武将

正木 頼忠

父・時忠が北条家に服属した時に、その人質となる。里見家への帰参後は勝浦城に在城した。紀州徳川家に仕える子・為春を頼って紀伊に行き、そこで死去。

里見 義康

義頼の子。安房館山城を築城した。豊臣秀吉の小田原征伐軍に従軍、上総は没収されたものの、安房一国の安堵を得て、里見家の存続に成功した。

簗田 晴助

古河公方・足利晴氏の重臣。晴氏が北条氏康に幽閉されると、晴氏の子・藤氏を擁立。公方家を守るため、上杉謙信、武田信玄らと随時結んで北条に抗戦した。

千葉 昌胤

千葉利胤・胤富の父。千葉家は、源頼朝の鎌倉幕府創設に関与した常胤以後の下総国の名家であるが、戦国初期の動向については詳細不明。

原 胤貞

千葉家臣。1561年、里見家臣・正木時茂に敗れて臼井、小弓城を奪われた。しかし、第二次国府台合戦で里見家が敗れると両城を奪還し、面目躍如した。

千葉 邦胤

下総佐倉城主。千葉胤富の子。妻は北条氏直の養女。1585年、怨みを抱いた側近に殺害された。

千葉 重胤

千葉邦胤の子。父が家臣に謀殺されたため、原若狭入道の補佐のもと、北条家の人質となった。しかし、北条家が滅亡すると、豊臣秀吉に所領を没収された。

正木 憲時

安房国里見家臣。正木時茂の養子。1580年、謀反して安房を攻めたが敗れ、家臣に暗殺された。

正木 時忠

里見家臣。里見家の合戦にはほとんど参加し、戦功を重ねる。しかし、第二次国府台合戦の後、正木家の存続を考えて北条に寝返る。晩年には帰参を許された。

里見 義頼

兄・義弘の子である梅王丸を出家させ、里見家の家督を継承する。北条家と内通して謀叛を起こした正木憲時を大多喜城に滅ぼし、上総を平定した。