セガメガドライブ、セガサターンの登場
~1990年代の次世代ゲーム機戦争、スーパーファミコンのライバルたち~
今回は、1990年代に、家庭用ゲーム市場で数々の競争を繰り広げた、スーパーファミコンのライバルたちをご紹介させて頂きます
このページに関する動画もYoutubeで公開してますので、ご興味のある方は是非ご視聴下さい。
スーパーファミコンのライバルたち、1990年代の家庭用ゲーム機戦争
1983年にファミコンで、家庭用ゲーム市場を開拓した任天堂は、1990年に、後継機としてスーパーファミコンを発売し
これに対し、この任天堂の牙城を崩すべく、ライバルメーカーたちは、次々と新しい機能を搭載したゲーム機を登場させ
この1990年代の家庭用ゲーム機の競争は、次世代ゲーム機戦争と言われ、ユーザーや、メディアから騒がれるようになった時代だね。
そんな、王者任天堂に挑んだ、数々のライバルゲーム機たちをご紹介させて頂きます。
打倒、任天堂、セガのメガドライブの登場
1980年代末に、圧倒的なシュアを獲得していたファミコンに対して、挑戦状を叩きつけたのが
早くから家庭用ゲーム機に参入し、任天堂に挑み続けていた、
セガエンタープライゼズだよ。
おー、セガの登場
セガは、1983年にSG1000を発売したことをきっかけに、セガマークIIや、セガマークIIIと
毎年のように、新商品をリリースするんだけど、なかなか、任天堂のファミコンの牙城を崩すことが出来なかったんだ。
この頃は、スーパーマリオや、ドラゴンクエストIIなどが大ヒットしていて、ファミコンブームの頃だったものね。
そこでセガは、1988年に、ライバルのファミコンを、遥かに超える性能のマシンを開発し、大きく勝負に出るんだ。
このセガの送り出した新商品の、キャッチコピーは、
時代が求めた、16-BIT、家庭用ゲーム機の登場
と、当時画期的だった、16ビットCPUを搭載し、
サウンドには、アーケードゲームにも採用されていた、当時最新のFM音源を搭載するなど
万を期して発売したのが、メガドライブなんだ。
おー、セガのメガドライブー
このセガらしい、個性的な家庭用ゲーム機は、メガドライバーという熱狂的なファンを生み出すなど、
独自のユーザー層を獲得することに成功し、
日本の家庭用ゲーム市場では、ファミコンや、PCエンジンに押されてしまい、業界シェアは、3位に甘んじてはいたけど
世界市場では、ファミコンと互角の戦いを演じることになるんだ。
さらに、大容量媒体が利用できる、ワンダーメガや、テラドライブなどの派生商品も次々と生み出され、
なんと、2014年以降も、全世界で数々の互換機を生むなど、セガで最も成功したゲーム機と言われているんだ。
海外では、現在でもゲームタイトルがリリースされるなど、息の長い、ロングセラー商品になったよね。
メガドライブの、最終出荷台数は、スーパーファミコンの4910万台にたいして、3075万台でした。
次世代ゲーム機、セガサターンの登場
しかし、1990年に、任天堂から、スーパーファミコンが発売されると
最新の家庭用ゲームきの前に、メガドライブのシェアは急速に奪われてしまうことになるんだ。
そのため、セガは、更に高性能な後継機を投入することに
そして、セガが考えた、次世代ゲーム機の戦略は、
こうなったら、我々の強みであるアーケードゲームのハードの技術を生かして
ライバルの家庭用ゲーム機を、圧倒的な性能でねじ伏せてやるー
というものだったんだ。
メガドライブが成功したのも、8ビットゲーム時代に、ライバルきを圧倒する、高性能な16ビットマシンを、発売できたからだもんね。
そうだね、ということで、1990年代に次々と登場する、次世代ゲーム戦争では、32ビットマシンで勝負することになり
それだけでは、満足しないのが、セガらしい発想
次は、32ビットを2基搭載して、64ビット級の、次世代機で勝負だー
と、ダブル32ビットである、自称、64ビットマシンを市場に投入したんだ。
そして、1994年に登場した、このハイパワーマシンのキャッチコピーは、
64bit級の家庭用ゲーム機が誕生する、脳天直撃、セガサターンの登場
と、当時の次世代ゲームの中でも、頭ひとつ抜きん出た、セガサターンを発表するんだ。
おー、セガサターンの登場
このマシンは、高水準な2D描画と、さらに3D機能も搭載するという、まさに最強マシンであり
さらにゲームソフトも、セガ得意のアーケードゲームから、多くのタイトルが移植され
特に、アーケードシーンを席巻していた、バーチャファイターという、強力すぎるビッグタイトルも同時発売されるなど
数々のライバルたちが名を連ねる、32ビットの次世代ゲーム機の中でも、もっとも有力なマシンとして期待されていたんだ。
そして、セガサターンが、発売されると
バーチャファイターが家で遊べるぞー
と、多くのユーザーが自宅で、バーチャファイターをプレイしたいがために、セガサターンに殺到することになるんだ。
このキラーソフトの存在は、圧倒的な反響を生み出し
なんと、驚くことに、本体の販売台数をソフトが上回るという、逆転現象が発生するほど、ゲームユーザーは、バーチャファイターに飢えていたんだ。
この年には、ゲームセンターに、続編の、バーチャファイター2もリリースされ、セガサターンの人気を後押しすることになるよ。
そして、この勢いは、そのまま商品の出荷台数にもつながり、セガサターンが発売された、最初の週では
25万台を売り切り、年内には、50万台を出荷するという驚異的な販売台数を記録することになるんだ。
今回のセガサターンは、出だしから好調だね
こうして勢いに乗ったセガサターンは、出荷台数競争でしのぎを削っていたライバルのプレイステーションに先駆けて
約半年で、100万台を突破するという、好調な滑り出しを見せることになるんだ。
このまま、セガが、天下を取るのかー
さらに、翌年の1995年12月には、今だアーケードシーンを賑わし続けていた、バーチャファイター2が、家庭用ゲーム機に移植されることになり
この人気タイトルの開発は、あのアーケード版を開発した、AM2研が自ら担当するという、気合のいれよう
当然、ゲームユーザーは、このビックタイトルを見過ごすはずわなく
この格ゲーで遊びたいがために、セガサターンに殺到することになり、
その勢いのまま、バーチャファイター2は、なんとセガサターン初の、ミリオンヒットを記録することになるんだ。
この1996年の末は、セガのコンシューマー史上、もっとも賑わっていた時期になるんだよね。
こうした、セガの名作アーケードゲームの移植は、継続的に行われることになり、
デイトナUSAや、バーチャコップ、そして、電脳戦機バーチャロンといったヒット作品も
セガサターンの、ゲームタイトルのラインナップに加わっていくんだ。
ハードも最強だし、ゲームタイトルも充実していて、セガは、このまま、家庭用ゲーム市場で、ナンバーワンになれるかもしれないね。
さらに、それまで、セガの家庭用ゲームでは、弱点と言われていた、サードパーティー群にも、今回は力をいれていて
なんと、ライバルに負けない、100社を超える、ゲームメーカーを誘致することにも成功するんだ。
こうして、セガサターンのゲームソフトの数は、1000本に迫る膨大なタイトル数と、バラエティ豊かなラインナップを構成することに。
セガが、1990年代はじめから取り組んできた、サードパーティーへの誘致活動が、ようやく実を結んだ結果だね。
セガサターンの失速
しかし、1998年ごろから、セガサターンの勢いが落ち始めるようになるんだ。
あれー、これまで、順調に出荷台数を伸ばしてくたのに、なぜ減速してしまったの?
それは、やはり、ハードを牽引するような、キラータイトルが不足していたんだ。
爆発的に売れる、ゲームタイトルが少なくなってしまったってこと?
そうなんだ、確かに、ソフトの数は充実してきてはいたんだけど、
もっと、多くのユーザーが振り向くような、100万本を超える、ビックタイトルがなかなか生み出せなかったんだ。
そういえば、このころ、プレイステーションの陣営では、スクウェアの、ファイナルファンタジーVIIの発売や
ドラゴンクエストで有名な、エニックスが、ソニーと提携しはじめた頃だものね。
そうなんだ、ライバルのプレイステーションでは、キラータイトルが次々と発売され、さらにゲームタイトル数も、3000本を超える勢いだったからね。
うーん、プレイステーションという強力すぎるライバルに打ち勝つのは、なかなか難しいですね。
そのため、あれだけ勢いのあったセガサターンも
発売から4年が経過し、販売台数が、500万台を超えた頃から、頭打ち状態になってしまうんだ。
さらに、巨大なマーケットである、欧米市場では、
あれだけ市場シュアを大きく獲得できていたメガドライブから、セガサターンへの移行に失敗してしまい
世界市場でも、ソニーのプレイステーションに、シュアを明け渡すことになってしまうんだ。
セガサターンは、国内市場では、大きくシュアを獲得できたけど、世界市場では、大きく後退してしまったんだね。
そのため、1998年以降のセガサターンは、
ミリオンヒットタイトルを、つぎつぎと誕生させる、プレイステーションを横目に、コアなユーザー層に支えられながらの、低空飛行が続くことになるんだ。
最後はやっぱり、ハードを引率するような、キラータイトル不足が、セガサターンの伸び悩みに繋がってしまったんだね。
こうして、家庭用ゲーム機におけるセガの、ナンバー1プラットフォームへの夢は、1998年に発表される、後継機種へと託されることになるんだ。
セガサターンは、日本市場では、セガで最も売れた、家庭用ゲーム機になったんだけど、結局ライバルメーカーには勝てなかったんだ。
サターンの、最終出荷台数は、プレイステーションの1億台にたいして、950万台でした。
今回はここまで、
次回は、セガ、社運をかけた、最後の勝負、ドリームキャストの発売をご紹介させて頂きます。
ご閲覧ありがとうございました。