国人

上田 朝直

初め扇谷上杉家臣。のちに北条氏康の武蔵進出に伴い、その家臣となる。他国衆の1人となり武蔵松山城を預けられ、城下町の経営に尽力した。

九戸 実親

南部晴政の娘婿。南部信直との家督争いに敗れ、宗家に反逆。信直の要請を受けた浅野長政、蒲生氏郷ら豊臣軍に対し、兄・政実と共に応戦したが、敗死した。

多賀谷 政広

結城家臣。佐竹家や宇都宮家へ使者として赴くなど、おもに外交面で活躍した。また、徳川秀康の結城家入嗣を取りまとめ、秀吉にその功を賞せられた。

上田 憲定

北条家臣。父・朝直や兄・長則と同様に松山の城下町経営に努め、新市場を建設した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に敗れ、行方不明となった。

黒川 晴氏

大崎家の親族であったが、伊達家の勢力下にあった。1588年、大崎家に内紛が起こると突如として伊達家を裏切り、伊達政宗と果敢に戦った。

多賀谷 重経

早くから織田信長、豊臣秀吉に接近し、小田原の役に参加。秀吉に所領を安堵された。しかし、結城家への服属命令にへそを曲げ、文禄の役に出陣しなかった。

成田 長泰

山内上杉家臣。主家滅亡後は上杉謙信に属する。しかし、謙信が鶴岡八幡宮に参拝した際、非礼を働いたとして謙信の怒りを買い、その後は北条氏に属した。

白石 宗実

伊達家臣。政宗に従い、数々の戦場で武勲を立てる。蘆名家との一大決戦・摺上原の合戦では、伊達成実と共に伊達軍の主力として奮戦した。

皆川 広照

北条家と争ったが、和睦して従属。小田原合戦で徳川家康に降り、関ヶ原にも参加したが、幕府開設後、改易された。

清水 康英

北条家臣で、伊豆衆の1人。氏康子飼いの家臣として各地で活躍した。豊臣秀吉の小田原征伐の際は、伊豆下田城に篭城し防戦するが、敗れて謹慎した。