国人

中条 藤資

揚北衆の1人。早くから長尾為景に従って、越後守護・上杉房能や関東管領・上杉顕定の打倒に貢献した。80余歳で川中島合戦に出陣し、感状を受けた。

池田 長正

池田信正の子。父が細川晴元によって自害させられると、家督を相続した。一時は摂津西部に覇を唱えたものの、のちに三好長慶に従った。

浅利 勝頼

浅利則祐の弟。自害した兄に代わって十狐城主となり、安東愛季と抗争した。桧山城で愛季に謀殺された。

沼田 顕泰

上野国沼田城主。関東に出兵してきた上杉謙信に降伏した。のち、末子・景義を後継にせんとし、長子・朝憲を殺害。家中の反発を買って会津に逃亡した。

延沢 満延

最上家臣。大力の士で、最上義光と力比べをした時に、桜の幹に掴まった義光を離そうとして引っ張ったところ、幹廻り二尺程の桜が裂け倒れたという。

鈴木 重則

真田家臣で、上野名胡桃城城代。北条家臣・猪股邦憲の奇襲を受けて敗北、自刃して果てた。この事件が豊臣秀吉に小田原征伐の口実を与えた。

仁賀保 挙誠

由利十二党の筆頭。文禄の役では肥前名護屋城に駐屯。会津征伐で功を上げ、徳川家康から感状を授かった。関ヶ原でも東軍に属し、所領五千石を安堵された。

沼田 祐光

津軽為信の軍師。縦横無尽の活躍で、為信の津軽地方統一に多大な功績を残す。最後まで裏方に徹し、ひたすら津軽氏のために力を尽くした大柱石である。

蛎崎 季広

蛎崎家第四代。祖父や父が苦しめられたアイヌとの親睦を図り、蝦夷商船往来の制を定めた。この政策により、蝦夷地の領主としての地位を確立した。

江戸 忠通

常陸国江戸家の当主。常陸国の覇権をかけて佐竹家と抗争を繰り広げたが敗れ、1551年には和議を締結、佐竹家に臣従した。