槍名人

高田 又兵衛

高田流槍術の祖。宝蔵院胤栄に槍術を学んだ。大坂の陣で豊臣秀頼に味方したため戦後浪人、江戸で道場を開く。後に豊前小倉藩主・小笠原忠政に仕えた。

上泉 信綱

もとは上野国の土豪で、長野業正・業盛に仕えた。愛洲陰流を学び、これに創意を加えて新陰流を創始。主家滅亡後は武芸修行に出て、天下一の剣聖となった。

亀井 茲矩

因幡鹿野城主。尼子家家臣であったが、その滅亡後、豊臣秀吉に従った。九州征伐、小田原城攻め、文禄の役などに従軍して軍功を立てる。

前田 慶次

前田利久の養子。出自は滝川家という。戦国一の傾奇者。槍を使えば天下無双、風雅の道にも造詣が深かった。上杉景勝の将・直江兼続の下、会津遠征に参加。

前田 利家

信長に仕え、数々の戦で軍功をあげた。羽柴秀吉の親友で、信長の死後は秀吉に仕える。1598年、五大老の1人となるも、翌年、大坂で病死する。

本多 忠勝

「家康に過ぎたるもの」と謳われたほどの武勇の士で、徳川家四天王の1人。名槍「蜻蛉切」を手に50回あまり戦い、傷の1つも負わなかったという。