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第2回『エレメカ』の時代から『ビデオゲーム』の時代へ – スペースインベーダー誕生物語

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『エレメカ』の時代から『ビデオゲーム』の時代へ – スペースインベーダー誕生

ご訪問ありがとうございます。

 

今回は、『スペースインベーダー』の生みの親である『西角友宏』さんが、
『タイトー』の子会社の『パシフィック工業』に入社してから『ビデオゲーム』出会いまでの物語 をご紹介します。

よろしくお願いいたします。

動画も作成していますので、是非ご視聴下さい。

『スペースインベーダー』の生みの親である『西角友宏』

西角さんは、

『タイトー』の子会社である『パシフィック工業』に入社してから

『スペースインベーダー』の開発を始めるまでに、

いろんな経験をすることになるんだ。

 

この経験が、『スペースインベーダー』の開発に大きく繁栄されることになるんだよ。

へー

『西角』さんってどんなかたなの?

『西角』さんは、

だんじり祭りで有名な大阪府は岸和田市で生まれたんだ。

大阪の出身、しかも岸和田

浪速っ子だね。

そして、小さい頃から工作が好きだった『西角』さんは、

故郷を離れて東京電機大学に進学する。

大学の4年間を終えて『西角』さんは、

オーディオの設計がしたいと想い、

オーディオレコードやプレーヤーを製造していた会社で働くことになる。

 

しかし、希望であった設計の部署に行くことはできず、

1年足らずで退職。転職活動を始めるんだ。

『西角』さん、『タイトー』に入社

そして、友人の紹介で『タイトー』の子会社である『パシフィック工業』
1969年に入社することになるんだ。

『スペースインベーダー』の開発者の『西角』さんって、

『タイトー』の子会社に入社したの?

当時、タイトーは、子会社の『パシフィック工業』で商品の企画、開発、製造をしていたんだ。

本社の『タイトー』は、主に営業活動してしていたんだよ。

開発や製造が、子会社で、本社が営業ってことかな。

そうだね。

前職では設計、開発ができなかったので、

ものづくりが出来ることを期待して『パシフィック工業』に入社したんだ。

1970年代の『エレメカ』時代

この頃の、ゲーム業界は、まだ『エレメカ』の時代だったんだ。

エレメカ?

機械と電子機器を使ったゲームのことだよ。

おー、レトロだね。

『エレメカ』とは

『エレメカ』とは

 

『エレクトロニクス』と『メカトロニクス』を組み合わせて作られた造語で『エレクトロメカニカルマシン』の略語だよ。

 

ブラウン管を使わないすべてのアーケードゲームのことを『エレメカ』を呼ぶんだ。

 

1972年に『アタリ社』がゲーム画面をビデオモニターに表示する『ビデオゲーム』の『ポン』を発表する。

そして、ゲームは『エレメカ』から『ビデオゲーム』への時代へと主流が変化していたんだ。

1970年代は、『エレメカ』から『ビデオゲーム』へ移り変わっていく時代だね。

そして、西角さんは、

ゲーム業界の『エレメカ時代』そして『ビデオゲーム時代』を経験してゆくんだ。

この頃の経験が、『スペースインベーダー』誕生に大きく影響してくるんだよ。

1970年代のゲーム業界か?

ここで、お知らせがあります。

 

タイトーの創業時の会社名は、『太東貿易』といいます。

『西角』さんが入社した頃は、まだ会社名は『太東貿易』でした

 

1972年から『タイトー』という会社名に変更されました。

今回は、わかりやすくするために『タイトー』で統一させて頂きます。

よろしくお願いいたします

タイトーに入社したけど・・・

西角さんが『パシフィック工業』に入社して配属されたのは・・・

西角さんは、入社すればすぐ『技術部』に入れるかと思っていたものの、パートさんに混じっての現場仕事が始まり。

 

蓋を開けてみれば、パートさんに交じってのメカユニットの組み立てが始まった。

舗装もされてないぬかるんだ田舎道をまっすぐ進んだ先にある、

養鶏場のようなトタン屋根のバラック小屋が作業場。

 

夏になると室温が40度を超え、クーラーなんてものはなく、窓を開けて扇風機を回しているだけ。

 

汗だくで暑い。部品を組み合わせるだけの、単純な作業が続く。

新入社員によくある下積みだね。

そして、6ヶ月後、工場長から異動命令が出され、いよいよ『技術部』かと思えば、
次は製品検査の仕事

あらー

西角さんは、一年近くこの製品検査の仕事を経験するんだ。

そして、この経験が、故障が少なくサービス性の良いマシンの設計につながるんだ。

一年後、西角さんは『技術部』へ移動になる。

いよいよ、開発ができる?

『タイトー』のゲーム開発

『技術部』の仕事は、

『開発部』で作られた試作品を量産していくための設計図の作成だったんだ。

当時の『パシフィック工業』でのゲーム開発は、

主に4部署分けられていたんだ。

1つが『開発部』で、企画考案・試作品の作成をする部署、

 

2つめが『技術部』は、量産のための設計を行う部署。
西角さんが、配属されたところだね。

 

3つめが『資材部』販売部品等の発注・管理を行う部署

 

そして、4つめが 『生産部』工場での組立・製品検査をするところ。

 

『西角』さんは、最初『生産部』で1年間働き、

それから、『技術部』に配属となり、量産のための設計作業をすることになったんだ。

設計の仕事は楽かったらしく、『西角』さんは精力的に働いたんだ。

いよいよ『西角』さんゲーム開発

そして、1970年に開発部へ配属が決まったんだ。

おー、念願の『開発部』

そして、『開発部』にはいって早々、『西角』さんは結果を出したんだ。
開発したのは、

1970年に発表した、戦闘機のシューティングゲーム、

『スカイファイター』なんだ。

西角さんは、後のインタビューで、

社員
西角

当時ゲームセンターでは、

『セガ』の『ペリスコープ』という潜水艦を駆逐するシューティングゲームが人気だったんです。

 

これを踏まえて、戦闘機を使い、潜水艦にはないスピード感・迫力感のあるゲームを演出しようと思ったんです。

 

社員
西角

出来る限り実物に近いフィーリングを演出したいと考え、

ゲームの標的にはリアルなミニ模型の飛行機を使うことにしました、

 

透明のドラムに空と雲のフィルムを貼って回転させる工夫を凝らしたりしましたよ。

 

開発を無事終え、マシンを正面から見たとき本当に戦闘機が飛んでいるように見えて鳥肌が立つくらい感動しましたよ。

『セガ』の『ペリスコープ』とは

『セガ』の『ペリスコープ』とは、

1966年に発売され大ヒットした

『エレメカ』のシューティングゲームだよ。

 

当時『セガ』の社長だった『ローゼン』さんが自らゲームデザイン手掛け
1967年には海外にも輸出され、海外でも大ヒットしたゲームなんだ。

日本製ゲームとしても海外でヒットした初の作品であり、

『セガのターニングポイントになった」記念すべき作品なんだ。

『エレメカ』の時代

冒頭でも紹介したんだけど、

『西角』さんが入社した当時、

ゲーム画面をビデオモニターに表示する『ビデオゲーム』はまだ存在していないんだ。

 

この頃の、ゲーム機は『機械』と『電子機器』で開発をするんだよ。

 

機械と電子機器?

そう、プラスチックでできた、潜水艦を機会と電子機器で操作するんだよ。
この頃のゲーム機をは、『エレメカゲーム』と言われているんだよ。

まさに職人芸だね

この頃のゲームってすべて開発者の手で作り上げてゆくんだね。
なんか、おもしろうそうだね。

 

今のゲームは、すべてバーチャルなものが、多いからね。

西角さんは、後のインタビューで

社員
西角

『エレメカ』の頃は、

アイディアをイメージしながら、手で触って作り上げる喜びがありましたね。

僕は、『エレメカ』のゲーム作りが一番スキだったんですよね。

そして、『西角』さんの処女作『スカイファイター』は、行列ができるほどのヒット作となったんだ。

デビューで、いきなりヒット作品、すごいです。

ヒット作を作ったのに部署移動?

しかし、ここで『西角』さんは、『資材部』への移動を言い渡される。

どうして?

どうも、『資材部』に欠員が出たみたいで、人員補充のためだったらしいんだ。

 

せっかく『結果』を出したのに人事移動・・・

『西角』さんの大きな転機、『資材部』への移動

『資材部』への移動は、西角さんにとって大きな転機になるんだよ。

ここから、『西角』さんの『資材部』としての仕事が始まる。

業務内容は、いたって単純。外注会社や部品メーカーへの注文書を書くというものだった。

 

そして、事務作業を集中して効率よく行えば、かなりの空き時間を捻出できて

その間に新しいゲームのアイディア構想にあてることができたんだ。

『デジタル』との出会い

そんな生活が数ヶ月が続いたある日、

『資料部』のオフィス

三菱
開発部中

元気でやってるか。(開発部長)

社員
西角

あ、はい

三菱

最近どうだ

社員
西角

『資材部』も面白いですよ。

それに、事務作業を集中して効率よくすれば、かなりの空き時間を捻出できますから

その間に新しいゲームのアイディア構想も考えられますから

三菱

そうか・・・

 

『西角』これでも読んでろ。

 

社員

これなんですか?

三菱

『デジタルIC』の参考資料だ。

 

社員

えっ…

三菱

これからは『デジタルIC』を使う時代になると思うんだ。

お前、暇そうにしているからこれでも読んでみればいい。

社員
西角

ありがとうございます!!

『西角』さんは、当時を振り返ってこう言っています。

 

『資材部』に移った自分の事を部長が気にかけてくれている気がして、嬉しくかったですね。

『デジタルIC』を学ぶ『西角』さん

『西角』さんは、事務作業の空き時間に

部長にもらった資料がボロボロになるまで『デジタルIC』を勉強していった。

そして、少しずつ『デジタルIC』に関する知識を蓄えていったんだ。

『資材部』の空き時間に、

考えたゲームのアイディアや『IC』の知識が、

その後の西角さんのゲーム開発の基礎となってゆくんだ。

充電期間だったのかな?

今回はここまで、次回は、『西角』さんは、いよいよ『ビデオゲーム』『アタリ社・Pong』と出会うことになる。ゲームは、『エレメカ』の時代から『ビデオゲーム』時代へと転換の時代へと

ご視聴ありがとうございました。

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