セガ

第1回セガの誕生 セガの第1期黄金時代 セガ VS 任天堂までの道 ~セガの歴史~

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第1回セガの誕生 セガ VS 任天堂までの道 ~セガの歴史~

今回は、時代を遡って『セガ』誕生物語 をご紹介します。

セガ ロゴ

おー『セガ』誕生

外資会社として誕生した『セガ』が

やがて国産の会社に変わり

『セガ』の中興の祖とも言われる『中山隼雄』さんによって
『ビデオゲーム』で頭角を現し

 

やがて『任天堂』と『家庭用ゲーム市場』で戦いを繰り広げるまでの物語だよ。

セガVS任天堂

『セガ』のはじまり

『セガ』のはじまりは、

1951年に『R.Jーレメーヤー』と『リチャード.Dースチユアート』という二人のアメリカ人による『レメーヤー&スチユアート』の創設からなんだ。

会社 アイコン

このページでは、わかり易くするために『セガ』で統一させて頂きます。

『セガ』の最初の事業は、

 

駐留軍(在日米軍)の基地『ジュークボックス』や『スロットマシン』などの『娯楽機械』を納入し、またその修理をする会社だったんだ。

ジュークボックス

そうだね『タイトー』のはじまりは、

 

1950年の日本初『ウォッカ』の販売から始まり
1954年頃に『ジュークボックス』の販売を開始するんだ。

 

『タイトー』も『セガ』と同じように

『米軍基地』から『ジュークボックス』の中古品を輸入して、それを修理して販売を始めているんだ。

タイトー

『タイトー』と『セガ』って『ルーツ』が同じなんだね。

当時『米軍基地』は日本各地にあって『セガ』は順調に成長してゆくんだ。

1954年には、社員も100名を超え、
社名も『サービスーゲームズ(SERVICE・GAMES)』と変更するんだ。
1957年には『サービスーゲームズージャパン株式会社』へと変更されるんだ。

セガ

『セガ(SEGA)』の由来は?

現在の『セガ(SEGA)』という名前は、

 

この頃のこの『サービスーゲームズ(SERVICE・GAMES)』
『SERVICE』の『SE』と『GAMES』の『GA』からつけられたんだ。

セガ ロゴ

それで『セガ(SEGA)』なんだね

しかし1950年代末頃から『米軍基地』が減少し始め

 

『ジュークボックス』などの『娯楽機械』も民需への転換が迫られるようになったんだ。

ジュークボックス

そして『セガ』は、販売先を『米軍基地』から
『民間』の『パー』や『喫茶店』などの『飲食物業』や『娯楽施設』などへ販売しはじめるんだ。

ジュークボックス

『飲食物業』ねどへの販売先開拓も『タイトー』と同じだね。

そうだね『タイトー』は

『喫茶店』などの販売網を活かして
後に『スペースインベーダー』が『喫茶店』で大人気になるからね。

スペースインベーダー

『セガ』の中興の祖『中山隼雄』の登場

『セガ』の中興の祖『中山隼雄』さんは

丁度その頃『ジュークボックス』輸入商社の『V&V社』に入社するんだ。

セガ V&V

この頃の『ジュークボックス』業界の御三家と呼ばれていたのが
『中山』さんが入社した『V&V社』と『セガ』と『タイトー』なんだ。

セガ

タイトー

セガ V&V

 

おー『セガ』と『タイトー』

この頃『ジュークボックス』の輸入・販売をしていた会社だよ。

 

セガゲームス(ジュークボックス時代はサービスゲームス)
タイトー(ジュークボックス時代は太東貿易)
ユニバーサルエンターテインメント(ジュークボックス時代はユニバーサル)
コナミホールディングス(ジュークボックス時代はエンタプライズ)

コナミ

あれ『コナミ』もあるね。

その後『セガ』や『タイトー』『コナミ』

『ゲーム機器』の開発・販売へ

 

『ユニバーサル』はその後

『パチスロ機』や『パチンコ機』の開発・販売へ
大きく事業の方向性が別れてゆくんだよ。

アーケードゲーム

事業の主軸を『ゲーム機』にするか『パチスロ機』や『パチンコ機』にするかだね。

『セガ』の中興の祖『中山隼雄』とは

『セガ』の成長にとって重要な人物となるのが、
『セガ』の中興の祖と呼ばれている『中山隼雄』さんだよ。

 

『中山隼雄』さんがいなければ、1980・90年代の『セガ』の黄金時代を迎えることが出来なかったかもしれないね。

セガ

『中山隼雄』の幼少期、青年時代

『中山』さんは、

1932年5月に東京都江東区亀戸の開業医の子として生まれる。

 

この頃は『満州事変』の翌年だから、日本が、第二次世界大戦に向かっていった時代だね。

『中山』さんの家系は、

 

祖父の代から医者の家系
父親は江東区の亀戸で医院を開業、中山少年は幼い頃は下町の雰囲気あふれる環境の中で伸び伸び育ったんだ。

 

医者とはいえ、父親は事業に強い興味を持ち、さまざまなビジネスに手を出したりしていだという。

医者・ドクター

幼少時にこのような父親の姿をみて育ったことが、
その後の『中山』さんの起業家精神に大きく影響を与えたかもしれないね。

そして太平洋戦争の開戦

中山家は最初、千葉県の『稲毛』に疎開し、その後戦況が厳しくなったのでさらに『会津』に疎開するんだ。

 

『中山』さんは、福島県の『喜多方中学校』に入学する。
時代の空気から周囲の子供たちの中にも軍国少年が続出したが、いつも醒めた部分を持つ
中山はなかなか周りの空気になじめなかったという。

『中山』さんが、終戦を迎えたのは旧制中学の2年だった。

 

疎開先から東京に戻って父親は『JR(当時の国鉄)大久保駅前』に医院を開き『中山』さんは『豊多摩高校』に進む。

 

医者の後継者だった『中山』さんは、

医科歯科コースを持つ『千葉大文理学部』に進んだものの、
在学中に、医者への道に疑問を持ち始め

 

大学二年の秋、
ついに『医者にならぬ』とを父親に宣言すると、
家庭内勘当とでもいった状態におかれ、援助を打ち切られてしまう。

セガ

生活に困っった『中山』さんは、

さまざまなアルバイトをしながら、自分の道を模索してゆく

そして、最後に決めたのが貿易仕事だったんだ。

 

『中山』さんは『英語』が得意だったので
『英語』が生かせる仕事として『ジャパン.タィムズ』の求人広告の中から選んだのが、
『V&V社』だったんだ。

セガ V&V

『ジュークボックスビジネス』へ

『中山』さんは

東京都港区芝公園三丁目の『マソーニックービル』の地下にある『V&V社』に入社する。

 

『V&V社』は

ユダヤ人社長の『S・ヴィレンスキー』と副社長『H・ヴィレンスキー』兄弟によって創設された会社なんだ。

ジュークボックス

確か『タイトー』

ユダヤ系ロシア人の実業家『ミハイル・コーガン』さんが創業したような。

『V&V社』に入社した『中山』さんは、

 

『ジュークボックス』の販売・契約のため日本中を飛び回ることになる。

 

『ジュークボックス市場』は急成長していた頃で、

『中山』さんは

『ヴィレンスキー社長』に営業部を作ることを提案する

 

許可を得た『中山』さんは、さっそく営業社員を四人を採用すると、その陣頭に立ち業績を飛躍的に伸ばしていったんだ。

ジュークボックス

この頃から『中山』さんの『ビジネスマン』としての能力が開花してゆくんだ。

爆発的にヒットした『セガ1000』

『セガ(サービスーゲームズージャパン株式会社)』の方も、業績は順調に伸びていたんだ。

 

1960年には『ジュークボックス』と『ゲーム機』の販売やリースを主にする『日本娯楽物産』と

『機器の製造』を目的とする『日本機械製造』のふたつの会社に分かれたんだ。

セガ

社名変更をした直後

『日本機械製造』は、輸出用の『ゲーム機械製造』に取りかかる。

 

アメリカの『スロットマシーン』の『デッドーコピー』ではあったものの『ダイヤモンドースリースター』『ボナンザースター』『プログレッシングスター』などのゲーム機械が作られ

『ラスべガス』の『カジノ』で好評を博したんだ。

セガ・スロットマシン

『セガ1000』の誕生

そして『セガ』は

『ジュークボックス』の開発も始めたんだ。

 

当時は『輸入品』には『限度額』があったんだ。

ジュークボックス

限度額?

そう『通産省』に申請して『ドル』の使用許可を貰わなければならなかったんだよ。

 

これは『ドル枠』と呼ばれていて。

『娯楽機器』である『ジュークボックス』に割り当てられる『ドル』は少なかったんだ。

お金

この頃の日本はまだ『外貨準備』も乏しい国だったんだ。

 

そのため、海外から輸入できる『娯楽機器』には限界があったんだ、

船・輸入・貿易

それじゃー、日本国内で作ちゃえってことかな?

そう、自社で『ジュークボックス』を作れれば、一気に国内のマーケットを支配することが出来るからね。

『セガ』の『開発スタッフ』は、

 

『設計用具』を揃えるところからスタートし、

時には『製造機具』を自製

ついに1960年7月、国産『ジュークボックス』が完成したんだ。

 

この『ジュークボックス』には、

レコードが24枚はいっていて、48曲選曲出来たんだ。

 

そしてこの『ジュークボックス』は、

 

初めて『サービスーゲームズ』の『SERVICE』から
『SE』を『GAMES』から『GA』をとって『セガ1000』と名づけたんだ。

セガ・ジュークボックス・セガ1000

『セガ1000』の誕生

『セガ1000』は、爆発的ヒットするんだ。

 

日本の『パー』や『スナック』『喫茶店』に売れたばかりか、
アメリカにまで輸出されたんだ。

 

力を得た『日本機械製造』は、

 

更に国内向けにアメリカ製のものを真似た『ゲーム機』を作り始め

『日本娯楽物産』を通じて『遊技場』や『観光地』など販売網を広げてゆくんだ。

 

こうして『日本娯楽物産』と『日本機械製造』は、
『アミューズメント機器業界』でトップメーカーへと成長してゆくんだ。

セガ

『セガ』のモノづくりのツールは『セガ1000』からなんだね。

セガ・ジュークボックス・セガ1000

『セガーエンタープライゼス』の誕生

好調を続ける2社は、

1964年6月に再び統合され

 

さら翌年1965年6月には、

同じ『アミューズメント機器』の会社

『口ーゼンーエンタープラィゼス』と合併して
『株式会社セガーエンタープラィゼス』となるんだ。

 

そして1969年には、

アメリカのコングロマリット『ガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ(G&W)』の傘下に入るんだ。

セガ・GW

ご閲覧ありがとうございました。

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