プラモデル

ガンプラ誕生物語、バンダイ奮闘記~ガンダム誕生までの道のり~

ガンプラ誕生 プラモデルの歴史プラモデル

ガンプラ誕生物語、バンダイ奮闘記

60年代の怪獣ブームや70年代のアニメブーム、そして特撮ヒーローの誕生などキャラクターモデルの成り立ちからガンプラ誕生までの道のり

ご閲覧ありがとうございます。

 

今回は80年代に空前の大ブームとなり現在も変わらぬ人気を誇る、機動戦士ガンダムのプラモデル、通称、ガンプラの誕生物語をご紹介させて頂きます。

ガンダムプラモデル

1979年、記念すべき第1作目となる初代、機動戦士ガンダムの放映される。

しかし予定されていた全52話を全うすることが出来ず、放映途中の43話で打ち切りとなってしまう、

 

その後再放送劇場版が公開されるようになると、若者を中心に今までにないリアルロボットものとしてファンから支持されるようになり

やがて大ブームを巻き起こすことになるんだ。

 

ガンダム劇場版ポスター

 

その中でもこの熱気の先導役となったのが、ガンプラ(ガンダム・プラモデル)だったんだ。

シャアザク

こぺんぎんの個人的な思い出で恐縮なのですが、

ガンダムブームの頃はまだ低学年の小学生だった頃、

子供心に機動戦士ガンダムの登場は、何故かワクワクする魅力的なものに感じたのを憶えています。

ガンダムプラモデル

 

このロボットのプラモデルが欲しい

と早速プラモ屋さんに、300円を握りしめて何度も通いつめ、

お目当てのガンダムはいつも売れ切れていて、店頭に残っていたのは、ボールムサイしかないという有様、

 

ガンダム ボール

 

ガンダムか、シャア専用ザクが欲しい

 

シャアザク
と願いながら結局、人気のモビルスーツ(1/144・ガンダム)は、最後まで入手出来なかったという淡い思い出が残っています。

 

ということで、あの熱気を生んだガンプラがいかにして生まれ、

どのようにブームになっていったのかを、

 

今回はバンダイ模型を中心にプラモデルの誕生

60年代の怪獣ブームや70年代のアニメブーム、そして特撮ヒーローの誕生などキャラクターモデルの成り立ちから

 

ガンプラ誕生までの道のりをご紹介させて頂きます。

 

バンダイ ロゴ

ガンダムへの道、史上初キャラクターモデルの誕生

この物語のはじまりは、その後ガンプラへと受け継がれてゆく、

国産初のキャラクターモデルの登場からはじまるんだ。

 

1960年、日本は高度経済成長の頂点を迎え、

 

所得倍増が流行語として大衆に活力を与え、若い女性を中心にダッコちゃん(タカラ)人形が世の中を彩った頃。

ダッコちゃん人形

 

カラーテレビの放送も始まり、

この大衆社会に押し寄せる経済成長といううねりの中で、

子供たちの娯楽社会にも変化の兆しが見えはじめていた。

 

この年、静岡を拠点に生まれた今井科学株式会社(53年創業)が国産プラモデル史上初のキャラクターモデル鉄人28号(60年)を発売したんだ。

 

鉄人28号 プラモデル今井科学

 

 

 

 

この作品の原作は月刊誌少年(光文社刊)に連載(56年7月~66年5月)されていた人気漫画で、テレビ(60年2月放映、実写の全13話)でも放映されていたんだ。

 

日本のプラモデル市場はまだ黎明期の中、しかも子供向け玩具といえば当時はブリキの玩具が主流の時代、

人気マンガをプラモデルで再現するというのは画期的な出来事だったんだ。

 

更に2年後の62年には

 

歩くプラスチックモデル

 

をキャッチフレーズに、ゴム動力ギミック付きのキャラクターモデル

鉄人28号や鉄腕アトム、ナガシマん、そしてロボット一家など

 

60年代を感じさせてくれるマスコットシリーズが発売されるんだ。

 

今井科学 マスコットシリーズ

やがてこのメーカーは、キャラクターモデルの先駆者として、

ライバルメーカーとは一線を画す、漫画キャラのプラモデル化という独自路線を展開してゆくことになるんだ。

 

今井科学

国産プラモデルの誕生

そもそも日本でプラモデルが誕生したのは戦後間もない50年代のこと

 

東京浅草で誕生したマルサン商店という玩具メーカーがアメリカ(レベル社)の精巧な飛行機、戦車、自動車モデルを輸入したのがその始まりなんだ。

マルサン商店

 

その4年後の58年には、いよいよ国産初のプラモデルが登場する。

 

それがアメリカの原子力潜水艦、ノーチラス号(マルサン商店)なんだ。

ノーチラス号 日本初の国産プラモデル

これを契機に現在も活躍する日本模型や田宮模型、長谷川製作所などの模型メーカーが続き、

 

ミリタリーモデルを中心に国内模型市場を隆盛へと導いていくことになるんだ。

 

そしてこの新しいプラモデルという遊びを後押ししたのがた軍艦や飛行機、戦車などの戦記ブームなんだ。

 

戦記ブーム 少年マガジン

 

今も昔も変わらず、少年たちはやはりメカが大好きなようで、

少年誌で紹介されていた戦艦や戦闘機、戦車は戦後生まれの子供たちに未知の乗り物に映り、少年たちをワクワクさせていたんだ。

 

戦記ブープ プラモデル

 

そしてロボットアニメーションのルーツともいえる作品が、この頃登場する。

 

それがこちらになります。

 

そうアニメ版(当時:テレビ漫画)が鉄人28号(フジテレビ系・江崎グリコが提供)が再びお茶の間に登場したんだ。

 

鉄人28号

 

物語の見せ場に鉄人と悪役ロボットの肉弾戦を盛り込んだ展開は、

実写版では表現出来ないロボットのスピード感や、漫画では得られない動くアクションを目の当たりにした視聴者を驚かせることに、

 

これに敏感に反応したのが、漫画を愛読していた中学生や高校の若者たちではなく、

 

その後第一次テレビ世代と呼ばれるようになる、低年齢層の子供たちだったんだ。

 

彼らから絶大な支持を得ることになるこのロボットキャラを

大人たちも黙って見過ごすわけもなく

 

スポンサーの江崎グリコをはじめとする菓子類をはじめ、

他社メーカーからも関連商品が次々と発売されることになるんだ。

 

そしてプラモデル業界で、このブームの兆しを察知したのが、

キャラクターモデルがお箱の今井科学なんだ。

今井科学 プラモデルメーカー

このメーカーは前回のモデルからパッケージを刷新し、再び鉄人28号(電動歩行ギミック内蔵プラモデル)を登場させるんだ。

 

鉄人28号

 

そしてこの商品展開は・・・

 

大当たり

 

テレビ放映と連動するようにこのプラモデルの人気が沸騰し、

やがて子供たちの間では、

 

キャラクターモデルならイマイ

今井科学 プラモデルメーカー

と言われるようになるんだ。

 

この商品の成功からこのメーカーは、市場でキャラクターモデルという新しいジャンルを確立させることに成功するんだ。

 

こうして機動戦士ガンダムまで受け継がれてゆく、ロボットモデルの系譜が始まる。

ガンダム プラモデル

当時の外国製のプラモデルといえば、少し懐の豊かなお父さんが、

お気に入りのモデルを自室に飾るという、ミニチュアモデルが主力商品の時代に、

プラモデル

一方で国内のプラモデルメーカーが売り出していたのは、

 

走る、光る、回る

 

というギミックが内蔵された動くプラモデルだったんだ。

 

そう、日本では海外のプラモデル文化とは違う楽しみ方の、遊ぶことを目的にしたモデルが支持されていたんだ。

 

タミヤプラモデル 戦車

 

しかし子供たちをターゲットにした業界の怖さを思い知る事態が業界を襲う

 

64年になるとあれほど盛り上がりを見せていた、戦艦や戦闘機、戦車の売れ行きが急激に落ちてゆくんだ。

 

そう、戦記ブームの熱気も衰え、

やがてプラモデル業界に冬の時代が訪れることになるんだ。

 

このブームの終焉から有力メーカーの倒産が相次ぎ、

先行き不透明な気配が業界内にたちこめる。

 

そんな中勢いよく前に突き進んでいたメーカーが存在していた。

 

それがキャラクターモデルを中心に商品展開を進めていた、今井科学なんだ。

今井科学 プラモデルメーカー

この頃子供たちが夢中になっていたものはこちら。

ウルトラマン

 

子供たちは戦艦や戦車などの戦記ものより、テレビで人気の商品を支持するようになり、

 

それはウルトラQをはじめとするやウルトラマンシリーズの影響から、後に第一次怪獣ブーム(66年~68年)と呼ばれるようになる社会現象が起こっていたんだ。

 

そんな時代の背景の中、玩具業界で少しずつ頭角を現し始めていた、バンダイにも模型業界への参入の機会が突然訪れる。

バンダイ ロゴ

バンダイ模型の誕生

子供たちをターゲットにした玩具業界が、

テレビで人気のキャラクターモデルに夢中になる状況を黙って見ている訳もなく

 

そん中、先陣を切ったのが、

製造メーカーとして生まれ、玩具業界最大の商品開発陣を擁し、技術力に定評のある

 

トミーなんだ。

玩具メーカー トミー

このメーカーはその高い開発力から、プラスチック製玩具の戦車(半完成品)を完成させ、プラモデル市場に送り出すことに成功する。

 

一方で同じ業界のタカラや米沢玩具(後のセガトイズ)などのその他の玩具メーカーは参入機会を窺うも、活路を見出せず依然として足踏み状態を続けていたんだ。

 

そんな中問屋業からスタートし、流通で強みを発揮するバンダイもライバルメーカーに遅れまいと虎視眈々と業界への参入を狙っていた。

 

そんなバンダイに、突然思わぬところから業界への扉を開ける出来事が訪れる。

バンダイ ロゴ

それはレーシングカーシリーズで協力関係にある模型メーカー・株式会社コグレが経営破綻(67年)に陥ってしまい

 

この時友好関係にあったコグレの意を受け所有していたプラモデルの金型を買い取ることになったんだ。

 

譲り受けた金型とは、外国車十数点(1/8スケール)とF1カーが3点ほど、

 

この絶好の機会にこのメーカーいち早く対応、
本社内に技術者2名、営業担当3名の計5名体制で模型部が発足されることになったんだ。

 

ここからバンダイのガンプラまで続く、長く険しいプラモデル業界での悪銭苦闘の戦いが始まる。

ガンダム プラモデル

そしてこのメーカーはコグレのノウハウを活かし商品化へと動き出す。

 

しかしプラモデル作りのノウハウが全く無いバンダイは、

当面の間、引き継いだ金型を商品の主軸として、頼らざる得ず、

だが将来を見通すと、自社開発モデルを生み出すことが不可欠だったんだ。

 

そこでコグレから引き継いだ商品ラインとは別に自社設計した、新規金型を用いて商品開発に挑戦することになるんだ。

 

そして翌年の春(68年)にはダイナミックシリーズと銘打ち、自動車モデルシリーズ(1/8・1/20スケール)を展開する。

 

手始めにスポーツカーとして人気のムスタングやフォードGTを発売、

模型メーカーとして歴史的な第一歩を踏み出すことに。

 

バンダイ ムスタング

 

フォードGT

 

しかし模型市場に参入した新参者のバンダイに対する業界の風当たりは決してよいものではなかったんだ。

 

おもちゃ屋に模型ユーザーを満足させられるだけの商品が作れる訳がない。

すぐに退散するのが関の山。

 

といった声が業界のあちらこちらから聞こえてくる。

プラモデル業界には

 

玩具屋は子供向けの商品づくり、我々は大人のための物作りをしているのだ

 

という意識が根強く、

玩具業界出身のバンダイとは、ものづくりの考え方に大きな隔たりが存在していたんだ。

 

そのためようやく立ち上げたばかりの、バンダイ(模型部)の営業マンは営業先の模型専門店で、店主にまともに取り合ってもらえない経験を嫌というほど味わうことに。

 

それだけに、バンダイ社内では模型業界に認められる自社開発商品の登場を待ち望んでいたんだ。

 

そして自動車モデルシリーズを展開してから二ヶ月後、

ようやく悲願の自社開発商品を発売することに、

 

それがイタリアの名車、アルファロメオなんだ。

この記念すべき第一号の商品の市場の評判はというと

 

バンダイ アルファロメオ

うーん、バリが多くて、品質は最悪。

ユーザーに作る気を起こさせられなければプラモデルとは呼べない。

極めつけは、

バンダイはおもちゃだけ作っていれば良いのだ

と快走が期待されたこの商品(アルファロメオ)は業界からNOを突きつけられ大失速、

 

店頭から2ヶ月ももたずに消えることになってしまうんだ。

この失敗からバンダイは

 

自社開発商品で市場を納得させることができなければ、一人前の模型メーカーとして認めてもらえない

 

とあらためて、この業界で生き残ることの難しさを実感させられるんだ。

 

空前のサンダーバードブームの到来

イギリスからやって来た、ミニチュアワークがブームを巻き起こす

一方で玩具業界に目を向けると、バンダイ玩具事業を飛躍させる大きな波がやってこようとしていた。

 

子供達の間では、遠いイギリスからやって来た人形劇がお茶の間で大ブームを巻き起こす、

それがこちらの作品

 

そう、67年後半から起きた空前のサンダーバードブームなんだ。

 

サンダーバード

この作品の関連商品を売り出そうとしていたのが、バンダイと今井科学だったんだ。

 

今井科学 プラモデルメーカーバンダイ ロゴ

 

両社は玩具を扱うバンダイプラモデルを担当する今井科学として共同戦線を張り、

サンダーバード人気を追い風にして急成長することになるんだ。

 

サンダーバード

 

この作品の成功がその後バンダイの方向性を決定する大きな分岐点となり

これ以降、商品の主軸をキャラクター商品を中心にしたメーカーとしての道を突き進んでゆくことになるんだ。

 

しかしミニチュアワークを使った特撮ものである、後続作品では、

二人三脚でブームの波に乗っていた今井科学との共同戦線が乱れることに

 

その作品とはこちらになります。

 

前作と同じミニチュアワークを使った特撮もののキャプテンスカーレット(68年放映)なんだ。

キャプテンスカーレット

プラモデルを担当している、今井科学は、

 

勢いに乗っている今こそ商品展開をもっと広げ攻めるべきだ

 

一方のバンダイは

 

確かに、ミニチュアワークモデルは、売れ行きが順調だが、
次の作品もヒットするとは限らない、ここは少しずつ商品を送り出し、
この先の販売状況によって、攻めるか引くかを見極めたほうがいいでは、

 

拡大路線を進める今井科学と慎重論を唱えるバンダイとの間に商品展開における方針に違いが生まれ始めていたんだ。

 

結局、この時の見極めの違いが両社の命運を決めることに。

 

今井科学 プラモデルメーカー

バンダイ ロゴ

二の足を踏むバンダイとは対象的に、今井科学は強気に攻め、

同時期にキャプテンスカーレットばかりでなく、マイティジャックのモデル化にも乗り出していたんだ。

 

マイティジャック

 

しかし社会の関心がこの年に開催されたメキシコオリンピックに集まる中、子供たちの興味も、また別のものに変化していた。

 

そう第1次怪獣ブーム(ウルトラQ・ウルトラマン)に熱狂した彼らの関心は特撮作品から、

 

黄金バットや、

黄金バット

マッハGoGoGo

マッハゴーゴー

巨人の星

巨人の星

サイボーグ009

サイボーグ009

 

などの、テレビアニメーション(当時:テレビ漫画)に注がれるようになっていたんだ。

 

特撮ブームは終わりを告げ、新たなアニメーションという新しい時代がやって来ていたんだ。

 

この余波から特撮作品は冬の時代へと突入し

時代の変化を読みきれなかった、今井科学は大きなダメージを受けることになるんだ。

今井科学 プラモデルメーカー

69年、バンダイ本社で重大な記者会見が行われようとしていた。

 

バンダイ ロゴ

その内容とは、

 

我社はこれまで協力関係にあった今井科学さんの金型及び生産並び販売部門をバンダイが引き継ぐことになります。

 

と発表されたんだ。

 

今井科学は過剰生産による大量在庫で経営に行き詰まり、資産を譲り渡すところまで追い詰められていたんだ。

 

とどめを刺したのは強気に挑んだキャプテンスカーレットとマイティジャックが不発に終わったこと、

 

キャプテンスカーレット

 

このメーカーは子供たちの関心の変化を見極めることが出来ず、

こうしてキャラクターモデルを開拓してきた先駆者が消滅し、
その資産をバンダイ受け継ぐことになるんだ。

 

1970年代、昆虫ブームがやって来る。

 

こうして激動の60年代が終わりを告げ、時代は万国博覧会で日本全土が沸き立つ、70年代に突入してゆく。

 

この頃バンダイ模型部は自動車モデル(ダイナミックシリーズ・1/20スケール)を中心に販路を開拓しようとしていたものの、
業界の壁は厚く、なかなか業績を伸ばせないでいた。

バンダイ ロゴ

 

そんなバンダイに思わぬ、救世主がやってくる。

 

もしかしたら、視聴者の中でも遊んだことがあるかもしれない、
この商品が登場する。

 

それが今井科学の金型を活かして投入された昆虫シリーズ(カブト虫・クワガタ虫・カミキリ虫のゼンマイ付き・350円・電動式650円)なんだ。

バンダイ 昆虫シリーズ

 

それは70年代の経済成長の中、子供たちの環境が大きく変化していたことが影響しているたんだ。

 

全国至るところで土地開発が進み、既に昆虫は都会の日常生活から遠い存在になっていた。

 

そういった社会環境の変化から、

 

カブトムシやノコギリクワガタが欲しいー

と夏休みに入る7月末から昆虫シリーズがにわかに子供たちの関心を集めていたんだ。

バンダイ 昆虫シリーズ

 

この昆虫シリーズは羽根を出して飛び立つように売れまくり、
市場参入で苦しんでいた、バンダイに業界での基盤を固めることを手助けすることになるんだ。

 

バンダイ 昆虫シリーズ

更にこの年にバンダイ・模型部にとって記念すべき商品が誕生する。

 

悲願の自社開発による新商品(新規金型)、国産車モデル(1/8スケール:マツダカペラ・ロータリー1600クーペ・カローラ1200クーペ)を発売することになるんだ。

バンダイ ダイナミックシリーズ 国産車

 

これまで自社開発モデルをなかなか評価されなかったバンダイが、
この頃から業界から認められる品質に達したとして、ダイナミックシリーズの人気が急上昇し始めたんだ。

 

この他にも堅調な売れ行きを見せる大型クラシックカーシリーズや帆船、武道シリーズなどを揃え、商品ラインナップは着実に厚みを増していくことに、

バンダイ 武具シリーズ

 

バンダイ 帆船シリーズ

こうしてコグレや今井科学の資産を引き継ぎ、業界での基盤を確保できたとして、

 

それまで本社の一部署にとどまっていた模型部門は、
晴れて一つの独立した会社として独り立ち出来るようになったんだ。

 

こうして71年”株式会社バンダイ模型”が設立されることになるんだ。

バンダイ ロゴ

特撮ヒーロー現る

新体制の下、ここで現在まで人気シリーズとして子供たちを賑わせることになるヒーローがブラウン管に登場する。

 

それは視聴者の方も子供時代夢中になった思い出があるかもしれない特撮ヒーローたち

 

そう漫画家、石ノ森章太郎先生原作の仮面ライダー(71年)が放映されたんだ。

仮面ライダー 初代

 

この夏に発売された仮面ライダーモデルは、この作品の人気に乗り大ヒット商品になるんだ。

 

口火を切ったのは、ゼンマイ走行の仮面ライダー(500円)。

 

バンダイ 仮面ライダー

 

ゼンマイボックスの取り外しが出来て、走らせても良し、飾っても良しといった遊びの両刀使いで斬新さをアピール

 

小サイズのマスコットモデル(仮面ライダーとバイクがセット・250円)は
仮面ライダーのマスク脱着式ギミックが遊び心を刺激し、

 

仮面ライダー マスコットシリーズ

 

更に両商品共にパッケージイラスト(箱絵)には空想絵画の巨匠・小松崎茂さんを起用する

仮面ライダー 小松崎茂

 

次々と入る注文数に対応するには社内の生産ラインだけでは追いつかず、協力工場と連携しながら月産8万個態勢で生産されることに、

 

そして発売から1年でゼンマイ走行仮面ライダーは2万個マスコット仮面ライダーは8万個を記録し、バンダイ模型の船出に弾みをつけることになるんだ。

 

これ以降もこのシリーズから仮面ライダーV3、X、ストロンガー、アマゾンとテレビ作品に連動しながら次々に商品を送り出し、

 

仮面ライダー V3 マスコットモデル

 

こうして、このシリーズはコレクションの充実度を益々高めてゆき、現在も続く大シリーズへと発展していくことになるんだ。

 

バンダイ 仮面ライダー X マスコットシリーズ

ちなみにこぺんぎんは、見た目がかっこいいという単純な理由で、仮面ライダーV3が一番好きでした。

こうして、バンダイ模型は、ダイナミックシリーズを手始めに昆虫シリーズ、仮面ライダーシリーズと着実に、プラモデル業界に地盤を築いてゆくことになるんだ。

 

一方で、実在するものをモデル化するスケールモデルの世界では、

大きな存在感を放っていたあるモデルメーカーが、新たなブームを作り出そうとしていた。

タミヤ ロゴ

今回はここまで
次回は、

 

巨人タミヤのジオラマブームの到来から、スーパーカーブーム、そして何故か懐かしいデコトラ(アートトラック)の誕生をご紹介させて頂きます。

バンダイ デコトラプラモデル

 

ご閲覧ありがとうございました。

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