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【ゲーム音楽】最終回ゼビウス・ディグダグ・サウンドの生みの親、慶野由利子~ナムコサウンド・音楽の魅力~

ナムコ(namco)

最終回ゼビウス・ディグダグ・サウンドの生みの親、慶野由利子~ナムコサウンド・音楽の魅力~

今回は、『慶野由利子』さんの貴重な『ナムコサウンド』の証言
をお送りします。

一番気に入って曲は?

ナムコ時代に手がけた曲で一番気に入っているのは『パックマニア』の『ジャグリーステップス』という無調音楽ですね。

 

1984 [60fps] Pac-Land

もうひとつは『ディグダグ』です。
はじめて手がけた作品ということもありますけど、
『効果音』の作り方のとても勉強にもなりました。

 

『ディグダグ』のモンスターが破裂する音は、実は・・・

『ディグダグ』でモンスターが破裂する『効果音』があるのですが
実は『音程』のある曲(楽譜)の超高速再生となんです。

【ファミコン】ディグダグ【100面クリア】

『ゼビウス』で一番気に入っている『音』は?

『ゼビウス』で一番気に入っている音は『シオナイト』合体音ですね。
形も音も現実世界ではありえない。かっこいいので大好きです。

ナムコ ゼビウス エシオナイト & ガルザカート/Namco Xevious Sheonite & Garu Zakato

なぜ『ナムコ』は、ゲーム業界初の音楽専門職採用したの?

なぜ『ナムコ』は、ゲーム業界初の音楽専門職採用したのですか?

そうですね、当時の『ナムコ』がなぜ音楽専門職を必要としたのか
ということから言いますと

 

理由は、2つあるんです。

1つは、

1979年に『ギャラクシアン』

そして1980年に『パックマン』と2年連続で大ヒットが出たことです。

 

そしてもう1つは

『音色』を作れるという点で、他社よりもサウンド面で抜きん出ていたため

 

『音』のプロを採用しようと思ったそうなんです。

 

この2つがそろっていたため
『ナムコ』は東京藝術大学に求人を出したそうなんです。

 

私が、入社後にそう採用担当者から聞きましたよ。

よく、あの頃の『慶野』さんたちの『ナムコ』の音は素晴らしいかったですね。
って言われることがあるのですが。

 

ナムコが素晴らしかったのであって,私はたまたまその一員になれただけですよ。

レコード会社を蹴った理由は?

『ナムコ』に採用された時、
本当は、外資系レコード会社からも内定をもらっていたんです。,

 

でのレコード会社から、

レコード業界は過飽和。藝大の楽理科出身の方に事務を頼むわけにも……

と言われたんです。

正直、入社してもつまらなそう と思っていました。

だけど、『ナムコ』は当時知名度こそなかったのですが、

 

面接時に

 

この会社は私を音楽家として扱ってくれる

 

と感じたので、入社を決めました。

『ゼビウス』は民族音楽?

私は、幼少の頃からクラシックを学んできたのですが、
高校生の頃には行き詰まり感を覚えるようになっていたんです。

 

このままクラシックを続けることに先が見えなくなって,
大学では『日本の伝統的な音楽』や『民族音楽』などについて研究していて

『インドネシア』の『ガムラン』や『韓国』の『カヤグム』の演奏も学んでいました。

『ゼビウス』のBGMにもガムランの要素を感じるところがあるかも

そうおっしゃってくださる方も確かにいます。そういうことにしておきましょう

『ナムコ』のゲーム音楽製作の環境は?

当時の『ナムコ』のゲーム音楽製作の環境は、どんな感じだったのですか?

私がが配属されたのは

『ナムコ』の開発部・開発課・第1電子開発係という部署なんです。

人数は、確か十数名でしたね。

 

私以外は全員、エンジニアで、
タイトルごとに基板の設計(ハード)を担当したり,
プログラム(ソフト)を担当したりという状況でした。

 

あの頃は、全員が20代で,部活のようにワイワイガヤガヤにぎやかに作業を進めていましたよ。

 

みんな若かったですからね。

まるで機械語を話すようなスタッフの中で

私が、音楽専門スタッフとして当時のナムコに入社しましたが、

ハード屋ソフト屋をこなす、

まるで機械語を話すような開発スタッフの中に飛び込む形になったんですよ。

 

だから、『ナムコ』に入社してから、
コンピュータに関わる知識などを必死に勉強しながら仕事することになったんです。

 

当時は電子工学科がある大学を卒業して入社することは、珍しくて
入社してからプログラムを学ぶ人も少なくなかったですからね。

【慶野由利子】さんの師匠、『大野木宜幸』さん

私も,ゲームのサウンドの作り方を先輩の『大野木宜幸』から手取り足取り教わりましたよ。

 

でも、技術的な部分はわからないので、

当時から作曲だけというか、音符だけ書いてあとはお任せしていました。

『大野木』さんの作った、サウンド開発基板

先輩である『大野木』さんに治具(工具の制御などを行う装置)を作ってもらって

 

その機械は、打ち込むと打ち込んだ内容の音が流れるんです。
テーブル筐体の特別仕様のサウンド開発用基板なんですが、

 

それを使ってよくサウンドの確認をしていましたね。

『ナムコ』の盗難防止

あの頃から、企画などを競合他社に盗まれないよう,
開発現場の住所は完全に隠蔽されていて,
社内のパーティションにも鍵がかけられていましたね。

 

当時から企画の漏洩には、厳重管理を徹底していましたね。

 

当時のサウンドの作り方は?

ゲームのBGMと『効果音』について

ゲームのBGMでは、『効果音』と紛らわしい音は使えなかったんです。
でも、私はそういう音を曲に混ぜ込むのも好きなのです。

『遠藤雅伸』さんも、のちのインタビューで

遠藤
遠藤

『慶野』さんのサウンドは『効果音』や『爆発音』が特に素晴らしいかったですねー。

と証言されています。

当時のナムコのアーケードゲームの作り方は?

当時の『ナムコ』では、アーケードの場合は、

企画書が下りて来たら

『プログラマー』『ハードの設計者』『デザイナー』『サウンド担当』が一緒に集まって、

 

そこからスタートしていましたよ。

 

私の頃(1980年代)は、アーケードはそういう作り方でした。

どんな筐体にするか、レバーやボタンをどうするか、というところから決めて、基板の設計から始めていってましたね。。

 

『ナムコ』の『波形メモリ音源・C30』について

当時はプログラムで制御だったので、簡単にパラメーター調整ができなかったですよね。

 

『C30音源』が使われていた時期は、約3年間程度と短っかたですから
本来持っているポテンシャルのすべてを引き出せなかったかもしれませんね。。

 

でも『ナムコ』では1979年頃から『波形メモリ音源』という
『音色』というものを作ることが出来る基盤が存在したのは画期的でしたね。

ファミコンのサウンド作りについて

私はアーケードが中心で、

ファミコンの仕事は『さんまの名探偵』のメインBGMと『スターウォーズ』のオープニングの編曲だけでしたね。

 

当時、ファミコンの音源は『矩形波』2つと『三角波』1つとノイズが利用できたんですけど
DPCM(サンプリングした音声を再生する機能)はありませんでしたね。

 

しかも、『三角波』はベース専用で、
高音に使おうとすると甚だしく音高が不正確になるので、作曲が大変でした。

ファミコン(ファミリーコンピューター)

コンピュータを使って音楽を作ることについて

コンピュータを使って音楽を作ることは,
人間の不得意な部分が得意なところが面白いですね。

同じことを何度でも繰り返せますし,
同じも音色でも、すごく高い音から低い音まで出せるんです。

 

そういった、人間ではできないことをやりたいと思いながら
サウンドに挑戦してきましたね。

 

従来の楽器を真似するのではなく,新しい楽器と捉えて新しい音楽に挑戦していきたいですね。

当時の『ナムコ』の『エンジニア』は言わば楽器職人。

『楽器職人』と『作曲家』が一緒になって新しい音楽を作り出すという、

すごく幸せな環境でしたね。

NAMCO-ICON

現代音楽と伝統音楽について

そうですねー、大学時代。日本の現代の音楽を作っていくことを考えていました。

 

現代に重きを置くとゲーム音楽やコンピュータを使った音楽。
日本に重きを置くと伝統音楽。私にとってはの部分は同じです

 

ゲームは、みんなの歴史

日本の音楽は歴史的に『ボーカル付きの音楽』がほとんどだったんですよね。

 

特に子ども達は『アニメソング』や『CMソング』に親しんでいましたね。

 

でも,ゲーム音楽は、
ゲームが台頭した1980年代前後の技術ではまだ『ボーカル』を入れられなかったため
『インストゥルメンタル』なのに子ども達を含めた若い世代に広く普及したんです。

 

これは、日本の音楽の歴史の中でも初めてのことじゃないかと思うんです。

 

ゲーム音楽について語り継いでいくことは,民俗学につながると思うですよ。

ファミコンブーム

ゲーム自体やそれを作った人だけでなく,
それが誰に使われていたのかが大事なんです。
だからプレイヤーの皆さんの証言はとても大切なことだと思いますよ。

 

それが、ほんとうの歴史になると思うんです。

 

ゲームは『現代の民俗学』

ゲームについて記録したり調べたりすることは、現代の民俗学だと私は思っています。

 

民俗学の対象は、生活用品だったり娯楽だったり、同時代では文化として認められていなかったものが中心です。

 

そこに価値が見出された頃には、だれが作ったものかすらわからなくなっている。

 

ゲームも30年経ってようやく価値が認められてきたところ。

これからはゲームについて整理して記録していくことが重要になってくると思います。

今回はここまでご閲覧ありがとうございました。

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