シューティングゲームブームが到来、夏のハドソンキャラバン大会までの道のり
~スターフォースの登場~
ご視聴ありがとうございます。
今回のシリーズでは、ファミコンのシューティングゲームで連射ブームを巻き起こすきっかけとなった、
あのハドソンのキャラバン大会、そしてスターフォースの登場についてご紹介させて頂きます。
このページに関するYoutube動画も作成していますので、ご興味のある方は是非ご視聴下さい。
ファミコンのシューティングゲームブームは、
1985年に発売された、スターフォースの登場によって始まり、
翌年のスターソルジャーのリリースにより最盛期を迎えることになるんだ。
そういえば、この頃いつのまにか、すごい連射ブームの時代になっていたよね。
そうだね、この熱狂の火付け役になったのが、
やっぱり高橋名人と、夏のハドソンキャラバン大会だね。
懐かしいですね、高橋名人と、キャラバン大会
ということで、この動画では、
ハドソンがファミコンに参入してから
シューティングゲームブームが到来するまでの道のりをご紹介させて頂きます。
ハドソン、ファミコンに参入
1984年7月、ハドソンはファミコン初のサードパーティーとして
ロードランナーと、ナッツアンドミルクを発売するんだ。
1970年末から、パソコンのソフト開発をしていたハドソンにとって、家庭用ゲーム市場である、ファミコンへの参入は、
ハドソンの社長である工藤さんがみずから、銀行から借金を背負っての、まさに社運を賭けた、背水の陣での決断だったんだ。
このハドソンのファミコン参入については、同業者からわ、冷めた目で見られていて
1983年に開かれた、同業者が集まったパーティー会場では、とある、PCゲームメーカーの社長から
ハドソンさん、なぜ玩具屋のゲームなんか作るんですか。パソコンゲームのほうが儲かるでしょう
と言われるなど、この頃は、ソフトメーカーが、玩具市場に参入するなど、考えられないことだったんだ。
ところが、このハドソンの決断は大当たり、
記念すべきファミコンデビュー作の、ロードランナーは、100万本を越える大ヒット商品となり、
それまでのハドソンの年間売り上げを、このファミコンゲーム1本だけで超えてしまったほど
ファミコンの販売力は、すごかったんだね。
ハドソンのファミコン参入については、別のページで詳しく公開していますので、ご興味のある方は是非ご参照下さい。
そして、翌年の1984年の秋、
ハドソンの社内では、ファミコンゲームの3作目となる、バンゲリングベイの発売に向けて、
いかに販売促進をかけてゆくのかの打ち合わせが行われていたんだ。
この会議には、のちに子どもたちの人気ものになる、高橋名人こと、高橋利幸さんも参加していたんだ。
高橋さんは、ハドソンがファミコンに参入する、2年前の1982年に営業として入社し、翌年には、広報部へ移動して
ゲームソフトを販売促進する担当として働いていたんだ。
ハドソン社内での、販促会議
我社も、ファミコンに参入して1年になる、ロードランナーは、ミリオンセラーになり大成功、
そしていよいよ、3作目になるバンゲリングベイの発売だな。
ファミコンは、子供たちに大人気になりつつあるとはいえ、まだメディアで露出されることは、まだ少ない
確かにそうですねー、
子供たちの間では話題になっているようですが、まだ大きな盛り上がりになるまでは至ってませんからね。
そうだ、ファミコンは、まだ一般に知れ渡っているとわ言いきれない状況にある。
それに、新作のバンゲリングベイを広く認知させるためには、やはり媒体の力が必要になるだろう。
何か、子供たちに伝わりやすい露出方法を探さねばならない。
そうですねー、やはり子供たちに人気の媒体といえば、やはり漫画雑誌でしょうね。
なるほど、漫画雑誌かー
はい、特に少年雑誌はすごく人気がありますよ。
例えば、週刊少年ジャンプとか、コミックボンボンや、コロコロコミックとかですかね。
うーん、そうだな、まさに子どもたちにダイレクトに届きそうな媒体だな。
そうですね、漫画雑誌にファミコンの記事が掲載されれば、ブームの火付け役になるかもしれませんね。
ようし、少年雑誌に焦点を絞って、出版社に売り込みをかけるのだー
えー、大手出版社にですか?
そうだ、子どもたちに人気の雑誌に、我社のファミコンソフトが掲載されれば、売上に大きく貢献できるからな
というわけで、高橋くん、きみは、広報担当として漫画雑誌になんとか、我社のゲームを掲載してもらえるように、アプローチしてほしいのだ。
え、私がですか?
そうだ、今から東京の出版社にアポイントをとって、なんとか人気雑誌とのパイプをつくるのだ。
はい、わかりましたー。
ということで、ハドソンは、もっとファミコンの認知を上げ、そして新作タイトルの販売促進のために、漫画雑誌への営業活動をはじめるんだ。
この頃の、人気の少年雑誌といえば、
中学や高校生向けの雑誌としては、週刊少年サンデーや、週刊少年マガジン、そして週刊少年ジャンプなどがあり
おー、サンデー、マガジン、ジャンプ
一方で、小学校向けには、
小学館の月刊コロコロコミックや、講談社のコミックボンボンなどが人気だった頃だね。
ドラえもんなどが人気だった、月刊コロコロコミックは、1977年に創刊され、この雑誌に対抗しようと、1981年に講談社が創刊したのが、コミックボンボンだよ。
ハドソン、少年雑誌への売り込み開始
こうしてハドソンは、ファミコンの認知拡大と、新作ゲームタイトルの販促のため、出版社へ売り込みにまわることにしたんだ。
大手出版社のアポイントを取ることができた、高橋さんは早速、交渉に向かうことに
ハドソンと某出版社との打ち合わせ
この度は、○○出版社様、お時間を頂きまして誠にありがとうございます。
いえいえ、ハドソンさんこそ、わざわざ札幌からご足労をおかけして申し訳ございません。
なんでも、御社のゲームソフトを、弊社の雑誌に掲載してみてはどうかということで・・・
はい、現在、任天堂の発売しました、ファミリーコンピューターというゲーム機が、子供たちに人気なのですが
弊社も今年から、この家庭用ゲーム機のソフトを発売させて頂いていまして、お陰様で好調な売れ行きを示しているんです。
それで、来年発売する弊社のゲームタイトルを、御社のなんらかの企画に、お手伝いできればと思いまして、お時間を頂いた次第なのです。
ほー、たしかに子供たちの間で、そのゲーム機は話題になっているようですなー
なるほど、確かに弊社の読者アンケートにも、この家庭用ゲーム機についての要望が少しは来ているのですが・・・
しかし、うーむ、こまりましたなー
何か気になることがあるのでしょうか?
うーん、実は、御社のお売りになっている玩具業界は、人気のある時は大変勢いがいいのですが、
半年もするとすぐに、子供たちに飽きられてしまう業界ですからね。
うーん、弊社としては、このゲーム機については、本当にこれからブームになるのか、一時的な人気なのかを、まだ様子を見ている状態なんです。
なるほど
我々も、長年こどもたちを相手に、商売させて頂いてますから
やっぱり、子どもたちは、面白いものにはすぐ飛びつくのですが、飽きるのもはやいのが、この市場の難しいところなんです。
それはわかります。
しかし、この家庭用ゲーム機の人気はホンモノですよ、すぐに消えるような商品ではないと思うのですが・・・
うーむ、ハドソンさん、申し訳ないのですが、我々としては、
これが子供たちにとって、一時的な関心なのか、それとも大きなブームの流れなのかを見極めたいと思っているんです。
そうですかー
札幌からわざわざ、足を運んで頂いて恐縮なのですが、もう少し様子を見させて頂けると助かるのですが
はい、わかりました、残念ではありますが、また機会をみて、お伺いすることにします。
ということで、ハドソンは、東京の護国寺あたりの出版社や、小学館の隣にある会社など
少年雑誌の出版社をかたっぱしから売り込みに周ったんだけど、どの会社からも前向きな回答を得ることができなかったんだ。
ファミコンが発売されてから、1年後の1984年では、
まだ出版業界では、ファミコンの人気については、懐疑的だったってことだね。
コロコロコミックとの出会い
ハドソンは、出版社との提携が、なかなかまとまらない中、
高橋さんは、一縷の望みを託して、千代田区にある、子供雑誌として人気のあった出版社の打ち合わせに挑んだんだ。
小学館さん、わざわざお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。
いえいえ、わざわざごご足労を頂きましてありがとうございます。
なんでも、家庭用ゲーム機のキャンペーンを共同で企画したいという、ご用件ということで
はい、1年前に発売されました、家庭用ゲーム機の、ファミリーコンピューターは、今子供たちの間で、人気の商品となりつつあります、
弊社も、ことしからそのゲーム機のソフトを発売させて頂いておりまして、予想以上の好調な売れ行きを示しております。
そうですかー、ファミコンはそれほどの人気なのですね。
はい、そうなんですよ。来年の2月には、弊社から3作目となる、新しいゲームソフトを発売する予定なのです。
ほう、そうですか
御社の発行されています、コロコロコミックは、子供たちに人気の漫画雑誌です。
御社がターゲットとされています、低年齢層の子供たちが興味を示している、このゲーム機の話題を掲載できれば
御社の発行部数にも貢献できるのではないかと思いまして、お時間を頂いた次第なのです。
なるほど確かに今、ファミコンは子どもたちの間で、非常に関心の高い商品のようですね、
弊社の雑誌でも、読者からファミコンについての要望がよくはがきで送られてきていますよ。
そうですか
うーん、弊社も以前、スペースインベーダーブームの時には、ゲーム漫画が人気になりましてね、
しかし、去年丁度、連載が終わったばかりなのですよ。
御社の、ゲーム漫画は大人気でしたからね
ありがとうございます。そうですね、ゲーム業界では、インベーダーブームは終わりましたが、
弊社としましては、次のゲームブームは、この家庭用ゲームではないかと思っているんですよ。
ほんとですか
いやー、ハドソンさん、実は弊社でも、来年からファミコンに関する漫画を連載する予定なんですよ。
それは、好機ですね
はい、それでその漫画の内容は、主人公の少年が、強豪ゲームプレイヤーたちと、ファミコンで勝負を繰り広げるというような作品を企画中なんです。
それに、新ゲームの紹介や、裏技の紹介などの、特集ページを掲載してゆくことも考えているんです。
それでしたら、是非弊社に協力させて頂けないでしょうか
はい、こちらからも是非御社のような、ゲーム会社さんからのお力添えは頼もしいかぎりです。
ということで、複数の出版社にアプローチしたが断られ続けたハドソンだったけど
最後の最後に、子供たちから絶大な人気を誇った、コロコロコミックがファミコンに興味を示すことになったんだ。
この商談をきっかけにハドソンは、コロコロコミックとの協力関係を、1984年の秋から、スタートすることになるんだ。
ハドソンと、コロコロコミックとの、コラボが実現ー
このハドソンと、コロコロコミックとの出会いが、
その後のファミコンのシューティングブームへと繋がってゆくとは、
この頃のハドソンも、小学館も知る由もない。
なんで、この人気コミックが、ハドソンとのコラボに興味を示したの?
それは、丁度この頃、コロコロでは、あのスペースインベーダーブームの牽引役にもなった、ゲームセンターあらしの連載が、1983年に終了してしまい
そろそろ、新しいゲームマンガを立ち上げたいなー
と考えていたところなんだ。
そして、次に企画されていたのが、主人公の少年が、家庭洋ゲームでライバルたちと戦うという
ファミコンロッキーというマンガなんだ。
おー、懐かしいですね、ファミコンロッキー
この作品では、ハドソンの3作目のファミコン作品である、バンゲリングベイも題材にされていて
謎の大陸が浮上してくる、という内容で掲載されることになるよ。
1984年前後に人気だった、漫画たち
その他にも、1984年前後に、人気だった、コロコロコミックの漫画としては
少年サッカーマンガの、がんばれ!キッカーズや、
藤子不二雄先生の、プロゴルファー猿、
つるピカハゲ丸、チョロQを題材にした、ゼロヨンQ太
そして、当時のカンフーブームに乗った作品、ドラゴン拳などがあったんだ。
ライバルのコミックボンボンでは、
ガンプラブームの火付け役にもなった、プラモ狂四郎や、
ファミコンロッキーのライバル的作品になる、ファミコン風雲児などが人気だったんだ。
このように、アーケードゲームや、ガンプラ、ファミコン、チョロQ、そしてカンフーブームなど
その時代の流行りそうなものをいちはやく捉えて、題材にすることが、コミック雑誌にとっては大切なことなんだ。
それで、ファミコンが、ブームなりそうだと、察知したコロコロコミックが、丁度、訪問してきたハドソンと一緒にこの波に乗ろうとしていたってことだね。
そうだね、ということで、
編集部との打ち合わせから、コロコロコミックが、ファミコンに強い関心を示していることがわかり
高橋さんは、大手を振って、宣伝部の上司のもとに報告に行くことに
ハドソンとコロコロコミックとの専属コラボ
なにー、あの小学館が、我社との共同キャンペーンに前向きだとー。
でかしたぞ、高橋ー
ありがとうございます。
ファミコンは、ようやく人気が出てきたとはいえ、まだまだ世間では認知されていない。
コロコロコミックに掲載されるようになれば、多くの子供たちにファミコンの存在がもっと、知られるようになる。
そのためにも、このコラボは、必ず成功しなければならないー。
そうですねー
ということで、高橋
はい?
コロコロとやるからには、逆にコロコロとしかやらない方針でゆく
ということは、ハドソンは、コロコロコミック専属で、コラボするということですか?
そういうことだ
高橋、お前は明日から、毎日、コロコロコミック編集部に通うようにしろ
えー、ほかにも仕事がありますけど
ほかの広報の仕事は、俺が指示してだれかほかのものにまわす。絶対に、このチャンスを逃してわならないー。
毎日通って、小学館詣をおこなうのだー
はい、わかりましたー。
ということで、
ハドソンの高橋さんは、それから、約1年くらいの間、毎日、コロコロコミック編集部に通うことになるんだ。
ハドソンと、コロコロコミックのファミコンコラボ
こうして、成立したハドソンと、コロコロコミックとの協力内容としては、次の3点で展開されてゆくことになるんだ。
3点?
ハドソンとコロコロの新規の企画
そう、そのひとつは、新規の企画づくり
新規の企画づくり?
そう、これは、コロコロコミック誌面で、ファミコンを中心とした、マンガの連載をはじめることなんだ。
その後、ファミコン関連の漫画である、
ファミコンロッキーや、ファミコンランナー高橋名人物語、そしてファミコン少年団などが連載されることになるんだ。
おー、懐かしいですね、ファミコンロッキーや、高橋名人物語
ハドソンとコロコロによる、キャラゲーの制作、忍者ハットリ君や、ドラえもんの誕生
ふたつめは、コロコロコミックで展開されている、マンガのキャラクターを用いたゲームの制作だよ。
キャラゲーの開発ってことですね。
そうだね、その後、ハドソンから、
1986年に、忍者ハットリ君や、ドラえもんなどがファミコンから発売されることになるんだ。
この2本のゲームは、版権キャラクターのゲームとしては珍しく、評価の高い作品として知られているゲームタイトルだね。
そうだね、忍者ハットリ君は、キャラゲーとしては異例の、150万本も販売され、藤子不二雄作品のゲームとしては、最も売れた商品でもあるんだ。
ファミコン版ドラえもんの開発逸話
そして、ドラえもんについても、逸話があって
ハットリ君の大ヒットで、気を良くした、コロコロコミックから
ハドソンさん、ハットリ君も予想以上に売れたことですし、
この際、うちの看板キャラの、ドラえもんもゲームにしませんか?
ということで、あの人気キャラクターのゲームを、ハドソンが開発することになるんだ。
しかし、ハットリ君を超えるヒットと、高い完成度を求められた、ハドソンにとっては、
ドラえもんといえば、、藤子不二雄先生の代表作だろう、
これは絶対に失敗できないなー
ということで、ロードランナーの中本さん、ナッツ&ミルクの菊田さん、スターソルジャーの野沢さんなど
当時のエースプログラマー3人を、投入するという、異例の気合のいれようとなり、
しかも、この3人のプログラマーたちが別々に作ったものを、最後に合わせて完成させるという、贅沢な開発手法で完成させたのが
ファミコンのドラえもんなんだ。
つまり、ハドソンは、エース級のプログラマーを3人も投入して、
しかも、ゲーム3本分の労力をかけて、開発したってことですかね。
そうなんだ
ひえー、ハドソン、気合入れすぎですね
どらえもんには、ヒゲは片側ずつ、3本必要?
さらに、このドラえもんもゲームの逸話は、もうひとつあるんだ。
それは、どらえもんの開発中に、グラフィッカーが完成した、どらえもんキャラのドット絵を
原作者の、藤子不二雄先生に見てもらったところ
うーん、これでは、私のドラえもんとはいえませんねー
あのー、先生どのへんが、お気に召さないのでしょうか?
うーん、そうですねー、
やはり、ドラえもんのヒゲは片側ずつ、3本ないと、私のドラえもんとはいえませんねー
えー、このドット絵に、ヒゲを3本描くんですかー
と指摘されてしまい、当時のファミコンのドットサイズで、ドラえもんのヒゲを3本も表現するのは、かなりのむちゃぶり
しかし、原作者の声は、神の声
ハドソンのグラフィッカーは、二晩かけて、どらえもんキャラを何度も書き直すことで、なんとか仕上げることに成功するんだ。
うー、なんとか、ヒゲを3本書いてやったぞー
グラフィッカーは、のちに
二度と、ドラえもんの、ドット打ちの仕事はしたくないですーー
と言ったと語られているよ。
グラフィッカー、かわいそう
ハドソン、コロコロの新ゲームの紹介や、裏技の紹介などの誌面展開
そして、3っつ目が、新ゲームの紹介や、裏技の紹介などの誌面展開だよ。
このファミコンの裏技の紹介については、ハドソンとコロコロの間である約束が結ばれていたんだ。
約束?
そう、それは、ファミコンの裏技の紹介については、
子供たちに、そのテクニックについて、絶対に全部を見せてはいけない
というものなんだ。
ファミコンの裏技を全部は、見せないようにするってこと?
そうだね、これは、こどもたちのことを熟知している、コロコロだからこそ作られた、ハドソンとのルールなんだ。
コロコロが、子供たちの心理を熟知しているから?
そう、これは、裏技のテクニックはそのまま掲載しないで、秘密は半分隠しておくというもので
それは、子どもたちに見つける楽しみを残しておくためなんだ。
楽しみを残しておく?
そう、今のようにインターネットがある時代なら、ゲームの裏技が見つかると、すぐにネット上に広まってしまうけど、
この頃の情報源といえば
雑誌や、子供同士の、口コミによるものしかなかった時代だからね。
コロコロの担当者は、のちにこのように証言しているよ
あの当時は、子供たち同士の口コミが、最も重要な情報源でしたから
学校で、まだだれも知らないような、ファミコンゲームの裏技や、隠しキャラを見つけることができれば、
それだけでヒーローになれたんですよ。
だから、我々は、子供たちに、ヒーローになるための、芽を残しておきたかったんです。
それで、ハドソンさんとは、裏技や、隠しキャラについては、
なるべくすべてを見せないで、ほんわかとオブラートに包むようにしましょう、それが子供たちへの配慮です
という協定を結んだんです。
そういえば、あの頃は、裏技や、隠しキャラを知っている友達は、すごく重宝されたもんね。
今回はここまで、
次回は、ハドソンの全国キャラバン開催のきっかけとなった、コロコロまんがまつりから、高橋名人誕生までの物語をご紹介させて頂きます。
ご閲覧ありがとうございました。