PC-9800誕生物語、NECのパソコンの未来が決定された御前会議
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今回のシリーズでは、日本で最も普及した16ビットパソコン、後に国民機とまで呼ばれるようになるPC-9800シリーズの誕生物語をご紹介させて頂きます。
Youtubeにもこの記事の動画が公開されていますので、ご興味がある方は是非ご参照ください宜しくお願いいたします。
このPC-9800シリーズは82年に登場したPC-9801を初代とするパソコン製品群であり、
そして、このマシンが誕生するきっかけになる重要な会議が、81年初頭にNECの幹部や担当者を混じえて開催されることになったんだ。
その後のNECのパーソナルコンピュータの将来を担う御前会議が開かれたんですね。
この頃のNECでは、3つの部門がパソコンに関心を寄せていたんだ。
3つの部門?
そう、ひとつが半導体の販売拡大のため、NEC初のパーソナルコンピュータである、TK-80やPC-8001を生み出したデバイス事業部と、
もうひとつがPC-8001の製造を担当し、その後PC-6001を発売する子会社の新日本電気、
最後に法人向けのオフィスコンピューター開発を受け持つ情報処理部隊も低価格なパーソナルコンピュータに関心を寄せていたんだ。
そのため、NEC社内ではデバイス部門のPC-8001と新日本電気のPC-6001の商品展開が競合しはじめるようになり、
更に法人向けにオフィスコンピューターを販売していた、情報処理部隊もパーソナルコンピュータの開発を熱望していたんだ。
NECの経営陣は、将来有望なこのパーソナルコンピュータをどの部門が担当するのかという、企業方針を示す必要に迫られていたんだ。
当然NECでパーソナルコンピュータを立ち上げたデバイス事業部は、将来を見据えてPC-8800シリーズを16ビットマシンへと進化させ、
更にビジネス市場へ切り込みたいという思いがあり、
一方の低価格帯のPC-6001を発売していた新日本電気としても、更なる事業拡大を考えていたんだ。
更に法人部隊である情報処理部門も、主力商品のオフィスコンピューターが将来、低価格なパーソナルコンピュータに脅かされることを予見し、
高性能な16ビットマシンの開発を望んでいたんだ。
ということで、81年のNECの御前会議では、
どの部門がどの顧客層にパーソナルコンピュータを発売してゆくのか
という決断を経営陣は下さなければならなかったんだ。
各部門の立場から見ると、自分たちの立ち上げた事業を育ててゆきたいという思いがありますし、
一方でNECという組織全体を見渡すと、商品展開がお互いに競合しないように、方向性を示す必要があるということですね。
ここでこの会議の前にNECの各部門のパーソナルコンピュータが発売されるまでの背景を少しご紹介させて頂きます。
NECのパーソナルコンピュータのはじまりは、半導体事業の販売部門(マイクロコンピュータ販売部)に所属する渡辺和也さんが、
半導体の販売促進のため上司の大内さんに提案した、組み立てマイコンのTK-80の発売から始まるんだ。
そしてこのマシンは渡辺さんや大内さんの販売予測に反し、月に2000台も販売されるなど予想外の大成功を収めることに、
その勢いのまま渡辺さんは上司の大内さんに、台頭しつつあるパーソナルコンピュータ市場を狙ったPC-8001を提案してきたんだ。
この部下のこの提案に、流石に大内さんは、一時ゴーサインをためらうことに・・・
それは、どうして?
それはこのPC-8001はOSにBASICを採用し、CPUにZ80系のエンジンを搭載するなど、本格的なコンピューターマシンを作ろうとしていたからなんだ。
そう、社内にコンピューターの一大専門部隊を抱えるNECという組織の中で、
専門事業ではない半導体の販売部門が、極めて小規模とはいえコンピューター事業に本格的に手を染めるということは、
将来起こり得るであろう、事業部間での軋轢の可能性を恐れていたんだ。
しかし、大内さんは迷いながらもその部下の熱意を受け入れ、ゴーサインを出すことに
そしてこのマシンは80年代初めの国産パソコンを代表する機種となり、シリーズ累計25万台を出荷するなど、大成功を収めることになるんだ。
その後このPC-8001の成功を目の当たりにした子会社の新日本電気も、
このマシンにほぼ匹敵する機能を備えながらも、PC-8001よりも低価格というPC-6001シリーズを発売することに
しかし、このマシンの登場は、機能がほぼ同等ながら価格がリーズナブルな設定のため、
せっかく軌道に乗りつつあったデバイス事業部の、PC-8001のビジネスに大きな打撃を与えることになるんだ。
そのため、デバイス事業部から新日本電気へ異議申し立てがあげられ、
更にグループ内のシリーズという統一感を持たせながら、価格と性能をどう切り分けていくのか
この問いを前にして、デバイス事業部(マイクロコンピュータ販売部)と新日本電気の睨み合いが続くことになるんだ。
そう、渡辺さんからすれば、新日本電気のマシンはどこまでもPC-8001に近づき過ぎてしまっていたんだ。
一方の新日本電気の立場からすれば、
あれもいけないこれもいけないとはねつけられたのでは、シリーズとしての統一感を持つ機種など作りようがないです
との思いがあったんだ。
このように、PC-8001とPC-6001の競合が発生してしまったためデバイス事業部では、新日本電気のマシンとの差別化をはかるため、
PC-8001より高性能で上位互換のあるPC-8800シリーズを展開してゆくことになります。
社内の2部門間で摩擦が生じている一方、
コンピュータの一大専門部隊を抱える、情報処理部門では、
海外進出での悪銭苦闘の経験から、パーソナルコンピュータの台頭を目の当たりにしていたんだ。
NECの情報処理部門は、77年からアメリカにNECIS(NECインフォメーションシステムズ)という会社を設立し、
オフィスコンピュータの輸出をはじめていましたから、
海外のコンピューター業界の動向に詳しかったんですね。
そう、この部隊はアメリカでのビジネスの経験からコンピューター業界が将来、高額なオフコンの時代から、
更に低価格なパーソナルコンピュータが台頭してくることを確信し、
そのためこのマシンに対抗できる、低価格な小型マシンの開発を計画していたんだ。
このように、NEC社内では3部門がパーソナルコンピュータの開発を進めるようになり、
そんな組織内で混乱が起こりつつあることを認識したNECの小林会長は、
このメーカーのパーソナルコンピュータを立ち上げた功労者でありデバイス事業部を統括していた大内副社長に決断を促したんだ。
社内にパーソナルコンピュータの認知が急速に高まっていく中、
新日本電気とデバイス事業(マイクロコンピュータ販売部)の意見調整を持ち越してきた大内さんは、
今後パーソナルコンピュータ事業を日本電気グループ全体としてどう進めていくかという課題を
経営陣の参加する話し合いで、結論を下そうと考えていたんだ。
大内さんが予測していた、来るべきときが来たということですね。
こうして、デバイス事業を統括する大内さんの呼びかけのもと、トップ会談が行われることになったんだ。
NECの御前会議、パソコンを誰に委ねるのか
81年明けそうそう開催されたこの会議には、争点を抱える二つのグループに加え、
コンピューター事業の専門セクションである情報処理部門の関係者も顔をそろえていたんだ。
この会議では小林会長や関本社長を筆頭に各部門の関係者が集められ、
各事業部のに責任者としては、法人部隊である情報処理担当役員の石井善昭さんや子会社の新日本電気の社長も出席し、
そしてNECでパーソナルコンピュータを立ち上げた、電子デバイス事業部門を統括する大内副社長と対峙するかたちでこの会議は始まったんだ。
この話し合いのキーパーソンは、なんといっても大内さんであり、
彼が育て上げたパーソナルコンピュータという製品を、新日本電気や法人部隊である情報処理に対してどう決断するのかで、将来のNECのパソコンの方向性が決定されることになるんだ。
そして大内さんには、大きく2つの選択肢があったんだ。
2つの選択肢?
そうそのひとつがパーソナルコンピュータを立ち上げた、デバイス事業がNECのパソコン開発をすべて担当するという選択、
この決断は、新日本電気や情報処理部門を抑え込むかたちになりますから、そうとう思い切った判断になりますね。
2つ目の選択が、新日本電気や法人部隊である情報処理部隊にもパーソナルコンピュータの開発を容認すること。
この場合、デバイス事業がPC-8800シリーズを展開し、
低価格帯のホビーパソコンとして、子会社の新日本電気がPC-6000シリーズを送り出し
更に新しく情報処理部門が高価格帯のパーソナルコンピュータを開発するということになりますから、
NEC社内が少し混み合った状態になりそうですね。
そうなんだ、もし大内さんがひとつ目のデバイス事業による、NECのパソコン開発の1本化を選択した場合、
かなり思い切った決断にはなるんだけれども、
TK-80やPC-8001を発売し、NECにパーソナルコンピュータという製品を生み出した功労者の渡辺さんや後藤さんの夢を大きく広げることになるんだ
そうなりますと、半導体開発部門のPC-8800シリーズが、NECの主力商品となり
予算も人員についても組織を上げて支援することになりますから
ホビーユーザーだけでなく、ビジネス市場にも参入できるようになり、
更にこのシリーズから、16ビットマシンが誕生する可能性があるということですね。
しかし、この部門はもともと半導体を発売するために立ち上げた部隊のため
開発や製造、そして販売網が脆弱だったんだ。
確かにPC-8001の製造は、子会社の新日本電気に委託してましたし、16ビットマシンを開発するとなると
法人向けの販売網も開発ノウハウもまだまだ不足してましたからね。
そして2つ目が新日本電気や法人部隊である情報処理部隊を容認することを選択するとなると、
当然16ビットマシンを開発するのは、法人顧客を持つ高性能コンピュータの開発実績が豊富な情報処理部隊が担当することになるんだ。
そうなるとデバイス部隊の担当するPC-8800シリーズの販売先は、ホビーユーザーをターゲットとした8ビットマシンの領域のみになってしまい、
将来起こるであろう、16ビットパソコンの時代には、衰退せざるえなくなるんだ。
そうなると、苦労してパーソナルコンピュータを立ち上げた部下たちの将来の夢を閉ざしてしまう可能性があるんだ。
しかし経営陣としてNECの将来を考えると、ホビーパソコンであるPC-8800シリーズの16ビットマシンがユーザーに受け入れられるのは、5年以上先のこと
一方の法人向けのコンピュータ市場では、オフコンをダウンサイジングした、高性能なパーソナルコンピュータの需要が大きく成長することが予想され
高性能なコンピューター開発のノウハウと法人販売網を保有する、情報処理部隊に委ねたほうが良策ではあるんだ。
ということは大内さんが、担当部門の領分をあえて抑えこみ、
部下の夢が潰えたとしても、組織全体の将来を見通した決断をどう下すのかということですね。
ということでこの御前会議は、大内副社長の一言ですべてが決定されることになるんだ。
NECの将来を決定した、81年の会議
それでは、このNECのパーソナルコンピュータの流れを決定した話し合いの模様をご紹介させて頂きます。
この会議の決議の焦点は、情報処理担当役員の石井さんの発言に対して、
デバイス事業を統括する大内さんが、どう返答するかにかかっていたんだ。
情報処理担当役員の石井さんの発言
我々の部門では通産省からの後押しもあり、IBMもメインフレームに対抗し、事務の現場に特化した小型コンピュータを発売してきました。
しかし、アメリカでは我々が売り出してきたオフィスコンピューターに替わり、
更に低価格なバーソナルコンピュータが台頭しはじめています、
IBMのメインフレームがDECのオフコンに侵食されたように、
我々の小型コンピューターもいずれコンピュータ業界の法則に従えば、
更にダウンサイジングされた、パーソナルコンピュータが主役になる時代が来ると予測しております。
現在は8ビットのパーソナルコンピュータが最盛期ですが、将来は16ビット化されより強力なマシンが登場することが予想されます
この動きがいずれ日本にも及ぶとすれば、情報処理事業グループにとって虎の子のオフィスコンピュータが脅かされる可能性が高いのです。
こうした事態に備えるため、我々の部門もさらに小型化と低価格化を推し進めた商品を開発する必要に迫られています。
我々情報処理事業グループとしましては、今後この分野を考えていきたいと思っているのですがいかがでしょうか
担当役員の石井善昭さんがそう問いかけた相手が、大内淳義さんであることは出席者の誰にも明らかであった。
当然、関係者はこの会議の鍵を握る大内さんが次にどう発言するのかを、注目することに・・
・・・・・
三つか
大内さんは情報処理担当の石井さんの言葉をとらえた瞬間、内心でそうつぶやいていた。
それに、我社のパーソナルコンピュータ部門は、もっと複雑になるしかないのか・・・
と口には出さぬままそう続け、大内さんは机に落としていた視線を上げ法人部門の役員を見返したのである。
・・・・・・・・・
石井くん・・・
・・・・
はい
情報処理部では、はっきりと事務用と分かるパーソナルコンピュータを考えてみたらどうだろう
は、はい副社長、わかりました、我々の部署では法人の事務の現場に特化したコンピュータを提案させて頂きます。
そう、この大内さんの一言で、この御前会議の大勢は決したのである。
この瞬間、NECのパーソナルコンピュータ事業の方向性が決定されたのだ。
こうして今後日本電気グループは、三つの柱を据えパーソナルコンピュータ事業に取り組むことになるんだ。
一つは子会社の新日本電気が担う、家庭用の8ビットの低価格マシン(PC-6001シリーズ)。
二つ目が、コンピュータの専門部隊である情報処理事業が新たに取り組む16ビットの事務用コンピューター(PC-9800シリーズ)。
そして三つ目が、これまでこの分野を切り開いてきたデバイス事業が、両者の中間的な機種を従来の製品の延長上に展開してゆくこと(PC-8800シリーズ)。
小林会長そして関本忠弘社長も、会議を呼びかけた大内副社長がそれでよいというのならあえて付け加えることはなかった。
それはパーソナルコンピューターは副社長の領分であり、
その幹部が一歩退いて身内の電子デバイス部門を押さえこみ、子会社の新日本電気と情報処理部門を受け入れるというのなら、それでよかったのである。
こうして、NECのパーソナルコンピュータ事業の将来を決定する、御前会議は決したのである。
これで同士討ちまがいのひどい混乱だけは、一まず避けられるだろう
会議を終えから自室に向かいながら、大内さんはそう考えていた。
しかしデバイス事業と新日本電気の二つのグループの間で起こっていた摩擦が、ここで新たに情報処理部隊が加わったことから、
更に込み入った事態が起こりかねないことはぬぐいきれなかったのである。
とすれば、いつかはパーソナルコンピュータを誰が担うべきか、その問いに正面から答えざるをえない時が来るであろう、
大内さんは、会議の席で押し黙ったまま唇を噛んでいた、部下の渡辺和也の表情を思い浮かべていた、
半導体部門の一セクションが卵からかえしたこのパーソナルコンピュータを、今では三人の育ての親が名乗りを上げようとしている
マイクロコンピュータの販売という本業をこなしながら、孤立無援の中ここまで育ててきた渡辺の胸に湧き上がっている思いを打ち消すことが出来なかった
あいつは、このヒナを最後まで育て上げたいだろうな
副社長室の椅子に深く腰を下ろしながら、彼は部下の思いを両手で包むようにしてなぞってみた。
そうなのだ、子飼いの部下とはいえあいつ組織の壁を越え、どうしてもパーソナルコンピュータを育てたいと望むなら、
ビジネス以外の市場を切り開いていかなければならないという、困難を乗り越え、
この社内の三者の競争に勝ち残ってもらわざるをえないのだ。
細い息を長く吐きながら、大内はふとそう考えていた。
パーソナルコンピュータが事務処理の道具たりうるのなら、組織の枠組みに照らしてみれば当然、これを担うべきはコンピューターの専門部隊である情報処理事業が最適であり、
彼の決断は、間違ってはいないはずなのだ・・・
そうパーソナルコンピュータは、予想を超えて育ち過ぎたのだ。
今思えば、TK-80から疾走しはじめた部下たちが、本格的にパーソナルコンピュータを事業化すると意気込みPC-8001のプランを持ってきた時、
ゴーサインを出すか否か迷いに迷ったことを、大内は今も鮮明に覚えている。
あの日、彼が部下の熱意に一瞬ためらいを感じたのは、今となって振り返ると、こうなることへの無意識の予感があったのかもしれない。
まったく新しい事業を自らの手で作り上げ、社内ベンチャーを敢行しのし上がっていこうとする渡辺和也の熱意。
渡部と共に自分のコンピュータを思いのままに作りたいとして、TK-80やPC-8001、8800を作り上げた後藤富雄たちの夢。
そして内から湧き上がる彼らのエネルギーが、硬直しがちな大組織を活性化させる鍵となると読んだ大内淳義の理。
マイクロコンピュータに取りつかれたマニアたちの息吹を追い風に、
PC-8001を軌道に乗せようと奮闘してきたこれまでの、渡辺の熱意と後藤の夢、そして大内の理の歯車は、隙間なくぴったりと噛み合ってきていた・・・
しかしその幸せな一瞬は、今、ゆっくりと過ぎ去ろうとしている・・・・
NECの御前会議が決議され、パーソナルコンピュータを立ち上げた、渡辺や後藤の夢が潰えようとしてゆく中、
副社長室の椅子に深く腰を下ろし、大内は、部下が熱っぽくTK-80やPC-8001を生み出そうと懸命に走り続けていた時代を振り返ろうとしていた。
今回はここまで、
次回は、NECという大組織な中、社内ベンチャーを敢行し、
日本のパーソナルコンピュータの夜明けを作り上げた、
TK-80やPC-8001を誕生させた渡辺和也さんや後藤富雄さんの奮闘の物語を
上司の大内さんの回想というかたちでご紹介させて頂きます。
ご閲覧ありがとうございました。