【最終回】『ギャラクシアン』の衝撃と『任天堂』の挑戦
~ファミコン誕生前史~
今回は
『ギャラクシアン』の衝撃と『任天堂』の挑戦
~『ファミコン』誕生物語前史~
をご紹介します。
『ファミコン』はなぜ成功できたのか?
多くのライバル『家庭用ゲーム機』たち
『ファミコン』はなぜ成功できたのか?
『ファミコン』が、発売されたのは1983年。
そして1980年はじめには、多くのライバル機種が発売されていたんだ。
1981年は『エポック』から『カセットビジョン』
1982年は『トミー』から『ぴゅう太』
そして1983年は『MSX』、
『アタリ社』の『ATARI2800』(VCS)
『セガ』から『SG-1000』と『SC-3000』
『バンダイ』から『RX-78』など
RX78、ガンダム?
1984年には『エポック』から『スーパーカセットビジョン』
1985年は『MSX2』
そして『セガ』・マークIII』の発売
すごいー
たくさん発売されていたんだね。
当時は、『エポック』の『カセットビジョン』や
『セガ』の『ゲーム機』や
『MSX』のほうが注目されていたのだよ。
そこへ全く無名だった『任天堂』の『ファミコン』が、
このライバル達を押しのけて
圧倒的な販売数を記録するのだよね。
何故『ファミコン』は成功したのだろう?
何故『ファミコン』は成功したの?
うむ、それでは、ファミコンの成功の秘密を探るために
『ファミコン』が発売された、1983年に注目されていた
『セガ』の『SG-1000』や『MSX』と比較してみよう。
比較?
そう、『価格』と『CPU性能』と
『グラフィックチップ』を比べてみたんだよ。
『価格』は、
『ファミコン』が、14,800円
『セガ』の『SG-1000』は、15000円
『MSX』は、いろんなメーカーが発売していたんだけど、
平均をとって、50000円
うーむ『MSX』は、パソコンとしてはお買い得。
『セガ』の『SG-1000』は、
『ファミコン』と値段は変わりないね。
次に、CPU
『ファミコン』は、『リコー』の『6502』カスタマイズされたもの
『セガ』の『SG-1000』と『MSX』は、
『ザイログ社』の『Z80』カスタマイズ版
CPUに関しては、同じ『8ビットCPU』で
性能の差は、ほとんどないんだよね。
それじゃ、『CPU性能』は五分五分ってことかな?
高性能な『ファミコン』の『グラフィックチップ』
最後に、『グラフィックチップ』
『ファミコン』は、
専用に開発された『リコー製』の『PPU』(RP2C02)
そして、『セガ』の『SG-1000』と『MSX』は、
既製品『テキサス・インスツルメンツ社製』(TI)の『TMS9918』
『ファミコン』は、
『リコー』と共同で専用の『グラフィックチップ』を開発しているだ。
そして『セガ』の『SG-1000』と『MSX』は、
当時、ベストセラーになった『TI社製』の
『TMS9918』を採用しているんだ。
『任天堂』は、当時人気だった既製品の『グラフィックチップ』を採用しないで、
わざわざ、『ファミコン専用のチップ』を開発しているんだ。
『シャア専用ザク』って感じかな
解像度は、
『ファミコン』が『256ドット×224ドット』
『セガ』『MSX』は、『256ドット×192ドット』
あまり差がないような。
ところが、色数は、
『ファミコン』が『56色』
『セガ』『MSX』が『16色』
そして、一画面の『スプライト数』は、
『ファミコン』は『64枚』
『セガ』『MSX』が『32枚』なんだ。
スプライス?
『スプライス』に関しては、後ほど解説させて頂きます。
ということは『任天堂』の『ファミコン』は、
『グラフィック性能』に力を入れていたってこと?
そうなんだ。
『ファミコン』の開発者は、
『アクションゲーム』や『シューティングゲーム』などが、
快適に遊べるように『ファミコン』をチューニングしているんだよ。
これは、当時ゲーム業界で最先端を走っていた
『アーケードゲーム』の影響を大きく受けているんのだよ。
『アーケードゲーム』?
そう、『ファミコン』を開発した『任天堂』の開発チームは、
ある『アーケードゲーム』に大きな影響を受けたんだ。
そして、試行錯誤を繰り返して
『ファミコン』を完成させたんだ。
と言うことで
『ファミコン』開発に大きな影響を与えた
『アーケードゲーム』についてご紹介します。
『任天堂』のアーケードゲームへの挑戦
『任天堂』開発部
上村部長ーー
なんだね。
すごいゲームが、『ナムコ』から発売されましたよ。
・・・・・・・・・
なんだこれはーーー
はい、『ギャラクシアン』です。
このなめらかな動きは?
こんなたくさんの敵が、表示されると、
素早く動かすことが難しいはずなのだが・・・
この技術はすごい・・・
『インベーダーゲーム』とは、まるで別もののゲームだな。
そんなに、衝撃的だったの?
『ナムコ』から発売された『ギャラクシアン』は、
『タイトー』から発売された『インベーダーゲーム』とは、
まるで別の作り方をしていたんだ。
それまでの『インベーダー・ゲーム機』は、
敵の数が多いときには動きが遅く、
敵の数を減らしていくと動きが素早くなり、打ち落とすことが難しくなるという仕掛けになっていた。
これは、ゲームを盛り上げる演出の一つであると同時に、
『ハードウエア』の制約でもあったんだ。
『インベーダー・ゲーム機』は、
1画面ごとに画面を描き換える『フルグラフィックス』(ビットマップ)方式を採用していたんだ。
『フルグラフィックス』(ビットマップ)方式?
この方式では画面にたくさんの『キャラクター』を表示すると、
素早く動かすことが難しい。
ところが『ギャラクシアン』は
画面にたくさんの敵を表示しているにもかかわらず、
きらめく『星くず』が滑らかに動いていた。
当時、『任天堂』の『上村部長』は当時を回想して
『ギャラクシアン』の
たくさんの『キャラクター』を表示されながらも、滑らかに動く画面表示の技術に
『技術者としてショックを受けた』と証言しているよ。
『ギャラクシアン』に使われていたのは、
『スプライト』(オブジェクト)方式だった。
『スプライト』(オブジェクト)方式?
『スプライト』(オブジェクト)方式とは、
当時の処理能力の低いCPUでも、ゲームの『キャラクター』が滑らかに動くように
速く、滑らかに動かしたい『オブジェクト』(スプライト)を専用のグラフィックチップで描写する技術だよ。
アーケードゲームで躍進する『ナムコ』
『ナムコ』は、『アーケードゲーム』でこの最先端の技術を利用して
現在のゲーム機では当たり前の機能を『ギャラクシアン』は先取りしていたのだ。
この後『ナムコ』は、
この技術を利用して、1980年以降『パックマン』『ギャラが』『ディグダグ』『マッピー』や
そして1983年の『ゼビウス』などを大ヒットさせるんだ。
そして『アーケードゲーム』は、『スプライト』(オブジェクト)方式が、主流になってゆくんだ。
任天堂の『ギャラクシアン』への挑戦
『任天堂』開発部会議
『上村部長』
諸群、これからのゲームは、『スプライト』方式が主流になってゆく。
『ギャラクシアン』を超えるゲームをつくるぞー。
おーーー
こうして、『ギャラクシアン』との出会いを契機に、
『任天堂』開発部は『スプライト』表示のための回路方式の開発に没頭していった。
やりすぎた『上村部長』
『任天堂』開発部は、燃えていた。
なんとして、『ギャラクシアン』を超えるゲームを
他社にない性能を達成すべく、次々と新技術を投入
ECL入出力の『高速論理IC』
『高性能メモリ』
『多層プリント配線基板』
『クロック周波数50MHz』などなど
?
上村部長は、燃えていた
任天堂開発部も、萌えていた。
そして
・・・・・・・
やりすぎてしまった。
・・・・・・
『任天堂』開発部は、
最技術を駆使した業務用ゲーム
『レーダースコープ』を完成させた。
そして、
売れなかった。
・・・・・・
なんで?
『レーダースコープ』は、最新技術を投入しすぎて、
『価格』が、100万円もしたんだ。
金に糸目をかけずって感じだね。
『任天堂・開発部』反省会
上村部長『レーダースコープ』は、全く売れません。
『価格』が高すぎるみたいです。
在庫の山になってしまいました。
うーむ
『ギャラクシアン』を越えようと張り切りすぎたな。
やちゃいました。
やはり、ゲームというものは、
最新技術を駆使すれば、ヒットするとは限らないということか。
社長に怒られるな。
・・・・・
まあ、なんとかなるだよう。
『レーダースコープ』の大失敗は、その後大きな奇跡を生むんだけど。
それは、また別のページで紹介します。
開発コード名、ガメコム(GAMECOM)の始動
月日は流れて、1982年6月
1982年6月『家庭用ゲーム』の開発に着手する。
開発コード名は、ガメコム(GAMECOM)
『任天堂』開発会議
『上村部長』
我々は、再び『家庭用ゲーム機市場』に参入する。
『家庭用ゲーム機市場』は、一度撤退している。
しかし、今度の『家庭用ゲーム機』はちがう。
『アーケードゲーム』で蓄積したノウハウを
『家庭用ゲーム機』に注ぎ込むのだ。
『レーダースコープ』は、失敗したが
あの時のノウハウは今も生きている。
今度の『家庭用ゲーム機』は、
『スプライト』方式を主軸とした、2万以下のゲーム機を実現させよう。
1983年、ファミコンの発売
そして、1983年
『任天堂』は、『家庭用ゲーム機』
『ファミリーコンピューター』(ファミコン)を発売する。
翌年の1984年には、初の『サードパーティ』である『ハドソン』が参入し
『ナッツ&ミルク』『ロードランナー』を発売。
そしても『アーケードゲーム大手』の『ナムコ』も参入
『ギャラクシアン』『パックマン』
そして『ゼビウス』が発売されることに。
1985年に、『スーパーマリオ』発売。
そして『ファミコン』は、国内で2000万台、全世界で6000万台出荷する大ヒットゲーム機になるんだ。
『任天堂』のアーケードゲームへの挑戦と教訓
『上村部長』、当時を振り返っていかがですか?
『インベーダーゲーム』も衝撃的でしたが、
いやー、『ギャラクシアン』もすごかった。
『ギャラクシアン』を超える業務用ゲームを目指したのですが。
やりすぎました。
我々が開発した、『レーダースコープ』の経験は、
『ファミコン』開発の時の教訓になりました。
特に教訓になったことが、2つあるんです。
ひとつが、
当時、最先端の技術を持つ『アーケードゲーム』の
『スプライト』方式のゲームを学ぶことができたことです。
これは、『ファミコン』の『グラフィックチップ』の開発に、
非常に参考になりました。
これにより、ライバルの『家庭用ゲーム機』より
『ファミコン』は、優れた『グラフィックチップ』を搭載できたんでよ。
これは、我々が得意とする
『スーパーマリオ』などの『アクションゲーム』を開発できる土台になりました。
2つ目が、
『最先端の技術を使えば、面白いゲームが作れるとは限らない』
ということを学びました。
『ファミコン』の開発の時は、
『グラフィック性能』を意識しながらも、
『価格』を2万円以下にすることに徹底的に追求しました。
アーケードゲームの開発経験があったらこそ、
高性能な家庭用ゲームを作ることができたのだと思います。
ご視聴ありがとうございました。