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領主からの様々な掟・禁令・法令などを通達する道具「高札(こうさつ)」についてのご紹介|古民家を訪ねる旅

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領主からの様々な掟・禁令・法令などを通達する道具「高札(こうさつ)」についてのご紹介|古民家を訪ねる旅

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今回は、領主からの様々な掟・禁令・法令などを通達する道具「高札(こうさつ)」についてご紹介します。

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高札(こうさつ)とは

高札とは、横に長い板に、掟(おきて)「禁令」「法令」などが墨で大きく書かれ、町村の十字路・橋のたもとなどに立てられたものです。領主からの様々な通達は、本来、紙に書かれた文書の形でなされていました。
高札とは、横に長い板に、掟(おきて)「禁令」「法令」などが墨で大きく書かれ、町村の十字路・橋のたもとなどに立てられたものです。領主からの様々な通達は、本来、紙に書かれた文書の形でなされていました。
しかし、これらの一部を特に木札に記して一般に知らせることも、中世頃から行われるようになりました。そして江戸時代に入ってからは、この高札の方法が大変盛んに用いられたのです。

高札の目的

高札は、庶民に対し禁令法令などをすばやく広めること、また常に掲示しておくことで、これらに慣れ親しませることを目的としていました。そのため誰にでもわかりやすいよう、箇条書きの簡単な文章で書かれており、さらに、文字の読めない者には町村役人が読み聞かせたりもしました。
高札は、庶民に対し禁令法令などをすばやく広めること、また常に掲示しておくことで、これらに慣れ親しませることを目的としていました。そのため誰にでもわかりやすいよう、箇条書きの簡単な文章で書かれており、さらに、文字の読めない者には町村役人が読み聞かせたりもしました。
当時の支配者の権威を象徴する役割もあった「高札」
またこれらの高札が掲示された場所は高札場(こうさつば)といわれました。高札場の回りには柵が巡らされたり石垣が築かれたりして、みだりに触れる者のないよう厳しく管理されていました。このように高札は支配者の権威を象徴するものでもあったのです。

なお、高札は「制札(せいさつ)」「辻札(つじふだ)」などともいわれました。

世田谷領の代官「大場弥十郎」の高札
世田谷領内の高札・高札場について>世田谷区内には、現在まで残っている高札場はありません。しかし寛政天保年間(1789〜1843)頃、彦根藩の世田谷領20ヵ村の代官であった大場弥十郎が、領内の高札・高札場について記録を残しています。
世田谷領内の高札・高札場について>世田谷区内には、現在まで残っている高札場はありません。しかし寛政天保年間(1789〜1843)頃、彦根藩の世田谷領20ヵ村の代官であった大場弥十郎が、領内の高札・高札場について記録を残しています。
高札の内容

それによると、弥十郎が住んでいた代官屋敷の前には8枚の高札が掲示され「大制札場(たいせいさつば)」と呼ばれていました(世田谷領内では制札ということが多かったようです)。これらの内容は次のとおりです。

【1枚目】「忠孝札(ちゅうこうふだ)」=親子兄弟夫婦は仲良くし、仕事に励み、嘘いつわりをしないこと。博奕(ばくち)人身売買の禁止。
【2枚目】「駄賃札(だちんふだ)」=伝馬八足の駄賃の取り決め。 【3枚目】「毒薬札」=毒薬・にせ薬種の売買の禁止。
【4枚目】「火付札」=火事場の心得、放火者の処罰。
【5枚目】「キリシタン札」=キリスト教の禁止、信者の密告を奨励。

以上5枚の高札は正徳元年(1711)に作成されたもので、庶民の生活に関して幕府が定めた最も基本的な事項でした。これらの法令自体は、江戸時代初期からひき続き出されていました。

【1枚目】「忠孝札(ちゅうこうふだ)」=親子兄弟夫婦は仲良くし、仕事に励み、嘘いつわりをしないこと。博奕(ばくち)人身売買の禁止。

残る3枚のうち、次の2枚は享保6年(1721)に出されたものです。
【6枚目】「鉄砲留札(てっぽうとめふだ)」=村内で鉄砲を撃つこと、また将軍家の狩猟場で鳥を捕ることの禁止。
【7枚目】「驚番札(たかばふだ)」=鷹場の番人を廃止したので、御鷹場で鳥を捕る者のないよう村人一同が気をつけること。
あとの1枚は明和7年(1770)に出されています。
【8枚目】「徒党札(ととうふだ)」=農民が集団を組んで領主に反抗することの禁止、そのような者がいた場合の密告を奨励(これは次大夫堀民家園内に復元した高札場に掲示してあります)。
以上の8枚が世田谷村の代官屋敷の前に掲示されていた高札でした。世田谷村以外の19ヵ村でも、村ごとに高札場が1ヶ所ずつありました。これらは「大制札場」より規模が小さく、「鉄砲留札」と「鷹番札」の2枚のみ、掲示されていました。

高札場の形式

領内の高札場については、寸法や建て方の形式が統一されていました。それによると木材はすべて杉とし、屋根も杉板で葺かれていました。ただし棚の土台だけは、堅くて頑丈な木材である栗が使われました。
領内の高札場については、寸法や建て方の形式が統一されていました。それによると木材はすべて杉とし、屋根も杉板で葺かれていました。ただし棚の土台だけは、堅くて頑丈な木材である栗が使われました。
高札場全体の高さは8尺5寸(約2.5m)、広さは6尺5寸(約2m)×4尺5寸(約1.4m)で、これに4尺(約1.2m)高さまで柵が巡らされていました。

しかし、実際には各村とも、この寸法を厳密に守っていたわけではなかったようです。

立派な造りの代官屋敷前「大制札場」
また代官屋敷前の、領内の中心的存在であった大制札場に限っては、特に高さ3尺(約90cm)の石壇が築かれ、立派な造りになっていました。

なお領内の高札は、地面に突き立てる方式ではなく、家屋両脇の柱に渡した横木に、鉄金具で留め掛ける方法でした。

なお領内の高札は、地面に突き立てる方式ではなく、家屋両脇の柱に渡した横木に、鉄金具で留め掛ける方法でした。

高札・高札場の修復

寛政12年(1800)、従来の高札場やそこに掲げられていた高札の修復が行われています。この時の記録によると、古びて文字が薄れたり、破損あるいは朽ちてしまった高札は、代官所が村々から回収します。
そして桜田にあった彦根藩の上屋敷に届けられました。そこでは、御普請作事方という係が、制札の表面を削って書き改めたり、または全く新しく造り直したりして、仕上がると代官所へ戻されました。
代官所は、各村の「名主」「年寄」へ、印鑑持参の上、人足一人を連れて自分の村の高札を受け取りに来るよう伝えています。村々ではこれを高札場に掛け置き、常日頃、気をつけ、粗末のないよう大切に取り扱われました。
材料や経費は上屋敷が支給
また村々の高札場を修築する場合は、代官所があらかじめ費用の内訳をかいた帳面を作成し、上屋敷に届けました。原則としては、材料や経費は上屋敷から支給されていたようです。

実際の工事は入札によって村人の中から請負人を定め、その者が一切を任されました。

「御普請作事方役人の検分」と「代金の支払い」
修築が終了すると、御普請作事方(ごふしんさくじがた)の役人が、当初の計画と違わず、きちんと工事が行われたかどうか村々に検分に来ます。そしてその際に、請負人に代金が支払われたようです。

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