世界で最も売れなかった伝説のゲーム機、ピピンアットマークのご紹介


今回は世界で最も売れなかった伝説のゲーム機、ピピンアットマークをご紹介します。
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世界で最も売れなかった伝説のゲーム機、ピピンアットマーク

1970年代からめげずに家庭用ゲーム機に挑戦するバンダイからは、
世界で最も売れなかったゲーム機という、伝説を作り上げてしまうという迷機が誕生させる。
あのアップルコンピュータ(Apple)とバンダイが共同開発した、Macintosh互換のマルチメディア機である。
その名も『ピピンアットマーク』を発売するんだ。

名前がかわいい

ちなみに、
ピピンアットマーク(Pippin atmark、Pippin @. )名前の由来の
「ピピン」は林檎の一品種からとられているよ。
崖っぷちのアップル

この頃ピピンアットマークの開発で、バンダイのパートナーになる、アップルは、
1993年中頃、約630億円の費用を投入して開発したレーザープリンターやカラーモニターなどが全て不振に終わり、業績は低迷していました。
1993年当時のPC市場では、アップルのシェアはおよそ12%だったけど、AT互換機はMacintoshの10倍の売れ行きを見せ、Appleのシェアはどんどん縮小していく一方であった。
起死回生の策として出したPDA端末「Apple Newton」(ニュートン)は、
PDAとしては大きすぎるサイズ・操作性の悪さなどで酷評を受け、完全に失敗に終わってします。

追い詰められたアップルは、
それまでアップルが占有していたマックシステムのライセンスを解放し、
アップル以外の企業もマッキントッシュ(Macintosh)のハードウェアを製造できるようにし、
同時にMac OSに対応したゲームソフトを市場に投入することで、市場のシェアをMicrosoftから奪うことができるだろうと、アップルの取締役や経営幹部は考えた。

ジョブスが聞いたら、狂気するだようね。

なお、Apple創立者の一人であるスティーブ・ジョブズはこの時既にAppleから追放され、ワークステーションを開発製造するNeXT(ネクスト)を立ち上げていたよ。

おーネクストー

そんな時、マッキントッシュOEM製品のディレクターであるエリック・サーキンさんは、
日本のおもちゃ会社であるバンダイからMac OSベースのゲーム機を作りたいというアプローチを受けることになるの。
グローバルエンターテインメント企業を目指す、バンダイ

今頃のバンダイは、1994年にパワーレンジャーをアメリカでヒットさせ、
関連商品の売上げから350億円の利益を上げるなど、順調に世界的大企業へ成長してた頃なんだ。

創業者の長男である山科誠さんは、

バンダイを単なるアクションフィギュアのおもちゃ会社としてではなく、ディズニーや任天堂のようなグローバルエンターテインメント企業としてマルチに展開させていくのだー。

という高い構想を描いいていた。

目指せ、日本のディズニー

そういう背景もあり、バンダイは、
「セーラームーン」「ドラゴンボール」「パワーレンジャー」など、自社が抱えているキャラクターのゲームをプレイできる、Mac OSベースのマルチメディアマシンの開発を計画したというわけなんだ。。
ピピンアットマークは、マック普及の柱にしよう

そんなバンダイからのアプローチから、
どのようにしてMac OSのシェアを拡大するかと頭を悩ませていたアップルの幹部であったイアン・ダイアリーさんなど、幹部も、バンダイからの

My First Mac
子ども達をターゲットにしたマックをつくりましょうー。

という提案に関心を寄せ、そして、アップルの幹部であったイアン・ダイアリーさんは、

ピピンアットマークは、Mac OSのライセンスの柱になるだろう。

と言い放ったという。

こうして、バンダイとアップル幹部やマッキントッシュOEM製品のディレクターのエリック・サーキンさん、といった当時のアップルコンピュータの有力人物が参加し
早速、サーキンさんが、日本へ飛び立ってリサーチを行い、バンダイと話し合いを進め、「ピピンプロジェクト」が立ち上げったんだ。
落ちるところまで落ち、なんとかマックを普及させたい、アップルと
ディズニーを目指して、グローバルエンターテインメントを目指したい、バンダイとの思惑が一致、ピピンアットマークが動き出す。

今では考えられない立場だね。
難航する『ピピンアットマーク』

しかし『ピピンアットマーク』は、プロジェクトの始まりから苦難の連続となるんだ。バンダイは、

安価でMacに互換性のあってインターネットが可能なマシンをつくりましょう。

という計画を提案したが

インターネットは金にならない

と考えていたアップルは、この提案には懐疑的、さらにアップルは、

他社製の安価なMac互換機が普及されると、我社のマッキントッシュ(Macintosh)の売上げが下がるようなことがあってはならない。

と考えていたため、ハード開発の段階で、アップル現行のMacintoshに近いシステムを要求、
しかも当時のMac OSだったSystem 7に問題があり,ピピンアットマークのCPU・PowerPC 603上で動作する専用OSがなかなか開発進まない、
そして、ピピンアットマークの開発は,当初の予定よりも半年から1年ほど遅れることになり、しかもコストも予定よりも大幅に跳ね上がってしまった。

開発途中でも、アップルとバンダイの意思疎通もうまくいかなくなり始め、プロジェクトもより複雑になってゆくにつれて、
アップルのエンジニアからは、十分な成果を出すには納期が短すぎると、ストライキまで行われた。

うーん、アメリカらしい自己主張

にもかかわらず、アップルのサーキンさんは、現場でスタッフをやりくりして、
自らも残業をしまくることでなんとか納期内に「ピピンアットマーク」を完成させ、なんとか生産のめどを立たせることができたんです。

アップルの中にも「ピピンアットマーク」に強力してくる人もいたんですね。
「ピピンアットマーク」へバンダイとアップルの期待

そして、バンダイは、1996年3月28日に「ピピンアットマーク」を発売したんだ。

おー「ピピンアットマーク」

そのかいもあって、発売前のモニターには10万人の応募が集まり、
ピピンアットマークは注目を集め、乗り気ではなかったアップルの経営陣も注目するようになってくる。

バンダイも

ピピンアットマークは50万台売れるだろう

と見込んでいた。
アップルの凋落、ピピンアットマークの主要人物が、次々と退社

しかし、ピピンアットマークにノリノリだった、アップルの幹部、イアン・ダイアリーさんも、1996年にピピンアットマークのプロジェクトから外されて退社。
さらにアップルの社長もマイケル・ スピンドラーさんから、ギル・アメリオさんに交代し,
同年1996年4月に、アップル社内の組織改編が行われたことをきっかけに、ピピンアットマークのプロジェクトの主要人物も退社してしまうなど、

バンダイからは、

アップルは、誰と話せばいいのかわからない。

という状態に陥ってしまっていた。

あらー、ピピン大丈夫かなー。
ピピンアットマークはゲーム機なの?

ピピンアットマークの発表会では、
アップルから、ピピンアットマークの開発に尽力を注いでくれた、エリック・サーキンさんが紹介スピーチに登場、
しかし、サーキンさんはとあるゲーム開発者から

このゲーム機はインターネットデバイスなのでしょうか?
それとも新しいゲーム機なのでしょうか?

と質問をぶつけられましたが、サーキンさんは答えることはできなかったとのこと。

サーキンさんは、のちに

現場で開発に関わっていたメンバーの目には、ピピンアットマークは非常に優れたマシンに映りましたが、
現実には、PlayStationやセガサターンよりもゲームの性能は劣っており、
普通のPCやMacintoshほどのコンピューティングパワーもないという、どっちつかずなマシンになってしまっていたのです。

と語っている。
ピピンアットマークの反響は?

発売直前から、開発の遅れ、コストの上昇、アップルのピピンアットマークのプロジェクトの主要人物の退社など、不安と期待の中発売された、ピピンアットマークは、

まったく売れなかった。

ピピンアットマークは、
予想を大幅にはるかに下回り、それどころか全世界で4万2000台という売上げで、世界で最も売れなかったゲーム機という伝説まで作り上げてしまい、後世まで語り継がれることになるんだ。

発売前のモニターには10万人が応募したものの、
実際に購入を希望したユーザーはごく少数、
「廉価なMacintosh」「パソコンへの入門機」という側面を強調して販売促進をするバンダイに対し、アップル側は及び腰、
ピピンアットマークの販売台数はまったく振るわず、1997年3月期には65億円の赤字を生み、1997年5月12日には製造を中止。
バンダイ側は累計で、260億円の損失を出し、ピピンプロジェクトは1997年3月に解散となり、アップルも、4100人の従業員を解雇となってしまい、
バンダイ、アップル共に悲惨な結末を迎えることになったんだ。
ピピンアットマーク迷機の原因は?
ピピンの強気な価格設定

このピピンアットマークの、あまりにも大きすぎる失敗の原因は、
数々あるが、あえて言うなら、価格設定と、ソフトラインナップ、そして販売方式であろう。

強気な価格設定は、

49800円ー。

という、2年前の1994年に発売された、PlayStationが39800円、
同じく96年に発売されたNINTENDO64が、2万5000円という価格と比較すると、ゲーム機としてはかなり強気な価格設定といえる。
ピピンの貧弱なソフトラインナップ

そして、中途半端な性能と貧弱なソフトラインナップ。
アメリカで同時発売されたソフトは、「アニメデザイナードラゴンボールZ」「GUNDAM TACTICS MOBILITYFLEET 0079」など、
バンダイの版権を用いたゲームや、海外ゲームの移植作の他、百科事典ソフトやインターネット接続用のソフトなどしかなく、
またMac互換性によってMacOS向けのゲームタイトルも一部遊ぶことも可能だったけど、決め手となるようなキラータイトルもなく魅力の欠けるソフトラインナップになってしまたの。
ピピンアットマークの迷販売方式

そして販売方式も何を血迷ったのか、インターネットも普及していない時代に、店舗販売ではなく、
電話注文を中心とした独特の販売方式も売上低迷に花を添えた。
ピピンへの思い入れ

一方で、バンダイでピピンアットマークを担当した、山科さんはピピンへの思い入れは深く、
後にバンダイから、あのゲームボーイの生みの親である、横井軍平さんも関わった、携帯型ゲーム機の名機と言われる、ワンダースワンが発表されると
「ワンダースワンはピピンアットマークの後継機」と言ったという。

めげないバンダイの家庭用ゲーム機への挑戦

バンダイは、1980年代前後にも家庭用ゲーム市場で70年代の国産家庭ゲーム機の最高の高性能、高価格機である
『TV JACK スーパービジョン8000』(1978年)
価格はなんと59800円
やミステリーなゲーム機『アルカディア』(1983年)を発売してファミコンの登場により華々しく散っているから、
1990年代にはピピンアットマークでも伝説を作ってくれるなど、セガに次、愛すべきメーカーかもね。

今回はここまで次回は、
スーパーファミコン最大のライバルになった、任天堂とソニーが共同開発した幻のプレステの試作機についてご紹介させて頂きます。

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