武将

竹中 重門

半兵衛重治の子。豊臣秀吉・徳川家康に仕える。関ヶ原合戦では黒田長政隊の道案内を務め、戦後小西行長を捕らえた。歌道・文筆に長じ、「豊鏡」を著した。

一柳 直盛

豊臣家臣。小田原攻めで戦死した兄・直末の後を継ぐ。関ヶ原合戦では東軍につき、功を立てる。大坂の両陣にも参戦した。後に伊予西条に加増転封となった。

伊藤 盛正

豊臣家臣。父・盛景の死後、家督を相続して美濃大垣三万四千石の城主となる。関ヶ原合戦で西軍に味方したため所領没収され、その後は前田利常に仕えた。

有馬 則頼

播磨赤松家の支流。豊臣秀吉に仕える。毛利氏攻め、九州征伐、朝鮮出兵など大きな戦いに常に従軍。秀吉の死後は徳川家康に仕えて関ヶ原合戦に参加した。

池田 利隆

輝政の嫡男。「姫路宰相」と呼ばれた父の死後播磨、姫路五十二万石を継ぐ。後わずか三年で急逝。継母・督姫が実子・忠継を後継とするため毒殺したという。

市橋 長勝

豊臣家臣。九州征伐、小田原攻めに参陣する。関ヶ原合戦では東軍に味方して、大坂の陣にも従軍。その功によって加増され越後三条四万千石余を統治した。

加藤 貞泰

光泰の嫡男。豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では東軍に味方して島津勢と戦い、水口城を攻略する。大坂の陣でも武功を立て、戦後伊予大洲城主となった。

池田 光政

利隆の嫡男。徳川家光より一字を賜る。備前岡山三十一万石の藩主。儒学を奨励して学校を興し、また領民の生活向上に努めて岡山藩政の基礎を固めた名君。

川上 久朗

川上忠克の子。島津家の看経所に名を残した武将の一人。弱冠18歳で島津義久に守護代に推されたほどの才幹の士であった。菱刈家攻めで戦死した。

松田 満久

尼子家臣。白鹿城主を務めた。同城は月山富田城への食糧搬入の重要拠点であったため、毛利元就軍の最初の標的にされる。40日間の篭城戦の末、自害した。