守護

岩城 貞隆

佐竹義重の三男。岩城常隆の養子となり家督を継ぐ。関ヶ原に出陣せず、徳川家康に所領を没収される。大坂の陣に本多正信の下で参加、1万石を与えられた。

伊達 実元

実元の越後上杉家への入嗣における父・稙宗と兄・晴宗の意見の対立が、のちに「天文の大乱」へと発展する。乱後は晴宗に仕え、主に外交面を担当した。

佐竹 義堅

佐竹義昭の重臣。家政を取り締まった。1566年、那須資胤を攻めたが高瀬で敗れ、冶部内山で降参した。

佐竹 義憲

佐竹家一族で、「北殿」と呼ばれた。主君・義重の三男・貞隆が岩城家に入嗣した時、その付き人として随行、岩城家の家政を執行した。

佐竹 義久

佐竹家一族。石田三成と交際があり、三成を通じて豊臣秀吉とも親しかった。関ヶ原合戦の時に佐竹家が西軍に属したのは、このつながりが一因とされる。

千葉 邦胤

下総佐倉城主。千葉胤富の子。妻は北条氏直の養女。1585年、怨みを抱いた側近に殺害された。

千葉 重胤

千葉邦胤の子。父が家臣に謀殺されたため、原若狭入道の補佐のもと、北条家の人質となった。しかし、北条家が滅亡すると、豊臣秀吉に所領を没収された。

葛西 晴胤

葛西家14代・晴重の次男。兄・守信とその養子である晴清(伊達稙宗の六男)が共に早世したため、葛西家15代となる。将軍・足利義晴の偏諱を受けた。

佐竹 義昭

佐竹家17代。陸奥南部にて白河結城家を降し、常陸国の覇権を巡って小田家と争った。北条家に圧迫された上杉謙信が援兵を頼んできたとき、これを拒んだ。

仁科 盛信

武田信玄の五男。兄・勝頼に信頼され、信濃の要衝である高遠城を任される。信長軍が信濃に侵攻してくると、高遠城に篭もる。大軍にはかなわず、自刃した。