1975年に実施された二輪免許制度の大改正 「中型(二輪)」と「限定解除(大型)」の分離

1975年に実施された二輪免許制度の大改正、すなわち「中型(二輪)」と「限定解除(大型)」の分離について、背景・内容・その後の影響を詳しくご紹介します。
🏍️ 背景 無制限時代の危険性
1970年代初頭までは、自動二輪免許=排気量制限なしでした。 そのため、18歳で免許を取った直後に Z1(900cc)やCB750Four にも乗れてしまう時代。
当時の社会状況は以下のとおりです。
・CB750Four(1969年)やZ1(1972年)など、“ナナハン・リッターバイク”ブームが到来
・若年層が高出力車を扱いきれず、死亡事故・重傷事故が急増
・政府・警察・メーカーが「排気量ごとの技量差」を問題視
・若年層が高出力車を扱いきれず、死亡事故・重傷事故が急増
・政府・警察・メーカーが「排気量ごとの技量差」を問題視
この結果、1975年に運転免許制度の分離改正が実施されました。
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📜 1975年の制度改正概要
| 区分 | 内容 | 条件・特徴 |
|---|---|---|
| 普通自動二輪(中型) | 排気量400cc以下 | 教習・試験で取得可能。一般ライダーの主流へ。 |
| 大型自動二輪(限定解除) | 排気量制限なし(750cc超も可) | “限定解除試験”に合格した者のみ取得可能。非常に難関。 |
| 小型限定(125cc以下) | 従来通り | 生活用・通勤向け区分として残存。 |
🧩 「限定解除」試験の厳しさ
この制度で生まれた「限定解除」は、当時のライダーにとって登竜門的存在でした。
・試験場で行う“一発試験”のみ(教習所での取得不可)
・合格率は1〜3%台(一部では“狭き門”と呼ばれた)
・試験車両はCB750など重量級マシン
・一本橋・S字・波状路などをすべてノーミスで通過する必要あり
・合格率は1〜3%台(一部では“狭き門”と呼ばれた)
・試験車両はCB750など重量級マシン
・一本橋・S字・波状路などをすべてノーミスで通過する必要あり
→ そのため、合格者は「ゴールドライダー」と呼ばれ、尊敬と憧れの対象になりました。
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⚙️ メーカーへの影響
| 影響内容 | 対応 |
|---|---|
| 若者が大型車に乗れなくなる | 400ccクラス(中型上限)に力を注ぐ |
| スペック競争の舞台が移動 | 「250cc」「400cc」が主力市場に |
| 高出力化が加速 | 出力59ps・45psの“自主規制戦争”へつながる |
つまり、1975年の免許制度分離こそが、80年代「スペック戦争」の導火線でした。
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🔁 その後の流れ
| 年代 | 変化 |
|---|---|
| 1980〜1990年代 | 限定解除試験が伝説化(合格者は英雄扱い) |
| 1996年 | 「大型自動二輪」教習所での取得が解禁(制度再編) |
| 2000年代以降 | 教習所で段階的に取得可能、若者の大型回帰が進む |
🚦 まとめ
・1975年の免許制度分離は、安全対策としての「排気量と技量の切り分け」を目的とした。
・これにより、400ccクラスが“国民的スポーツバイク”として黄金期を迎える。
・同時に、限定解除はライダーの憧れとして語り継がれる伝説となった。
・これにより、400ccクラスが“国民的スポーツバイク”として黄金期を迎える。
・同時に、限定解除はライダーの憧れとして語り継がれる伝説となった。
名言: 「壁があるから挑む。挑む者がいるから、道は広がる。」 — 限定解除ライダーの精神
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