武将

加藤 忠広

清正の次男。父の死後、藤堂高虎の後見を受けて肥後熊本五十四万石を継ぐ。若年のため家臣団を掌握できず、後年、幕法違反のかどで除封された。

加藤 明成

嘉明の嫡男。父の死後、家督を相続するが資質凡庸のため家老と対立。出奔した家老を成敗することはできたが、その代償として陸奥会津四十万石を失った。

細川 忠利

忠興の三男。兄二人が廃嫡され、家督を継ぐ。肥後加藤家が改易されたため小倉より熊本に移り、五十四万石の大封を得た。島原の乱にも参陣。

大久保 忠教

徳川家臣。通称彦左衛門。自らの理想の武士像を描いた「三河物語」を遺す。後世、その頑固一徹さから講談の主役となり「天下の御意見番」と呼ばれた。

筧 十蔵

真田十勇士の1人。筧十兵衛または筧金六郎がモデルと思われるが、明らかではない。10人の員数を揃えるための架空の人物とも言われる。

渡辺 守綱

徳川家臣。初陣より各地を転戦、「槍の半蔵」の異名を取る。関ヶ原合戦の際は旗本として参陣。尾張徳川家の家老となり、当主の義直を補佐した。

由比 正雪

江戸で軍学を講義していた浪人。門弟は四千人に昇った。徳川頼宣の名を利用して浪人を集め、幕府転覆を企むが未然に発覚し、駿府で自害した。

天草 四郎

本名は益田時貞。キリスト教の信者で、島原の乱の首謀者。原城に篭城し、九十日間に渡って幕府軍に頑強に抵抗し続けたが、力尽きて討たれた。

鍋島 光茂

勝茂の四男・忠直の嫡男。父が天然痘のため23歳の若さで死去した事により、祖父の命で後継者の地位を得た。祖父の死後、正式に肥前佐賀藩を継いだ。

浅野 長晟

長政の次男。兄・幸長の死後、紀州三十七万石を継ぐ。大坂夏の陣では塙団右衛門を討って功を立てた。福島正則の改易後、安芸広島に移封となった。