第2回PC-98時代の名作アドベンチャー・シュミレーションゲームたち
~PC-98時代のゲームたち~
今回は
PC-98時代の名作アドベンチャー・シュミレーションゲームたちをご紹介します。
名作の揃うPC-98のシミュレーションゲーム
やはりPC-98といえばシミュレーションゲーム。
PC-98にはかなり早い段階からシミュレーションゲームの秀作が揃っていたんだ。
8ビット機より高性能な16ビット機のPC-98は、シミュレーションゲームとの相性がよかったんだ。
そのせいかハードなシミュレーションゲームは、8ビット機に対応することはあまりなく、
PC-98には
太平洋の嵐や鋼鉄の騎士のような遊び応えがあるシミュレーションゲームが充実し、どんどんマニアックになっていたんだ。
おー太平洋の嵐
特に太平洋の嵐DXにいたっては250ページ近くあるマニュアルに面食らい、
パッケージの戦艦がカッコいいという理由だけで買ってしまったユーザーも少なくないだろう。
歴史シミュレーションゲーム、天下統一、信長の野望登場
歴史シミュレーションゲームでは、
なんといっても光栄の看板、歴史シミュレーションゲームの信長の野望シリーズだね。
でも光栄以外からも当時、信長の野望と双璧といわれた
天下統一シリーズ(システムソフト・アルファー)なども現れるんだ。
シミュレーションゲームをやるにはPC-98を買うしかない状況になっていたんだよ。
名作天下統一とは
天下統一は、
伝説のボードゲーム・超人ロックのデザイナーで、
当時のコンプティーク誌でもライターとして活躍していた
黒田幸弘さんの作品だよ。
序盤を乗り切り、領地の基板を固めた後は、ザコ掃討戦という、
歴史シミュレーション共通の後半のダレという欠点を上手く回避しているのが特徴の名作ゲームだね。
最近の歴史モノでも、この問題が解決できていないものが多い中、本当に長く遊べるゲームとして心に残っているユーザーも多い作品だね。
大戦略、三国志の登場
更にPC-9801では、
大戦略(システムソフト・アルファー)と三国志(光栄)の両シリーズも人気だったよね。
三国志(光栄)は、
現在もシリーズ展開されて次々と名作を生み出しているけど、
大戦略は
現代大戦略やキャンペーン版 大戦略II、現代大戦略EXなど
PC-9801以降のシリーズでは、いまいち精彩を欠くことが残念だね。
こうしてPC-98にあらずんばシミュレーションゲームにあらず、という状態が長く続くことになるのだ。
1980年代の名作シミュレーションゲーム
ここでRPG黎明期から1988年までのPC-6000、PC-8800、PC-9800系統の名作RPGをご紹介させて頂きます。
発売年 | ゲームタイトル | メーカー |
1985年 | 現代大戦略 | システムソフト |
1985年 | 三國志 | 光栄 |
1986年 | 信長の野望 全国版 | 光栄 |
1987年 | 蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン | 光栄 |
1988年 | 狂嵐の銀河 Schwarzschild | 工画堂スタジオ |
1989年 | 水滸伝 天命の誓い | 光栄 |
1989年 | シュヴァルツシルトII 帝國ノ背信 |
工画堂スタジオ |
1989年 | 天下統一 | システムソフト |
1989年 | 提督の決断 | 光栄 |
1989年 | キャンペーン版 大戦略II | システムソフト |
1989年 | 三國志II | 光栄 |
一度眠りについたアドベンチャーゲーム
アドベンチャーゲームのはじまりは、
アメリカの1975年に登場したコロッサル・ケーブ・アドベンチャーや
1980年代はじめゾーク(Zork)三部作の誕生により、
アドベンチャーゲームというジャンルが確立され
日本ではじめてテキストアドベンチャーゲームが登場したのが、
月刊アスキーのエイプリルフール企画として
1982年4月号綴じ込み付録である『年刊AhSKI!』2号に掲載されたゲーム、表参道アドベンチャーや
日本初のグラフィック・アドベンチャーゲーム、
ミステ リーハウス(マイクロキャビン社)だと言われているよ。
1982年当時の表参道アドベンチャーの解説を見ると、
その記事で昨今話題のロリコン&アニメ風じゃないゲームと紹介されている。
つまりこの頃には既にロリコン&アニメ風のゲームが話題の昨今だったということが分かる。
うーむ古今東西『ロリコン&アニメ絵』は不滅だな。
アドベンチャーゲームはもともと、
ミステリーハウスや表参道アドベンチャーに代表されるように、
その場にふさわしい行動を取るためにコマンドを入力するコマンド入力式だったの。
そこから海外では入力した文章を判断する構文解釈エンジンによる自動生成へと進化し、
一方の日本ではコマンド選択式に進化したんだよ。
アドベンチャーゲームのブーム、そして停滞期
しかしその後アドベンチャーゲームは、
一時のブームから一転して、停滞期に突入してしまうんだ。
なぜブームから停滞の道へと進んだのかというと
1983年に発売されたポートピア連続殺人事件やミステリーハウスのように、
アドベンチャーゲームとはその場にふさわしいコマンドを入力して解決する言葉探しゲームだった。
ところが1984年に堀井雄二さんが発表した、
名作、北海道連鎖殺人オホーツクに 消ゆあたりから採用されたコマンド選択式システムによって、ゲームとしては劇的に遊びやすくなり、
一気にアドベンチャーゲーム・ブームが訪れるんだ。
でも移動先で適切なコマンドを選ぶゲーム性は、
それだったら移動が見やすくて戦闘が付いてるRPGのほうが、ゲームとして正しい』ということになってしまったの。
アドベンチャーゲームは移動方法が不自由で戦闘のないRPGにされてしまったの。
それでアドベンチャーゲームは、
RPGに至るための過渡的なシステムだという判断をされてしまい、
RPGが定着した世界では用済みとして放り出されしまったの。
これがアドベンチャーゲームが長い眠りにつかなければならなかった理由なのよ。
堀井雄二さんのRPGへの挑戦
ポートピア連続殺人事件やオホーツクに消ゆで
パソコンのアドベンチャーゲーム・ブームに火をつけた堀井雄二さんは、
1985年 発表の軽井沢誘拐案内を最後に、
家庭用ゲーム機・ファミコンに関心を持つようになり
ファミコン版ポートピア連続殺人事件(1985ン月11)を発表後に、
RPGであるドラゴンクエストに制作に着手することになるんだ。
1985年頃から堀井雄二さんは、
アドベンチャーゲーム』というゲームシステムに、すでに疑問を抱いていたんだ。
その疑問とは、
アドベンチャーゲームは謎解きやストーリーに負う部分が大きい分、
一度と解き終わってしまうと、ゲームの面白さは終わってしまうということなんだ。
そこで堀井雄二さんは、
当時夢中で遊んでいたウィザードリィやウルティマなどの、RPGに興味を持つんだ。
RPGなら、
堀井雄二さんの得意な謎解きやストーリー性の中に
主人公たちの育成するレベルを上げるやアイテム収集など
さまざまな面白さを仕掛けることができるという
アドベンチャーゲームにはないRPGのゲーム性に惹かれ
1986年にドラゴンクエストを発表するんだ。
そしてドラゴンクエストは、シリーズを重ねるごとに人気が上昇し
1988年のドラゴンクエストIIでは、社会現象になるほどの人気作品になるんだ。
堀井雄二さんが、
何故、アドベンチャーゲームからRPGに興味を持つようになったのか?
については、別ページで詳しく掲載していますので
ご興味のある方は、是非ご参照下さい。
1980年代の名作アドベンチャーゲーム
ここでアドベンチャーゲーム黎明期の1982年から1987年までの
PC-6000、PC-8800、PC-9800系統の
名作アドベンチャーゲームをご紹介させて頂きます。
発売年 | ゲームタイトル | 機種 |
1982年 | ミステリーハウス | PC60/88/98 |
1983年 | MYSTERY HOUSE | PC60/88/98 |
1983年 | ポートピア連続殺人事件 | PC60/80mkII/88 |
1984年 | Transylvania | PC88 |
1984年 | サラダの国のトマト姫 | PC60/80mkII/88 |
1984年 | 北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ | PC60/88/98 |
1985年 | 道化師殺人事件 | PC88/98 |
1986年 | ウイングマン2 | PC88/98 |
1986年 | 北斗の拳 バイオレンス劇画アドベンチャー | PC88/98 |
1986年 | 殺人倶楽部 | PC88/98 |
1986年 | カサブランカに愛を | PC88/98 |
1986年 | 太陽の神殿 ~ASTEKA II~ | PC88/98 |
1987年 | マデリーン ~亡き王女のためのパヴァーヌ~ | PC88 |
1987年 | ジーザス | PC88 |
1987年 | うる星やつら ~恋のサバイバル・バースディ~ | PC88/98 |
今回はここまで、
次回は、1990年代はじめの『PC-9801』黄金時代
~『PC-9801時代』のゲームたち~ をご紹介します。
ご視聴ありがとうございました。
トゥットゥルー♪