セガ

第4回【最終回】 国産セガの誕生 、セガ VS 任天堂までの道 ~セガの歴史~

セガ

『セガ』誕生物語 ~『セガ』VS『任天堂』への道~

~セガの歴史~

1982年のクリスマス商戦以降から
『アメリカ』の『ゲーム機市場』が冷え込みによって
『アメリカ』の『セガ』の業績は急降下し始める

 

当時親会社だった『ガルフ&ウェスタン(G&W)』
アメリカの『ゲーム市場』に見切りをつけ、

 

『セガ』の売却を検討しはじめる。

G&W

アメリカに渡った
『セガ日本法人』の『中山』さんは

 

親会社から『セガ日本法人』の買収交渉権を手に入れる。

セガ

帰国すると、かねてより面識のあった『CSK』の『大川会長』に相談にいったんだ。

『セガ』の『中山』さんと『CSK』の『大川会長』

『CSK』の『大川会長』とは?

『CSK』とは、

法人向けに『コンピュータープログラム』などのサービスを商いをしていて
株式上場もしている会社なんだ。

 

『大川会長』は、この『CSK』の創業者だよ。

セガ・ソニック・ザ・ヘッジホッグ

『CSK』は

 

1960年代の『コンピューター黎明期』に
事業所の会計用の『集計機』や情報処理を事業を起こすため
1968年『コンピューターサービス株式会社設立』

 

『事務用コンピューター』が一般化してからは、
いち早く『プログラム』をサービスする会社に事業を移行

 

1980年、情報サービス業初の『株式公開』

さらに1982年に株式上場している、

 

法人ソフトウェアの分野の大手企業だよ。

セガ・CSK

『セガ』の『中山』さんと

『CSK』の『大川会長』の自宅が同じ『世田谷』の近所にあり

奥さん共々日頃から親交があったんだよ。

セガ・ソニック・ザ・ヘッジホッグ

それで、尊敬する『大川会長』ならなんとかしてくれと
『中山』さんは思ったんだね。

『中山』さんと『大川会長』会談

大川会長、わざわざお時間を頂きましてありがとうございます。

いやいや、急遽ご相談があるということ

はい『大川会長』には以前から経営について
いろいろご教授頂いておりまして

 

今回は是非、『大川会長』のお力添えを頂きたいとことがあるんです。

 

ほーこれは只事ではなさそうですな。

はい、実は前々からご相談させて頂いております
弊社『セガ』のご出資についてのご相談なのです。

セガ ロゴ

ほう、出資についてね

はい、ご存知の通り

 

弊社は外資系の日本法人として

日本の『ゲーム市場』で商いをさせて頂いており、
お陰様で、順調に業績を伸ばしてきております。

 

しかし、本社のアメリカのほうでは
『ゲーム市場』が崩壊してしまい

 

それを機に、親会社の『ガルフ&ウェスタン(G&W)』は
弊社の『売却』を検討中なのです。

G&W・セガ

なるほど

それで先日、

親会社の『ガルフ&ウェスタン(G&W)』と交渉のため
渡米してまいりました。

 

そして、『セガ』の『日本法人』に関しては
買収の『交渉権』を取り付けることができたのです。

オフィス・会社

なるほど、そうなると
私に日本の『セガ』を買ってほしいということかな

セガ

ご明答でございます。

なるほど
それで、その金額はいかほどなんだね。

はい、100億です。

なるほど、100億かー

会長なにとぞ宜しくお願い致します。

なるほど『中山』くんもよくよく考えての決断じゃろー

 

わかった、わしが出資しよう。

お金

会長ありがとうございます。

こうして『CSK』の『大川会長』の決断により

 

1983年『セガ』の『日本法人』
親会社が『ガルフ&ウェスタン(G&W)』からCSK

そして『社長』には『中山隼雄』さんが就任するんだ。

セガ

こうして、2人の外国人によって設立され
『在日アメリカ軍』を相手に商売したところから出発した『セガ』

 

純国産の会社として生まれ変わったんだ。

 

『大川会長』すごいー。

後に『大川会長』は

 

2001年に『セガ』が大赤字で倒産の危機の時も
1月31日にセガに対して850億円もの個人資産を贈与して

『セガ』を救ったんだ。

セガ・ソニック・ザ・ヘッジホッグ

『セガ』独立できたのも、現在も存続できたのも『大川会長』のおかげなんだね。

その後『セガ』は

『家庭用ゲーム機』では『メガドライブ』『セガサターン』などを発売し
『アーケードゲーム機』では

『スペースハリアー』『アウトラン』『バーチャ-ファイター』など次々とヒット作を発表し

 

黄金時代を迎えるんだ。

メガドライブ

セガ・サターン

スペースハリアー

 

バーチャ-ファイター

『セガ・アメリカ』の売却

そして1984年8月『ガルフ&ウェスタン』

『セガ』のアメリカ法人を売却するんだ。

 

売却先は『ピンボール製造メーカー』の老舗『バリー社(Bally)』だよ。

バリー・ミッドウェイ

『バリー社(Bally)』 は、

 

1981年に 『アーケードゲームメーカー』の『ミッドウェイ社(Midway)』 を買収して

『ミッドウェイ社(Midway)』も老舗『ピンボールメーカー』だったんだけど『アーケードゲーム機』の輸入販売もしていたんだ。

アーケードゲーム

確か『タイトー』とも取引していたような。

『アーケードゲーム機』は『Bally Midway』 のブランドで続けられていて
そこへ『セガ』のアメリカ法人も合併し

『Bally Midway』に加わることになるんだ。

 

これ以降も『アタリ社』の『家庭用ゲーム機』の『VCS』 や
その他ゲームでも『 Bally Midway ブランド』で発売されるようになるんだ。

『セガ』VS『任天堂』- 『セガ』の『家庭用ゲーム業界』への参入

『任天堂』の『山内社長』と腹心の『駒井 徳造』

時間は少し遡って1982年の『任天堂』

任天堂ロゴ

『任天堂』の社長室では、

 

『山内社長』と腹心である取締役『駒井徳造』さんとの
『任天堂』の今後の方向性についての会談が行われていたんだ。

任天堂山内社長マリオ

1982年頃の『任天堂』は、

 

1980年に発売した『ゲームウォッチ』が大ヒットして
苦しかった経営もようやく軌道に乗りかけている時期だったんだ。

 

この頃の事業の柱は『携帯ゲーム機』と『アーケードゲーム機』だったんだ。

 

そして密かに家庭用ゲーム機の開発を進めていた頃なんだ。

ファミコン(ファミリーコンピューター)

ここで、今後『ゲームウォッチ』で蓄えた『資本』をどの事業に投資してゆくのかについて

 

『山内社長』と『駒井徳造』さんとの会談が行われていたんだ。

 

『社長』これからは『アーケードゲーム市場』にもっと投資すべきですよ。

 

我社は70年代から『アーケードゲーム業界』に参入してますし、
去年発表した『ドンキーコング』も好調です。

ドンキーコング

我々の『ゲーム企画力』なら

『アーケードゲーム業界』でも成長できると思うんです。

 

これからの『任天堂』は

『携帯ゲーム機』と『家庭用ゲーム機』そして『アーケードゲーム機』の三本柱でいきましょう。

 

社長ー

ゲームウォッチ

ファミコン(ファミリーコンピューター)

ドンキーコング

山内社長
山内社長

・・・・・

 

しかし、駒井くんようやく『ゲームウォッチ』で経営が軌道に乗ったとはいえ
我社の会社規模はまだまだ小さい。

 

山内社長
山内社長

新規投資先として、

現在開発中の『家庭用ゲーム機』と更に
『アーケードゲーム機』に投資となると、

 

ちと『人材』と『資金』が分散しすぎてしまうのではないか

任天堂・宮本茂

 

お金

しかし『ゲームウォッチ』は社長も察しておられる通り
あと数年で市場は衰退してしまうでしょう

 

現在開発中の『家庭用ゲーム機』もヒットするかはわかりません。

 

そうなりますと、我社の柱がなくなってしまうことになりかねませんよ。

山内社長
山内社長

うーん

わしら『任天堂』は『花札』からはじめて『トランプ』、玩具と一般のお客への娯楽を提供する会社なんや。

 

『携帯ゲーム機』や『家庭用ゲーム機』は、家庭の子供たちに娯楽を提供してるってことで芯は通っているやけど

 

『アーケードゲーム機』となると畑がちがうんとちゃうかな?

 

任天堂ロゴ

山内社長
山内社長

それに『人材』と『資金』を集中せんと、市場で生き残ることは出来へんで

うー、それは『社長』のおっしゃっていることはわかりますが・・・

山内社長
山内社長

あのな『駒井』くん、わしはあと数年で
『アーケードゲーム業界』から撤退しようと思うとるねん。

アーケードゲーム

撤退ですか。

山内社長
山内社長

『駒井』くんが以前から『アーケードゲーム市場』に積極的だったのは
わかっとる

 

だがな
『任天堂』はやはり、家庭に娯楽を届ける会社や
そこに『人材』と『資金』を集中させたいんや。

 

『駒井』さんの『アーケードゲーム業界』への追加投資はかなわず、

 

逆に『任天堂』は『アーケードゲーム業界』へは完全撤退して
『家庭用ゲーム』を事業の柱にする方向性へと向かってゆくんだよ。

ファミコン(ファミリーコンピューター)

この会談を期に

 

『駒井』さんは

『任天堂』を28年間在職した任天堂を去り

『セガ』に入社することになるんだ。

セガ

『任天堂』の『駒井徳造』と『セガ』の『中山隼雄』との出会い

そして『任天堂』の『駒井』さんと

『セガ』の社長である『中山隼雄』さんとは

 

『中山』さんが『エスコ貿易』の頃から『任天堂』の『アーケードゲーム機』の取引で付き合いがあったんだ。

セガ・ソニック・ザ・ヘッジホッグ

『任天堂』は1970年代から『アーケードゲーム機』の開発をしていたんだ。

そして『関東地域』への『アーケードゲーム機器』の販売を

『エスコ貿易』を中心として行っていたんだ。

セガ・エスコ貿易

『任天堂』の『駒井』さんと『エスコ貿易』『中山』さんの商談

『アーケードゲーム機』は値の張るものだったので

普通は、確実に売れる分だけ、小口で仕入れるのが商売としては常識だった

 

だけど『中山』さんのビジネスは違っていたんだ。

『中山』さん日本全体でどれだけ売れるかを考え、

『任天堂』が直接売った分の数字を差し引き、まとめて注文してくるのだよ。

 

そうなれば『任天堂』としても安くせざるを得ない。

任天堂ロゴ

『任天堂』の『駒井』さんは、

『中山』さんの『商売人』としての勘の良さと度胸に、つねづね敬服していたのだ。

セガ・ソニック・ザ・ヘッジホッグ

その後『中山』さんが『セガ』の『副社長』になると

『中山』さんから『駒井』さんへ熱烈な誘致を受けることになるんだ。

『アーケードゲーム業界』と『家庭用ゲーム機』の2本柱

の夢を捨てきらない『駒井』さんは

 

『中山』からの誘いに、心は動いき。

『任天堂』を退職し

1982年9月に『セガ』へ入社することになるんだ。

セガ

『セガ』『家庭用ゲーム機市場』への参入

そして『セガ』の『家庭用ゲーム事業』の陣頭指揮をとることになるんだよ。

セガVS任天堂

『セガ』が純国産会社として独立する2年前、

 

そして『セガの』が『SG-1000』で『家庭用ゲーム市場』に参入する1年前のことだった。

セガSG1000

もしかして『セガ』が『SC-3000』を開発している時に

 

『任天堂』が『家庭用ゲーム機』を開発していることを知って
急遽『SG-1000』をつくり始めたのって

 

『駒井徳造』の影響?

 

そうなんだ

『セガ』が『家庭用ゲーム機市場』未経験だったのに
『任天堂』の『ファミコン』と同年に参入できたのも

 

元『任天堂』の役員の『駒井徳造』の存在があったからなんだ。

セガVS任天堂

『任天堂』の『ファミコン』と『セガ』の『SG-1000』の発売日も
同年同日の1983年7月17日だしね。

 

ここから『任天堂』対『セガ』の20年間の『家庭用ゲーム機』競争がはじまるんだ。

セガVS任天堂

『セガ』は

 

『家庭用ゲーム業界』では『任天堂』と戦い

 

『アーケードゲーム業界』では、『ナムコ』『カプコン』と熾烈な戦いを行い
ユーザーにさまざなヒット商品を提供し続けてゆくことになるんだ。

セガ

ご閲覧ありがとうございました。

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