守護代

織田 信安

織田信行を織田家の後継に支持したため織田信長と浮野で交戦、敗れる。実子・信賢らに居城から追放された。その後も斉藤義龍を頼り信長に対抗した。

長尾 晴景

長尾為景の長男。父の死後に家督を継いだ。しかし、病弱で武将としての器量に欠けたため、越後守護・上杉定実の調停によって弟・謙信に家督を譲った。

神保 長城

神保長職の子。父の死後、家督を継ぐ。しかし、長城が家督を継いだ頃には、神保家の実権を小島職鎮が完全に掌握していたため、名目だけの家督であった。

朝倉 景紀

朝倉家の臣。朝倉宗滴の子。父と共に一向一揆討伐の大将となる。将軍・足利義昭が朝倉家を頼ってきたときは、居城・敦賀城に義昭を迎え入れた。

三好 康長

三好長慶の叔父。「笑岩」の号が有名。信長の上洛軍に敗れ、臣下となる。阿波讃岐の国衆を多く信長方に誘引した。本能寺の変後は、豊臣秀吉に従った。

三好 義興

三好長慶の嫡男。六角家や畠山家との合戦に勝つなど、三好家の後継ぎにふさわしい働きをしたが、22歳で急死した。松永久秀に毒殺されたという説がある。

三好 政勝

三好政長の子。三好長慶と争った。長慶の死後は、三好三人衆と和解した。のち織田信長に降り、摂津国に所領を与えられた。

浦上 宗景

浦上村宗の子。兄・政宗と骨肉の争いを続け、また赤松・尼子の侵入を受けながらも備前での支配権を拡大。しかし、家臣の宇喜多直家によって国を追われた。

十河 一存

三好長慶の弟。讃岐十河家を継ぐ。讃岐衆を統率して畿内を席巻し、世に「鬼十河」と恐れられた猛将。有馬権現に参詣途上、落馬したけがにより死亡した。

尼子 国久

尼子晴久の叔父。新宮党の中心となって尼子家の繁栄を支えた。尼子家弱体化を狙った毛利元就の謀略により、主君・晴久に疑われ、その軍勢に討たれる。