してパソコンというのだから『ファミコン』という愛称がいい」。

この一言がきっかけになった。製品化までには他にもいくつか名称の候補は上がったが、製品の性格をよく表しているということで『ファミリーコンピュータ』が生き残った。
ただし、社長の山内溥はファミコンという略称のほうは気に入らなかったという。
「ゲーム・センタを略してゲーセンと呼ぶ感覚が好きではなかったようだ」(上村)。
ファミコンという略称の商標権は、のちにシャープが取得した。

さすが『日経』文章は、かたいですね。
この記事によると、1983年春頃には『ガメコム(GAMECOM)』という開発コード名で呼ばれたということですか。

そうだね、『GAME』『COMPUTER』をあわせて『ガメコム(GAMECOM)』

ガメラですか。

・・・・・・・
『ファミコン』の名付け親は、上村さんの奥さん?

この記事によると、『ファミコン』の名付け親は、上村さんの奥さんということですかねー。
そして、いくつか名称の候補は上がったけど、最終的に『ファミリーコンピューター』に決まった。
よいうことですかね。

そうだね、最初はそう思っていたんだけど
申し少し、詳しい証言がほしいんだよね。

ということで、更に調査をしてみました。
そして、見つけたのが『上村雅之さん 大いに語る。 ファミリーコンピュータ インタビュー』なんです。
それでは、上村雅之さんのインタビューをみてみよう。
『ファミリーコンピュータ』の名前について 上村雅之インタビュー

名前についてはいっぱい変わりました。

最初はなんと呼んでたんですか?

最初は「テレビゲーム」です。

あはは。そのものですね(笑)。

あとは「ゲームコンピュータ」の略の「GAMECOM」を「ガメコム」と発音したりと、みんなが勝手に呼んでいて、そのときのノートを見ると、みんな違うことを書いてるんです。

(笑)

で、最後に商品の管理上、品番を決めないといけないことになって、「ホームビデオコンピュータ」を略して「HVC」にしました。
そのようにたくさんの紆余曲折を経て、「ファミリーコンピュータ」に決まったのは、本当に最後の最後でしたね。

ファミリーコンピュータに決まったのは、奥さんのご提案だった、という話もありますが。

それは違います。
家内とはいまでもけっこう理屈っぽい話をするんですが、当時も
「テレビゲームをつくっていて、名前に困ってるんやけど、ホームコンピュータでもないし、パーソナルコンピュータでもないし、僕は『ファミリーコンピュータ』かなあと思うんや」と言うたら、
彼女が「ファミコンやね」と言ったんです。

なるほど。

それで、『ファミコン』で提案してみたら、社長から「なんや、これ?」と聞かれたので、『これは『ファミリーコンピュータ』の略称で、パソコンとかもあるし、ファミコンでどうでしょう?」と言ったら、即座に「却下!」と(笑)。

あははは(笑)。

で、全部が却下されたのかと思ったら、「ファミリーコンピュータで行こう」という話が伝わってきて、「なんや、あのとき気に入ってたんや」と思いました(笑)。

そもそも「ファミコン」は、シャープさんが商標をとってたんですよね。

そうなんです。しかも電子レンジで「ファミコン」。

電子レンジですか。

あれにはビックリしました。けど、のちに任天堂が買い受けることになるんですけどね。
『ファミコン』の開発名は『テレビゲーム』「ガメコム」?

最初は、『テレビゲーム』ですか、「GAMECOM(ガメコム)」とかいよいよ呼び名があったんですね。
でも、特に特定の名前がなかったようですね。

そうだね。
そして、開発の終わり頃に、『ファミコン』の品番を決めたんだね。

「ホームビデオコンピュータ」を略して「HVC」ですか。

ちなみに、『ファミコン』には、品番「HVC」が付けられています。
ファミリーコンピュータ本体が『HVC-001』で、
周辺機器のACアダプタが『HVC-002』
RFスイッチが『HVC-003』などなど
『ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)』の名付け親は、上村家

上村雅之さんが、

ホームコンピュータでもないし、パーソナルコンピュータでもないし、僕は『ファミリーコンピュータ』かなあと思うんや。

と言うと。

奥さんが、

「ファミコンやね」

とつこんだ。
感じだね

上村さんの夫婦の会話から生まれたって言うことですかね。
任天堂の山内社長『ファミコン』を却下

それから、任天堂の山内社長に『ファミリーコンピューター(通称:ファミコン)』で提案してみたら。

『却下!』

その後、任天堂の山内社長は考えたんだろうね。

うーん、『ファミリーコンピューター』
・・・・・・・・
いいかも。
結論

これで、いつごろ、『ファミリーコンピューター』という名前をだれが思いついて、誰が決定したのか?
がわかりましたね。

そうだね。
『ファミリーコンピューター』の名付け親は、上村雅之さん
そして、『ファミコン』開発の最後の頃(たぶん1983年春ごろ)に、
山内社長が最終決定を行った。

今回は、ここまで。
次回は、
トラブル続きの『ファミコン』発売 ?『ファミコン』誕生物語
をご紹介します。


ご閲覧ありがとうございました。
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