旧仏教

芳賀 高武

宇都宮広綱の三男。芳賀家を継ぐ。兄・国綱の片腕として活躍した。宇都宮家改易後は、伊勢内宮にたびたび主家再興の願文を奉納したという。

沼田 顕泰

上野国沼田城主。関東に出兵してきた上杉謙信に降伏した。のち、末子・景義を後継にせんとし、長子・朝憲を殺害。家中の反発を買って会津に逃亡した。

大宝寺 政氏

1462年、出羽守に任ぜられた大宝寺澄氏の後を継ぎ、羽黒山の別当をも兼ねた。大宝寺家はこの羽黒山の権威を利用し、勢力を拡大した。

大宝寺 澄氏

義氏の父。大宝寺家の興りは、藤原姓武藤氏が大泉荘地頭となったことに始まるもと大泉姓を名乗り、長盛の代に出羽に下り居住して以来、大宝寺を名乗った。

大宝寺 義興

義氏の弟。義氏の死後、家督相続。1587年に上杉家臣・本庄繁長の次男を養子とするが、同年、最上義光に攻められ自害した。

佐野 房綱

下野唐沢山城主。豊臣秀吉に従って小田原城攻めに軍功を立て、下野唐沢山三万九千石を安堵された。晩年は天徳寺了伯と号した。剣術の達人であったという。

宇都宮 興綱

宇都宮家第20代。初め芳賀家に養子に入っていたが、宗家の甥・忠綱を倒し、自ら宇都宮家当主となった。その後家臣の芳賀高経と対立し、討たれた。

大宝寺 義氏

出羽庄内地方の豪族。合戦に明け暮れ領政を顧みず、領民からは「悪屋形」と呼ばれ憎悪された。最後は家臣に反乱されあえなく自害した。

北条 幻庵

北条早雲の三男。北条五代を生き抜き、北条家の長老として君臨した。文人としても知られ、「幻庵おほへ書」という輿入れの際の心得書を著した。

相良 武任

大内義隆の信頼を受け、大内家中における文治派の筆頭となる。武断派筆頭の陶晴賢と対立し、筑前に出奔。篭城した花尾城を晴賢の兵に囲まれ、自刃した。