ピザ史における「トマトとの出会い(16〜18世紀)」

ピザ史における「トマトとの出会い(16〜18世紀)」を詳しく解説します。 これは、イタリア料理全体の転換点でもありました。
1. トマトの伝来(16世紀)
1492年〜
コロンブスのアメリカ大陸到達以降、スペインが中南米からヨーロッパへ多くの食材を持ち帰る。
・原産地 南米アンデス高地〜メキシコ。
・アステカ文明では「トマトル(tomatl)」と呼ばれ、ソースや煮込みに使用されていた。
コロンブスのアメリカ大陸到達以降、スペインが中南米からヨーロッパへ多くの食材を持ち帰る。
・原産地 南米アンデス高地〜メキシコ。
・アステカ文明では「トマトル(tomatl)」と呼ばれ、ソースや煮込みに使用されていた。
16世紀中頃(約1540年)
スペイン経由でイタリアにも到来。 当初は観賞用や薬用植物として庭園で栽培され、「黄金のリンゴ(pomodoro)」と呼ばれる。
スペイン経由でイタリアにも到来。 当初は観賞用や薬用植物として庭園で栽培され、「黄金のリンゴ(pomodoro)」と呼ばれる。
2. 食用化の遅れと誤解(16〜17世紀)
・ヨーロッパでは、トマトはナス科植物の一種であり、毒があると誤解されていた。 特に、貴族の銀食器で食べると酸によって鉛が溶け出し中毒を起こすことがあり、「危険な植物」とされた。
・一部の地域では薬草的に少量使用されたが、一般的な食材ではなかった。
・一部の地域では薬草的に少量使用されたが、一般的な食材ではなかった。
3. 南イタリアでの受容(18世紀)
気候的適応
南イタリアの温暖な気候がトマト栽培に適し、生産量が増加。
南イタリアの温暖な気候がトマト栽培に適し、生産量が増加。
庶民の料理への導入
貧しい農民が、硬いパンや平焼きパンに潰したトマトを塗って食べるようになる。 これが後のトマトソース文化の始まり。
貧しい農民が、硬いパンや平焼きパンに潰したトマトを塗って食べるようになる。 これが後のトマトソース文化の始まり。
ナポリでの普及
トマト+オリーブオイル+ハーブの組み合わせが人気となり、18世紀末にはナポリの屋台で「トマトのせピッツァ」が販売される。
トマト+オリーブオイル+ハーブの組み合わせが人気となり、18世紀末にはナポリの屋台で「トマトのせピッツァ」が販売される。
4. ピザへの影響
・トマトの導入によって、ピザは単なる平焼きパンから「彩りと旨味を持つ料理」へ変化。
・酸味と甘味のバランスがチーズやオリーブオイルと相性抜群で、後の「マルゲリータ」誕生の土台を作った。
・酸味と甘味のバランスがチーズやオリーブオイルと相性抜群で、後の「マルゲリータ」誕生の土台を作った。
流れを年表で整理
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1492年 | コロンブス、新大陸到達。トマトがヨーロッパへ。 |
| 1540年頃 | スペイン経由でイタリアに到来。観賞用・薬用扱い。 |
| 16〜17世紀 | 毒の誤解により食用はほぼ普及せず。 |
| 18世紀前半 | 南イタリアで栽培拡大。庶民が食用化。 |
| 18世紀末 | ナポリでトマトピザが登場。 |
💡 まとめ 「トマトは新大陸から海を渡り、南イタリアの陽光を浴びて、ピザの魂となった。」
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