ジャノメアンティークミシンの歴史【創業(1921–1936)】一台のミシンを作ることは容易でも、一つの産業を縫い上げるには、技と仕組みと志が要る

ジャノメアンティークミシンの歴史【創業(1921–1936)】をご紹介します。
創業(1921–1936)
ジャノメ アンティークミシンの歴史(1921–1936)
| 年代 | 出来事 | 詳細・補足 |
|---|---|---|
| 1860年代 | 南北戦争とミシンの飛躍 | 軍服・軍靴大量生産で欧米ミシン産業が急成長 |
| 幕末 | ジョン万次郎、裁縫機械を持ち帰る | 日本家庭に入った最初のミシンと伝承 |
| 1877(明10) | 第1回内国勧業博覧会 | 今井又三郎が国産試作機を出品(単環縫・本縫) |
| 1888(明21) | 小瀬與作 誕生 | 茨城県東茨城郡山根村(現 水戸市) |
| 1913(大2) | 小瀬洋紙店 開業 | 東京・小石川、穴水要七の妹と結婚 |
| 1917(大6) | 中央護謨工業 常務 | ゴム製品の製造で工業用ミシンと接点 |
| 1914–1920 | ミシン輸入急増 | 22万円→632万円、シンガー独占へ |
| 1921(大10)10月 | パイン裁縫機械製作所 設立 | 小瀬・龜松茂・飛松謹一。小型卓上機「パイン500種」試作開始 |
| 1923(大12) | 関東大震災 | 洋装化が進み、標準型製造に着手(垂直半回転=蛇の目式) |
| 1929(昭4)3月 | 「パイン100種30型」完成 | 初の標準型本縫ミシン(垂直半回転式) |
| 1929(昭4)11月25日 | パインミシン株式会社 設立 | 資本金5万円、本社 丸の内・昭和ビル(世界恐慌下で販売苦戦) |
| 1930(昭5) | 月掛予約・月賦販売を創案 | 頭金負担を軽減、資金循環と生産計画安定化に貢献 |
| 1931(昭6) | 国産パインミシンへ改称 | 販売体制・工場整備を強化 |
| 1933(昭8) | 恵美須工場 設立 | 大阪部品工場を吸収、標準型製造拡大 |
| 1934(昭9) | 中野本社・工場 稼働 | 月産300台超。敷地に「日本洋裁学校」開校(校長 山口千代子)。「蛇の目ミシン」商標出願 |
| 1935(昭10) | – 資本金100万円に増資- 帝国ミシン株式会社へ改称- 「蛇の目ミシン」商標登録認可 | 小金井工場建設着手(量産体制へ) |
| 1936(昭11) | 小金井工場 第1次竣工 | 木造平屋。月産2,000台体制を目指す。8月に本社を日本橋・加賀ビルへ移転 |
| 1937(昭12)3月 | 小金井工場 第2次竣工 | RC2階建 約2,000㎡。月産1,500台超の安定量産を実現 |
1 ミシンとの遭遇(黎明期)
ミシン(sewing machine)は、イギリスの産業革命の流れの中で生まれ、欧米で改良が進み、アメリカ南北戦争期(1861–1865年)には軍服・軍靴の大量生産を通じて飛躍的に発展しました。その後は一般家庭にも普及し、女性の自立や生活改善に大きく寄与しました。
日本では幕末、ジョン万次郎がアメリカで購入した裁縫機械を母への土産として持ち帰ったものが、家庭に入った最初のミシンと伝えられます。1877(明治10)年には、第1回内国勧業博覧会(東京・上野)に、今井又三郎の手廻し式・単環縫ミシン(1本糸)と、本縫(2本糸)のミシンが出品されました。以後、環縫ミシン、足袋縫ミシン、和装用ミシンなどが技術者により作られ、輸入の増加とともに修理業者も登場しました。
明治初頭の文明開化や鹿鳴館時代には洋装が新時代の象徴として注目されました。日清戦争後はいったん質実剛健の風潮が強まりましたが、やがて和洋裁縫女学院(現・和洋女子大学、東京・麹町)に代表される洋裁教育が広がり、ミシン市場の裾野も拡大しました。

ジャノメは、日本初の国産ミシンメーカーとして1921(大正10)年に創業しました。以来、家庭用ミシンのトップメーカーとして歩み、2021(令和3)年に創業100年を迎えました。
2 小瀬與作の出発点
創業者の小瀬與作(おせ よさく)は、1888(明治21)年9月23日、茨城県東茨城郡山根村開江(現・水戸市開江町)に生まれました。県立水戸中学校を経て、東京で米穀商・高柳幾之助の下で住込み見習いを経験し、のちに横浜の卸商・穴水要七に認められて仲買店を任されました。1913(大正2)年、穴水の妹・たつと結婚し、東京・小石川で小瀬洋紙店を開業します。
1917(大正6)年、小瀬は穴水が社長を務める中央護謨工業株式会社の常務取締役に就任し、スポーツ用ゴムボールやゴム靴の製造を開始しました。ゴム長靴の内張り縫製には工業用(環縫)ミシンを用い、これが小瀬とミシンの本格的な接点になりました。
第一次世界大戦(1914–1918年)の好況で、日本のミシン輸入は1914年の22万円から1920年には632万円へ急増します。欧州製の輸入が途絶えると、米国シンガー社の独占状態となり、小瀬の工場でもミシンはすべてシンガー製でした。この体験が「国産ミシン開発」への強い動機となりました。
3 国産化への構想とパートナー
小瀬が目指したのは、家庭用の主力であったシンガー15種の直線本縫機を国産化することでした。当時、国内のトップ機械メーカーもミシン開発に挑んだものの、精密機構の壁に阻まれて撤退していました。小瀬は輸入修理や部品製作の職人・業者が東京・名古屋・大阪に存在することに着目し、彼らと組めば必ずや国産化できると確信します。
この折、知人の飛松謹一が、東京・滝野川で工場を営む龜松茂とミシン製造・販売を計画しているという話が持ち込まれます。1921年)。飛松は米国ニューホーム社の小型卓上機「リトルワーカー」を見出し、日本での製造・販売を構想していました。穴水は「玩具のようなミシンが国家の役に立つか」と一笑に付しましたが、小瀬は「国産技術の力を世に示す」好機と捉え、参画を決めました。
4 パイン裁縫機械製作所の創設と小型機「500種」
1921(大正10)年10月、パイン裁縫機械製作所を設立します。パインは龜松・飛松の姓「松」に由来)。試作の小型卓上本縫ミシンは長舟式シャトル機構でした。小瀬はこれを国産第一歩と位置づけ、出資のうえ共同事業としてスタートします。小型機は「パイン500種」と命名されました。
5 標準型本縫「パイン100種30型」への挑戦
関東大震災(1923年)は女性の洋装化を加速させ、ミシン需要の裾野を広げました。パインは1923年、家庭用標準型の製造に着手します。標準は最新の垂直半回転式(いわゆる蛇の目式)で、糸締まりが強く静粛性に優れる方式でした。
しかし、部品の規格・品質はバラバラで、特にカマ周りの鍛造部品や、鋳物品質の高い頭部(アーム/ベッド)の調達は難航しました。市販部品の手直しでは限界があり、自社開発に踏み切ります。課題の解決を積み重ね、1929(昭和4)年3月、標準型本縫ミシン「パイン100種30型」が完成しました。
なお、シンガー15種の機構特許は当時すでに公知となっており、意匠を除く機構面では同型製造が可能でした。パインは100種(最新・垂直半回転)/200種(長舟式)/500種(小型)/600種(500改良)のラインアップで市場に臨みました。
6 パインミシン株式会社の設立と販売の壁
1929年11月25日、小瀬を発起人総代としてパインミシン株式会社を設立(資本金5万円、本社 丸の内・昭和ビル)。しかし同年10月の世界恐慌で市況は急速に悪化し、販売は苦戦します。シンガー15種70型(3抽斗・テーブル付)は定価156円(月賦195円・頭金30円/月5円)でした。パイン100種30型は定価145円から特価116円へ値付けしても、なお苦戦しました。
小瀬は直営販売の必要性を痛感し、戸別訪問・実演・教育・保守まで一体で担う販売員を採用・育成しました。ミシンは高額で、初めて触れる機械であり、使い方の習得とアフターサービスが不可欠だったからです。
さらに、頭金の障壁を下げるため、「月掛予約・月賦販売」を考案(1930年)。毎月の掛金積立で満期受領でき、途中で月賦・現金へ変更も可能、積立額に応じた割引も利くという仕組みでした。予約前受金が月賦原資を補い、資金繰り安定・生産計画の精度向上にもつながりました。
7 体制整備 工場・学校・商標
1931(昭和6)年、社名を国産パインミシン株式会社に変更。大阪の部品工場を吸収し恵美須工場とし、1934年には中野本社・工場を稼働(標準型100種の月産300台超)。敷地内には日本洋裁学校を開校し(校長 山口千代子)、洋裁教育とミシン普及を連携させました。
製品名は、カマのボビン形状が蛇の目模様に見えることから、業界で最新式を指す通称であった「蛇の目式」にちなみ、1934年に「蛇の目ミシン」を商標出願、1935(昭和10)年11月に登録が認められました。小瀬は「国産である誇りを示すため、あえて日本名を選んだ」と述べています。
1935年10月、資本金を100万円に増資し、11月に社名を帝国ミシン株式会社へ改称。1936年8月には本社を日本橋・加賀ビルに移転し、1階に日本橋支店を開設しました。
8 量産の時代 小金井工場の竣工
中野工場は早くも手狭となり、1935年、小金井工場の建設に着手しました。技術顧問の長澤寸美遠(東京帝大機械・陸軍造兵廠出身)の指導のもと、兵器製作にならう一貫大量生産方式を採用し、高精度の治工具と最新工作機(スイス・シップ製ジグボール盤など)を導入しました。
1936(昭和11)年、第1次計画として本工場・荷造場・塗装工場・寄宿舎等を木造平屋で建設、秋に稼働。1937年3月にはRC2階建・約2,000㎡の第2次計画を完成させ、月産2,000台規模の日本最大のミシン専用工場となりました。工員は約160人、長野・山梨などから少年・少女工を採用し、未経験者でも製造可能な工程設計を実現しました。標準型100種は工員1人あたり3日に2台の高能率に達し、品質・性能は高い安定性を獲得しました。
部品の内製化(針棒・押さえ棒など)を進め、協力工場を専属化して品質・規格の統一を徹底しました。ミシンテーブルも自社生産とし、協力先の小林家具製作所を吸収、工場敷地に帝国ミシン木工部(のちの蛇の目精器)を設置しました。これにより、中野・恵美須期の合計月産500~600台から、小金井期には月産1,500台超の安定量産体制へ移行しました。
リンク
ポイント(要点)
・国産化の胆 垂直半回転(蛇の目式)の精密機構を自社開発・内製化で突破。
・販売革新 月掛予約+月賦+直営実演・教育・保守の統合モデルを確立。
・教育連携 工場敷地内の日本洋裁学校で需要創出と顧客育成を両立。
・量産基盤 小金井工場と専属協力工場網、治工具主義で品質と規模を両立。
・ブランド戦略 通称を自社商標化した「蛇の目ミシン」で国産の誇りを明示。
・販売革新 月掛予約+月賦+直営実演・教育・保守の統合モデルを確立。
・教育連携 工場敷地内の日本洋裁学校で需要創出と顧客育成を両立。
・量産基盤 小金井工場と専属協力工場網、治工具主義で品質と規模を両立。
・ブランド戦略 通称を自社商標化した「蛇の目ミシン」で国産の誇りを明示。
ひとことまとめ
国産ミシンは、技術(蛇の目式)・量産(小金井)・販売(直営月掛)・教育(洋裁学校)・商標(蛇の目)の五つの歯車が噛み合って初めて産業になりました。
名言 「一台のミシンを作ることは容易でも、一つの産業を縫い上げるには、技と仕組みと志が要る。」
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| 構造 概要 必要備品 概要 チェックリスト 消耗品/必須部品/交換推奨部品 針 歴史 系統図 世界標準(Singer 705型) アンティークミシン 規格対応表 皮革用 DB×1vs130/705H ドイツ規格 ボビン 歴史 ボビンケース 歴史 種類 見分け方 概要 詳細 動きによる判別 糸調子機構の有無 釜 概要 半回転釜(歴史) 糸調子機構 歴史 電装化 概要 モーターベルト |
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