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第1回アーケードゲームの誕生 – スペースインベーダー誕生物語

シューティングゲーム

アーケードゲームの誕生 – スペースインベーダー誕生

今回は、スペースインベーダー誕生
ついてご紹介します。

懐かしいね
スペースインベーダー

『スペースインベーダー』は、

1978年のゲームセンター登場した『アーケードゲーム』だよね。

 

1970年代末に日本で社会現象にまでなった大ヒットゲームだよね。

『スペースインベーダー』は、

以前『任天堂』の『ファミコン』の開発に大きな影響を及ぼしたことを紹介したと思うんだけど。

ゲームの開発を

『組み込みLSI』からCPUを利用したゲーム開発に進化させたこと

そう、ゲームの開発手法を大きく変えたこともそうなんだけど、
よくよく調べてみると『スペースインベーダー』が変えたのはそれだけじゃないんだよ。

それ以外もあるの?

一番の功績は、日本のゲーム業界を世界へ飛躍させるきっかけになったことかな?

世界へ?

そう、『スペースインベーダー』が出現する前までは、

 

日本のゲーム業界はアメリカの背中を常に追っている状態だったんだよ。

アメリカ?

そう、当時、アメリカがゲームの最先端だったんだよ。

特に、アメリカの『アタリ』社は、

『ポン』や『ブレイクアウト』など、ゲームの歴史の残るゲームを作り出していたんだよ。

 

それが、『スペースインベーダー』の出現で、日本のゲームは大きく飛躍してゆくんだよ。

 

日本のゲームが世界へ

今回は、

日本の『アーケードゲーム』の成り立ちから、

『スペースインベーダー』誕生までの開発物語 をご紹介します。

 

動画も制作していますので、是非ご視聴下さい。

【アーケードゲーム】スペースインベーダー・アーケードゲームの誕生【ゆっくり動画】

『アーケードゲーム』飛躍の2つのブーム

『アーケードゲーム』は、大きな2つのブームから大きく成長することになるんだ。

大きな2つのブーム?

そう、ひとつが、1950年代の『映画』

そして、もうひとつが1970年代の『ボーリング』

 

1950年代の『映画』と1970年代の『ボーリング』?

それでは、1950年代のアーケードゲーム誕生からはじめよう。

1950年代・アーケードゲーム誕生

『娯楽の王様』は『映画』

はじまりは、戦争が終わってから、約10年後の1956年
映画館の新築ブームが起こるんだ。

映画?

この頃は、『娯楽の王様』は『映画』だったんだ。

 

1950年代の『日本映画』は、『第二黄金時代』と呼ばれていて、

 

黒沢監督の『七人の侍』や『ゴジラ

小津安二郎監督の『東京物語』

石原裕次郎主演の『太陽の季節』などなど

まさに、『娯楽の王様』

これが、当時の日本の映画観客動員数だよ。

1950年代の客動員数すごすぎるね。
それ以降の動員数の落ち込みもすごいけど。

年間の延べ観客動員数は10億人にのぼり、新たに映画館が次々と建てられて、
その周りにたくさんの店舗が集るようになり『アーケードモール』がつくられんだ、

当時、東京の日比谷・浅草、大阪の梅田は『三大アーケード街』と呼ばれていたんだ。

へー
今でも少し名残があるような。

そうした『アーケード街』に、ゲーム機が置かれるようになったんだ。
ゲーム産業の黎明期だね。

アーケードゲームの誕生

ちなみに、このように元々『アーケード』に置かれたことから、

 

娯楽施設に設置された『業務用ゲーム』のことを

『アーケードゲーム』と呼ぶようになったんだ。

へー
映画で栄えた『アーケード街』にゲーム機が置かれていたから『アーケードゲーム』なんだ。

当時、最も人気があった映画は西部劇

『ジョン・ウェイン』や『ゲーリー・クーパー』などは大人気。
そこで一番流行ったのは『ガンゲーム』なんだ。

『ガンゲーム』?

『ガンゲーム』とは
電気式の鉄砲で流れてくる的にタイミング良く引き金をひくと、的がパタッと倒れるといったゲームだよ。

 

この頃は、すでに国産のゲーム機もあったし、
駐留軍からの払い下げられたもゲーム機あったんだよ。

駐留軍からの払い下げって
まだ、まだ戦後のにおいがするね

このようにして『アーケード街』に何台かのゲーム機を置いたのが、
現在の『アーケードゲーム』のはじまりなんだ。

懐かしい駄菓子屋さんなんかに置いてたんだろうねー。

ゲームセンター誕生

ボウリングブーム到来

そして、もうひとつブームが更にゲームを発展させるんだ。
もうひとつのブーム

1970年代にたしか『ボーリング』が流行ったとか?

そう、もうひとつは、
1972年にピークを迎える『ボウリングブーム』なんだ。

『ボウリングブーム』?

テレビではボウリング番組がゴールデンタイムに放映され、男女のプロボウラーが人気者に。

ボウリング場でも、週末ですと3~4時間待ちなどは当たり前。

そこで、ボウリング場には必ずゲームコーナーが併設されるようになったんだ。

つまり、長い待ち時間を過ごすにはゲームが最適だったんだ。

自分の順番を呼ばれるまで、

ゲームコーナーでゲームをすることで時間を潰すようになり、

ゲームは身近な存在になっていったんだよ。

ゲームが認知しはじめたのかー

噂では聞いていたけど、『ボーリングブーム』がこれほどまでの人気とは・・・

しかし、このボウリングブームも長くは続かず、

ブームが去った後にはボウリング場の再利用が問題になったんだ

ブームって怖いね

1973年って、確か『オイルショック』の年じゃない。

1973年『オイルショック』到来

そう、『オイルショック』の影響で石油価格が高騰

スーパーから『トイレットペーパー』が消える騒動まで発生する。

本当は、石油と『トイレットペーパー』って関係ないはずなんだよね。

『オイルショック』の影響で、
娯楽産業である『ボーリング』どころじゃなくなってしまったんだ。

娯楽産業って、生活必需品じゃないから。
景気変動に、弱いよねー。

ボーリングブームの去り、
残ったのは、人のまばらな、ボウリング場

うー・・・

ボウリング場はたちまち閉店へ追い込まれてします。

そして、閉店した『ボウリング場』を
一番多く再利用したのは『パチンコ店』だったんだけど、
ゲームセンターになったところも沢山あったんだよ。

そしてちょうどその頃から、ゲームセンターの大型化が始まるんだ。

大型ゲームセンター登場

『大型ゲームセンター』の誕生がこの頃ってことかな?

『娯楽の王様』が『ボーリング』から『ゲームセンター』にか・・・

そして、その『大型ゲームセンター』には
メダルを使用してギャンブルゲームで対価なく遊ぶ『メダルゲーム』の登場したんだ。

大型ゲームセンター行くと『メダルゲーム』って今もあるよね。
1970年代が、日本の『メダルゲーム』の生まれた頃なんだね。

『メダルゲーム』誕生

『任天堂』の大失敗、『レーザークレー』事業

この頃『任天堂』もレジャー事業に参入しているんだ。

あの任天堂が?

玩具の『光線銃』シリーズの大ヒット

勢いで、ボーリング場の跡地を利用して、『光線銃』で大規模遊ぶ、

 

光線銃による『レーザークレー』事業展開するんだ。

どうなったの?

大赤字で大失敗

光線銃『レーザークレー』事業から撤退する。

その時の『レーザークレー』事業の担当者が

あの『ファミコン』の生みの親になる『上村雅之』さんなんだ。

ファミコン

あの天下の『任天堂』に失敗談があるんだね。

任天堂山内社長
任天堂山内社長

あれは、やっちまったなー。

任天堂上村
任天堂上村

あやうく、任天堂が潰れるところでした。

『ビデオゲーム』の登場

日本が『ボーリングブーム』に沸いていた1972年

アメリカの『アタリ社』が、ゲーム画面をビデオモニターに表示する『ビデオゲーム』の『ポン』を発表するんだ。

このアタリ社の『ポン』が、『ビデオゲーム』の元祖と言われているだ。

『ブレイクアウト(ブロックくずし)』の登場

そして1976年、これも『アタリ社』から『ブレイクアウト』、つまりブロックくずしが登場する。

懐かしいね、『ブロック崩し』

しかし、アメリカで大ヒットしていた『ブロックくずし』は
日本では、あまり売れなかったんだ。

なぜ?

『ブロックくずし』は、テーブルゲームなんだけど、
アメリカから輸入された、『ブロックくずし』は
アメリカサイズだったから大きすぎたんだ。

 

アメリカ人大きいの好きだからね。

『喫茶店』がゲームセンターに・・・

そこで翌年、

日本のメーカーは、『ブロックくずし』のサイズを
日本の『喫茶店』にも置けるように『テーブルサイズ』に小型化したんだ。

これが大当たり

その頃、『喫茶店』は業態として斜陽の時期だったんだ。

今の子供達は、『喫茶店』知らないかも

ゲームメーカーの営業活動がインベーダーゲームを生んだ?

ゲームメーカーの営業マン

社員
営業

オーナーさん

このテーブルゲームを置いていただければ利益の何割かは還元しますよ。

という商法で売り込みをかけたところ
喫茶店は従来のテーブルを撤去してゲーム機をこぞって置きだしたんだよ。

『スペースインベーダー』の登場

もしかして、その後は、

そう、1978年(昭和53年)に『スペースインベーダー』が登場したんだ。

『スペースインベーダー』は、社会現象にまで発展する。
斜陽だった、喫茶店は一気に商売繁盛

日本のゲームメーカー躍進

ここから、日本のゲームメーカーが躍進が続く。

1979年『ナムコ』から『ギャラクシアン』の登場。
ポストインベーダーと言われるほどの歴史的ゲームになるんだ。

1980年これも『ナムコ』から『パックマン』の登場
日本だけでなくアメリカを始め全世界で記録的大ヒットとなる。

1983年シューティングゲームの最高傑作とも言われる、
『ゼビウス』が登場する。

著名人やマスメディアを巻き込む大ブームとなる。

1983年『任天堂』『ファミリーコンピューター』の発売。

ファミコン(ファミリーコンピューター)

1991年『カプコン』『ストリートファイターII』の登場。
その後対戦型格闘ゲームが大流行する。

 

1994年『ソニー』が、『プレイステーション』を発売する。
家庭用ゲーム機に『3Dグラフィック』の時代が到来する。

『スペースインベーダー』登場以降の、
日本のゲーム業界すごい飛躍だね。

そうだね、『スペースインベーダー』で
アメリカの後を追いかけていた、
日本のゲームは、一気に世界のゲーム大国へと・・・

 

ご視聴ありがとうございました。

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