武将

由比 正雪

江戸で軍学を講義していた浪人。門弟は四千人に昇った。徳川頼宣の名を利用して浪人を集め、幕府転覆を企むが未然に発覚し、駿府で自害した。

徳川 光圀

頼房の三男。「黄門漫遊記」で有名であるが、実際には関東から出たことはなかった。全国から学者を招き、歴史書「大日本史」を編纂した。

鍋島 光茂

勝茂の四男・忠直の嫡男。父が天然痘のため23歳の若さで死去した事により、祖父の命で後継者の地位を得た。祖父の死後、正式に肥前佐賀藩を継いだ。

津軽 信牧

為信の三男。幼少の頃キリスト教の洗礼を受けた。父の死後家督を継ぎ、奥州弘前藩二代藩主となる。弘前城を築城し、藩の基礎を固めた。

松前 公広

慶広の嫡孫。父・盛広の弟・由広と家督を争った。幕府から正式に嗣子として認められ、祖父の死後、2代藩主として松前藩を継いだ。

天草 四郎

本名は益田時貞。キリスト教の信者で、島原の乱の首謀者。原城に篭城し、九十日間に渡って幕府軍に頑強に抵抗し続けたが、力尽きて討たれた。

松平 信綱

大河内久綱の長男。徳川家光に仕えて小姓から老中にまで出世し、「知恵伊豆」の異名を取った。島原の乱では総大将を務め、鎮圧に成功した。

宮本 武蔵

独自の剣法「二天一流」を創出し、生涯六十六回の試合で無敗を誇った剣豪。晩年は細川忠利の客分となり、書画を嗜み禅に親しみながら「五輪書」を著した。

土井 利勝

水野信元の子。徳川家康の落胤という説もある。徳川秀忠・家光に仕えて老中・大老などを歴任、江戸幕府の基盤安定に多大な功績を残した。

柏山 明助

明吉の次男・明宗の嫡男。初め葛西家に従うが、主家の没落後は南部家に随身。和賀一揆の鎮圧などで活躍したが、その豪勇を恐れた主君・利直に毒殺された。