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江戸時代末期・百姓代の古民家「旧長崎家住宅主屋(世田谷区立岡本公園民家園内)」のご紹介|古民家を訪ねる旅

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江戸時代末期・百姓代の古民家「旧長崎家住宅主屋(世田谷区立岡本公園民家園内)」のご紹介|古民家を訪ねる旅

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今回は、江戸時代末期・百姓代の古民家「旧長崎家住宅主屋(世田谷区立岡本公園民家園内)」についてご紹介します。

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普請と建築儀礼 普請(大工|鳶職人)|建築儀礼(地鎮祭|釿始め|上棟式|棟梁送り)
▽世田谷民家園(旧長崎家|旧加藤家|旧城田家|秋山家土蔵|旧谷岡家表門|旧安藤家)
茅葺き屋根(|維持/修繕)
部位(|大黒柱|長押|)
建築・古民家関連用語
■民俗学
民具(民具とは|鍛冶道具|)
信仰(家に祀られる神々(荒神・納戸神|恵比寿講|)
家の外で祀られる神々(屋敷神/お稲荷さま|)
節句(正月|十五夜/十三夜)
【関連】
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江戸時代末期・百姓代の古民家「旧長崎家住宅主屋(世田谷区立岡本公園民家園内)」のご紹介

旧長崎家住宅主屋(区指定有形文化財第1号)
文化財指定年月日 昭和52年8月9日
旧所在地 世田谷区瀬田2-9
復元場所 区立岡本公園民家園内
復元完了 昭和55年3月竣工
規模 桁 6.5間(11.82m)
梁行 4.5間(7.27m)
総高 8.29m
延床面積 29.9坪(99.0m2)
旧長崎家住宅主屋があった世田谷区瀬田の地は、区の南に位置し、多摩川によってできた河岸段丘である国分寺崖線上の台地にあります。崖線南縁には、江戸時代の初めに開削された六郷用水(次大夫堀)が流れており、以前は多摩川河川敷に広がる田畑を潤していました。
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江戸時代のこの地は、現在の玉川の町とをあわせて「‵瀬田村」と称し、彦根藩世田谷領(井伊領)20ヵ村の中の1村でした。人口、村高、ともに代官屋敷のあった世田谷村に次ぐ大きな村でした。

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長崎家の家歴

長崎家の家歴については、当家の菩提寺である行善寺の墓碑や、同家に所蔵されていた過去帳(天保10年(1839)に書き改められたもの)によると、元禄13年(1700)に没した「孫兵衛嘉則」を初代とし、現在の当主・滋さんで12代目になります。
長崎本家から分家し、独立した4代目「初代 孫兵衛嘉則」
この初代「孫兵衛嘉則」は、長崎本家3代目「嘉国」の次男として生まれ、兄「嘉久」が同4代目を継いだ際に長崎本家より分家し、独立したことがわかります。
後北条氏の家臣から土着し「名主」を務める「長崎家」

長崎家は、先祖代々、後北条氏の有力家臣として仕えており、本家初代「重高(慶長元年(1596)没)」の時に瀬田郷の城主となりました。後北条氏滅亡後は当地に土着し、本家は代々瀬田村の名主役を務めました。彦根藩世田谷領でも有数の大名主でした。

後北条氏の家臣から土着し「名主」を務める「長崎家」

後北条氏の領国

分家した6代目「孫兵衛」も村役(百姓代)として活躍する
分家した当家も、6代目「孫兵衛」の代には百姓代を務めるようになり、村役として活躍していた様子が伺えます。
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間取りの変遷

「旧長崎家住宅」の主屋は、昭和52年に解体保管されましたが、その際の間取りは「喰違い(くいちがい)四ツ間取り形式」で、土間境中央には大黒柱が配されていました。

「旧長崎家住宅」の主屋は、昭和52年に解体保管されましたが、その際の間取りは「喰違い(くいちがい)四ツ間取り形式」で、土間境中央には大黒柱が配されていました。

【昭和52年(解体時)の間取り】旧長崎家住宅主屋

何度も増改築を施していた「旧長崎家住宅主屋」
しかし、この時の解体調査によって、広間型形式の間取りを持つ前身の建物があったことがわかりました。また、開口部、縁などの取り付き方(痕跡)から見て、喰違い四ツ間取りへと移行した後も、何度かの増改築を施していることがわかります。

それでは、間取りの変遷について、もう少し詳しく見ていくことにしましょう。

【第1期:江戸時代中期】旧長崎家住宅主屋

解体調査によって明らかになる「主屋増築の様子」
先の解体調査によって、全ての「小屋梁(こやばり)上端(三簡梁/さんげんばりの端部)」に、扠首尻(さすじり)を受ける穴の跡が確認されました。また、北側の側柱と、それより1間入った入側柱は、その柱柄(はしらほぞ)に残る番付によって、この部分が後補材であることがわかりました。

【江戸時代中期(18世紀末頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【昭和52年(解体時)の間取り】旧長崎家住宅主屋 ナンド 押入、便所1、便所2 チャノマ カッテ 置戸棚、風呂場 デイ 床の間、平書院、戸棚 ザシキ ダイドコロ 置戸棚、ミソ部屋、物置

【江戸時代中期(18世紀末頃)間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド
デイ
ヒロマ
押板、囲炉裏、座り流し
ダイドコロ
ヘッツイ、オオガマ

この間取りは、江戸期の民家に一般的であった「広間型形式」から「整形四ツ間取り形式」へと移る過渡期の間取りです。

最初につくられた家は、規模が小さい「広間型の間取り」

これによって北側部分は、梁1間、下屋半間を継ぎ足した増築であったことが判明しました。つまり、建築当初の規模は、桁行6間半、梁間3間と、家の規模もまだ小さく、間取りも「座敷」「納戸」「広間」「広間」「土間」部分から構成される、広間型の間取りであったと推定できます。

この時には、解体時に見られた大黒柱のような太い柱は使われず、内部の「デイ」と「ヒロマ」境には、柱に残る痕跡から押板が付けられていたことが確認され、古い形式であったことがわかります。

【押板】とは、座敷飾りの一つで、床の間の前身とも考えられています。
日本の昔ながらの長さの単位である「尺貫法」
単位 長さ メートル換算
里(り) 36町(12,960尺) ≒ 3.927km
町(ちょう) 60間(360尺) ≒ 109.09m
丈(じょう) 10尺 ≒ 3.03m
間(けん) 6尺 ≒ 1.818m
尺(しゃく) 1尺(10寸) ≒ 30.303cm
寸(すん) 0.1尺(10分) ≒ 30.303mm
(10/33m)
分(ぶ) 0.01尺(10厘) ≒ 3.030 mm
厘(りん) 0.001尺(10毛) ≒ 303.03 µm
毛(もう) 0.0001尺 ≒ 30.303 µm
【尺貫法】間(けん)の長さ換算(尺/メートル)一覧
間(けん)単位 尺換算 メートル換算
1 間 6 尺 1.818 m
2 間 12 尺 3.636 m
3 間 18 尺 5.454 m
4 間 24 尺 7.272 m
5 間 30 尺 9.09 m
6 間 36 尺 10.908 m
7 間 42 尺 12.726 m
8 間 48 尺 14.544 m
9 間 54 尺 16.362 m
10 間 60 尺 18.18 m
第1期の主屋が建てられた時期
第1期の主屋が建てられた時期ですが、記録・棟札・黒善等の手掛かりになる史料が発見されなかったため、正確な年代を決定することはできません。しかし、この間取り形式や、構造・造作などの特徴を見ると、古い形式が認められます。

特に、広間型の間取り形式は、関東地方において江戸時代中期18世紀末頃までによく見られることから、この頃に建てられたものと推定されます。

【第2期:江戸時代末期】旧長崎家住宅主屋

当主屋は、この第2期に家の規模を拡張し大改造が行われます。第1期の時の梁行に1間の梁を繋ぎ、さらに下屋を半間出して、梁行4間半の規模としています。それに伴って、間取りも「広間型形式」から「喰違い四ツ間取り形式」へと変更されました。

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド
カッテ
囲炉裏、座り流し
デイ
床の間、平書院、戸棚
ザシキ
ダイドコロ
ヘッツイ、オオガマ、置縁

「ヒロマ」を「ザシキ」と「カッテ」の2部屋に分ける

土間境には大黒柱や差鴨居(さしがらい)を入れて、1間置きにあった柱を抜いています。特に「ヒロマ」は機能面の上から、中央に差鴨居を用いて建具を入れ、間仕切ることによって、「ザシキ」と「カッテ」の2部屋に分けられました。 また、「デイ」には床の間、平書院、違い棚(二段戸棚)が造り付けられ、格式のある家構えとしています。

江戸時代後期の「喰違い四ツ間取り」
この改築年代については、明確な史料がないためにはっきりとした年代はわかりません。しかし、建築的特徴から見て「喰違い四ツ間取り」が使われるようになる江戸時代後期までの改築であることは推定できます。
1827年「百姓代」になったことによる「間取りの変化」
また、歴史的観点から見ると、当家6代目孫兵衛は、文政10年(1827)に村方三役の一つである「百姓代」になっています。このことから、村役人としての格式を反映させるために、主屋の改造を計ったことは充分に考えられることです。
【村方三役】とは、江戸時代に村の行政を行った村役人で、名主・組頭・百姓代より構成されていました。
「江戸時代の農村(組織と生活)」についてご紹介
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代官・大場弥十郎が残した領内の記録「自然賛(しぜんさん)」
さらに、彦根藩世田谷領の代官・大場弥十郎が残した、寛政年中(1789~1800)から天保4年(1833)に至る40有余年の領内の記録「自然賛(しぜんさん)」の中に、「御領分村々而居宅建替候分」の章「瀬田村」の項に、孫兵衛の名が見られます。

この孫兵衛が6代目孫兵衛とするなら、前述した理由から大規模な改築を行うために、代官へ届け出たものと推定されます。

第2期の改築年代は、文政10年(1827)から天保4年(1833)までの間

以上のことから第2期の改築年代を考えると、6代目孫兵衛が百姓代になった文政10年(1827)以降、「自然賛」の記録にある天保4年(1833)までの間に、主屋の規模を拡張して、床の間を持つ「喰違い四ツ間取り」に大改造されたものと思われます。

【第3期:明治時代初期】旧長崎家住宅主屋

第3期においては、前期の間取りとほとんど変わっていませんが「カッテ」廻りと軒廻りに多少の変化が見られます。軒廻りには、濡れ縁が廻されて内便所が設けられ、「カッテ」には、座り流しの横に上下二段の戸棚が付けられました。

期の間取り】旧長崎家住宅主屋

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド 便所
チャノマ 囲炉裏、戸棚
カッテ
デイ
床の間、平書院、戸棚
ザシキ
ダイドコロ
ヘッツイ、オオガマ、置縁
改築時期について
この改築時期については、「カッテ」に使われていた敷居板の裏側に「長崎時太郎」の名が書かれていたことから、9代目「時太郎」の代に行われたことがわかります。さらに、「カッテ」にある戸棚の引き出し裏側からは「明治九年」の墨書が発見され、時太郎が当主の時期と一致します。このことから、第3期の改築年代は、明治の初めに行われたことがわかります。

【第4期:明治時代初期】旧長崎家住宅主屋

第3期の後、明治の終わりと大正期に2度の「曳屋(ひさや)」が行われています。これは「家相」の間題によるもので、この際に柱の根元を切って土台が入れられました。
【家相とは】陰陽五行説に基づくもので、家の位置・方向・構造などをみて、その吉凶を判断する手段です。

【昭和52年(解体時)の間取り】旧長崎家住宅主屋

「旧長崎家住宅」の主屋は、昭和52年に解体保管されましたが、その際の間取りは「喰違い(くいちがい)四ツ間取り形式」で、土間境中央には大黒柱が配されていました。

【昭和52年(解体時)の間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド
押入、便所1、便所2
チャノマ
カッテ 置戸棚、風呂場
デイ
床の間、平書院、戸棚
ザシキ
ダイドコロ
置戸棚、ミソ部屋、物置

 

「座り流し」から「立ち流し」へ、「風呂場」や「ミソ部屋」の増築
解体前の間取りに近い状態となるのは、大正から昭和に掛けてのことで、この時に「カッテ」の座り流しが立ち流しとなり、妻側に「下屋」を出して「風呂場」や「ミソ部屋」が設けられます。

また、「ダイドコロ」には置き戸棚が置かれていました。この置き戸棚は、移築後、「ナンド」に置かれています。

移築復元について

移築復元に当っては、移築先の間題や復元方針・工事内容・開園方法など、さまざまな角度から検討されました。そしてその方針として、単に建築物のみの復元に重点を置いたものではなく、それらが生活と結び付いた“生きている「古民家」としての保存・活用を行って、江戸時代の世田谷の農民や庶民の生活を体験することのできる施設づくりを目指して、この計画が進められました。
「江戸時代後期から明治時代初期」の状態を復元
主屋の復元に当っては、解体調査によって判明したことを基に、この主屋が農家として、建物と生活が最も有機的につながっていたと考えられる、江戸時代後期から明治時代初期にかけての屋敷構え、間取り、内外観などを復元することにしました。

旧長崎家住宅主屋 復元平面図

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋

その結果、当家が最も永く農家としての機能を果たしていたと考えられる、第2期の「喰違い四ツ間取り形式」を基本とし、濡れ縁がない間取りへ戻すことにしました。

世田谷区「岡本公園」へ移設された旧長崎家住宅主屋
移築用地については、旧長崎家の屋敷地と環境が大きく変わらないところとし、その結果、岡本公園が選ばれました。ここは、国分寺崖線の下にあり、長崎家の屋敷があった「瀬田」とは、段丘の上と下との違いはありますが、同一の崖線に沿った位置になります。

公園南側には、六郷用水(次大夫堀)が流れ、北側の崖線上には八幡神社の大木が生い茂るといった、世田谷の原風景が残る絶好の環境です。

「相伝の技術」を受け継いでいる職人たちによる移設工事

工事については、「地業」「大工」「屋根葺き」「和釘造り」「土間」「左官」など、世田谷の地で「相伝の技術」を受け継いでいる職人たちの協力を得て進められました。
可能な限り伝統的工法や旧来の儀式・手順をあわせて再現し、それらを映像に記録しながら進めて行きました。また、建築材料についても旧材を可能な限り用いることとし、特に構造材である「柱」「梁」「桁」などは、根継ぎ等の工法によって修理を施しました。
1979年、工事半ば「大型台風20号」による主屋の倒壊
こうして、主屋の復元工事は昭和54年(1979)5月に着工されましたが、工事半ばの昭和54年10月19日、大型台風20号によって主屋は倒壊してしまったのです。幸い、多くの主要部材がその難を免れたことから、再度復元工事を行いました。再復元工事に際しては、伝統的工法ばかりでなく、今日までに蓄積された新しい建築技術も取り入れましたが、それらがはた目には見えないように工夫された工法で進められました。

こうした苦難を乗り越え、昭和55年3月に旧長崎家住宅主屋は、江戸時代後期に見られる典型的な農家としての屋敷構えを含め、甦らせることができました。なお、旧長崎家住宅主屋の解体及び復元の模様は、文化財記録映画「古民家は語る」「甦える古民家」の中に収められています。

【江戸時代中期(18世紀末頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【昭和52年(解体時)の間取り】旧長崎家住宅主屋 ナンド 押入、便所1、便所2 チャノマ カッテ 置戸棚、風呂場 デイ 床の間、平書院、戸棚 ザシキ ダイドコロ 置戸棚、ミソ部屋、物置

【江戸時代中期(18世紀末頃)間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド
デイ
ヒロマ
押板、囲炉裏、座り流し
ダイドコロ
ヘッツイ、オオガマ

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋

【江戸時代後期(文政10年頃)間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド
カッテ
囲炉裏、座り流し
デイ
床の間、平書院、戸棚
ザシキ
ダイドコロ
ヘッツイ、オオガマ、置縁

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋

【明治時代初期の間取り】旧長崎家住宅主屋
ナンド 便所
チャノマ 囲炉裏、戸棚
カッテ
デイ
床の間、平書院、戸棚
ザシキ
ダイドコロ
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「旧長崎家住宅」の主屋は、昭和52年に解体保管されましたが、その際の間取りは「喰違い(くいちがい)四ツ間取り形式」で、土間境中央には大黒柱が配されていました。

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デイ
床の間、平書院、戸棚
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