第5回ハドソン『ファミコン 開発ツール』づくり – 『ハドソン』のファミコン参入物語
今回は、
第5回ハドソン『ファミコン 開発ツール』づくり – 『ハドソン』のファミコン参入物語
をご紹介します。
ハドソン ファミコン参入 開発ツールづくり
『ハドソン』は1983年秋に、『ファミコン』への参入を決断するんだ。
そして、『ファミコン』の『開発環境』をつくりはじめるんだ。
おー、『ファミコン』の開発環境
『ゲーム機』の『ビジネスモデル』とは?
1980年代はじめに『ファミコン』の『開発環境』をつくりはじめるというのは、決して簡単なことではなかったんだよ。
当時『家庭用ゲーム機』は、まだ黎明期の時代で
すべてのことが、手探りの状態だったんだ。
『ファミコン・ゲーム』の制作環境
まずはじめに『ファミコン・ゲーム』の制作環境が、どのようなものであったのかを、ご紹介します。
この頃はまだ『家庭用ゲーム機』の『サードパーティー』というものは存在していない時代。
今なら『ゲーム機本体』を発売している『ソニー』や『任天堂』が、『ソフト会社』に『ゲーム開発用のキット』や『ハードウェア』を貸出し、開発をしてもらう
そして『ゲーム機メーカー』は、
『ソフト』の製造や流通を受け持ち
『ソフト会社』から『ゲームソフト』の売上の一部を『ライセンス料金』として徴収する、
という仕組みになっているんだけど、
この頃『任天堂』は
自社だけで『ファミコン』の『ゲームソフト』を発売してゆくつもりだったので、
『ソフト会社』に『ゲームソフト』を作ってもらうという『発想』はなかったんだよ。
『パソコン業界』の『ビジネスモデル』とは?
一方の『パソコン業界』では、
パソコンを作る『NEC』や『シャープ』などの『パソコンメーカー』と『ソフト』を作る会社が独立していたんだ。
やがで『パソコンメーカー』は、
良質の『ソフト』が沢山揃っているパソコンが売上増加につながることに気づきはじめ
『パソコンメーカー』は『ソフトハウス』に『ソフト』を沢山つくってもらえるように、積極的に行動し始めるんだ。
そして1982年頃から、
『パソコンメーカー』は、
ソフト会社に積極的に『ソフト』を作ってもらうために機種の貸し出しや
ソフト開発しやすいように『サポート』するという
今で言う『サードパーティー』の『発想』が生まれ始めていたんだよ。
黎明期の『家庭用ゲーム業界』
一方、日本の『家庭用ゲーム業界』は、
『ファミコン』の登場でようやく市場が生まれたばかり
『任天堂』にとっては『ソフト会社』にファミコン用のゲームを積極的につくってもらうことが、
『ファミコン』の販売に大きく貢献するという『発想』は『任天堂』にはまだなかったんだよ。
アメリカの『家庭用ゲーム機市場』の崩壊
もちろん『任天堂』は、
アメリカの『家庭用ゲーム市場』で『アタリ社』の『ゲーム機』が大ヒットした時に
『ソフト会社』が粗悪なゲームを大量に市場投入したために、
『家庭用ゲーム市場』が崩壊したことは知っていたんだけどね。
後に、日本で『アタリショック』と言われる出来事だね
その時『ハドソン』は?
『パソコン業界』でソフトを開発してきた『ハドソン』にとって
おもしろい『ハード』が販売されれば、その『ハード』に対応した『ソフト』を発売することは、当然の流れだったんだよ。
そして、ゲームの開発をするための『開発環境』を自社内につくってしまうことは、『ハドソン』にとって当たり前のことだったんだ。
『ファミコン』の開発環境はどうしよう?
『ファミコン』の開発環境の打ち合わせ
『ファミコン』の『開発環境』はどうやってつくっていきましょう
そうだなー、我社の『開発拠点』は『札幌』と『東京』にあるからなあ
まあ、どっちの『開発拠点』にも『ハード』と『ソフト』に精通した人材が揃っているから、心配ないと思うけど
『札幌』は
『ハード』と『ソフト』に精通した『野沢』さんが中心になって開発を進めてもらって
『東京』は
『ソフト』に詳しい『中本』さんがいるし『ハード』のプロフェッショナルも揃っているから、大丈夫だろう
ハドソンの開発拠点
当時『ハドソン』の『開発拠点』は『札幌本社』と『東京支社』があったんだ。
そして『ファミコン』の『ゲーム開発環境』は、
『東京支社』は『ファミコン』の『ロードランナー』や『ボンバーマン』など数多くのゲームを手がけることになる
『中本』さんが中心になり、開発をはじめるんだ。
そして『札幌本社』は、
『ファミコン』の『シューティングゲーム』で有名な『スターソルジャー』などを手がけた『ハドソン』の『エースプログラマー』の一人、『野沢』さんが中心になってはじめられたんだ。
『ファミコン』の『ゲーム開発』に必要なツールは?
そして『ファミコン』の『ゲーム開発』に必要な、
『開発ツール』の打ち合わせが行われたんだ。
開発メンバーは、決まったことですし
次は『開発ツール』ですね。
どんな『開発ツール』が必要でしょうか?
そうだな
『ゲームソフト作り』には、
『キャラクター』や背景を作る『グラフィックエディタ』と
それを動かす『プログラム』と
その『プログラム』を『ファミコン』で動作するかどうかを、確認できる『検証ツール』が必要だよな。
『ゲーム開発』には、
パソコンで『ゲームプログラム』を記述して、
その『プログラム』が『ファミコン』で動作するかどうかを確認する、『ゲームシミュレーター』が必要ってことですね。
そうだなー
『グラフィック環境』は、なんとかなるとして
問題は『ファミコン』で『プログラム』が無事に動作するのか確認する、『ゲームシミュレーター』の開発だな
『パソコン』の『ソフト開発』とちがって『動作検証』が大変そうですね
『パソコン』の場合、『動作検証』は『実機』のパソコンを購入して、そこで『動作検証』できますからね。
家庭用ゲームの場合、どうしましょう
うーむ、そうだな
・・・
そうだ
実機の『ファミコン』では『ゲームソフト』の『ROM』を差し込むことができる
それを利用して『ファミコン』に差し込める『ROMタイプ』の『ゲームシミュレーター』を開発するのはどうだろう?
それいいアイディアですね
そうなると『ゲームシミュレーター』を乗せるための『ROM』の『回路設計』が必要ですよ
まあ、『ハード』の設計は専門のスタッフがいるからなんとかなるだろうし
『ROM』に乗せる『ゲームシミュレーター』もパソコンで『ソフト開発』した経験があるから大丈夫だよ。
『ROMシミュレータ』とは
『ROMシミュレータ』とは
『プログラム』した『ゲーム』を、実際に『ファミコン』で動作するかを検証するための『ツール』なんだよ。
『ハドソン』では、
実機である『ファミコン』に『ROMカートリッジ』を差し込むことを応用して
『ゲームシミュレータ』が内蔵した『ROMカートリッジ』を『自作』したんだよ。
すごい、『ROMカートリッジ』の『自作』
『ROMシミュレータ』とは?
ROMシミュレータって、どんなものなの?
この『ROMシミュレータ』は
『3つ』のツールで構成されているんだ。
1つは『ファミコン』の『カートリッジ』部分に差し込む『ROMカートリッジ』と
2つ目は、その『ROMカートリッジ』に組み込む『ソフトウェア』の『シミュレータ』と
最後に、その『ROMシミュレータ』を『パソコン』からコントロールするための『プログラム』
この『3つ』で構成されているんだよ。
すごく、大変そう
『ハドソン』の自作『ROMシミュレータ』
『ハドソン』の自作する『ROMシミュレータ』の流れは、こんな感じです。
まず『パソコン』で『ゲームプログラム』を記述する
それから、作成した『プログラムデータ』を『パソコン』の『ケーブル』を通して、自家製の『ファミコンROMカートリッジ』に流しこむ
『ROMエミュレータ』だね
そう、その『ROMエミュレータ』が起動して
『ファミコン』経由で『プログラム』したゲームがテレビに映し出されるという、仕組みを考えたんだよ。
おー、すごい
この『ROMエミュレータ』が開発できれば
『プログラム』したゲームが、実際の『ファミコン』で遊べるかどうか確認することが出来るんだよ。
便利だね
『ハドソン』のスタッフは
『ROMシミュレーション』を設計し、自家製の『ROMカートリッジ』を『半田コテ』を駆使して作り上げたんだ。
そして『シミュレーションソフト』は『アセンブリ言語』で書き上げたんだよ。
すごい
これは、『ハード』と『ソフト』に精通した人材が豊富に揃っていた『ハドソン』だからできた芸当だよ。
当時の『ハドソン』には、『ソフト』だけでなく『ハード』にも精通した『強者』が揃っていたんだよ。
ハドソンは『技術者集団』だったんだね。
そして『ハドソン』は
ゲームの『キャラクター』や背景を作成する『グラフィックツール』もその『ROMシミュレータ』の中に組み込んだんだ。
そうすると、『グラフィックツール』でつくった『キャラクター』や『背景』を
『ファミコン』の画面を通して『編集』や『テスト』ができるようにしたんだよ。
この『開発環境』のおかげで、
『ハドソン』では『ゲームグラフィック』の開発がスムーズにできるようになり。
他のゲーム会社より、大きなアドバンテージを得ることができたんだよ。
便利そう
『ハドソン』のパソコン環境
『ハドソン』は
『ファミコン』のゲーム開発用の『パソコン』には『シャープ』の『X1』を採用するんだ。
これはこの頃、『ハドソン』が『X1シリーズ』を中心に『ソフト開発』をしていたからなんだけど。
そして『OS』には『8ビットパソコン』の当時『デファクトスタンダード』だった『CPM-80』を利用したんだ。
おー、『CPM』
『ハドソン』、『開発環境』の完成
1983年の冬には、『ハドソン』の『ファミコン』の『開発環境』が完成するんだ。
『開発環境』が整った『ハドソン』は、
いよいよ『任天堂』に『ゲームソフト』を販売する許可を得るために、動き出す。
ハドソン社内会議
『ファミコン』の『開発環境』も整ったことだし
次は『任天堂』に『ファミコンソフト』の販売許可を取り付けなければならない。
はい『任天堂』の交渉さえうまくいけば、いつでも『ゲーム開発』が始められますよ。
よし、これで準備は整った
諸君、賽は投げられた
『任天堂』に乗り込むぞー
乗り込むぞー
今回は、ここまで
次回は、いよいよ『ハドソン』と『任天堂』との『ゲームライセンス』の『交渉』が始まる。
この『交渉』が、
それ以後の『家庭用ゲーム機』の30年にものぼる『ビジネスモデル』になるとは、
『任天堂』にとっても『ハドソン』にとっても思いもよらないことだった
ご閲覧ありがとうございました。