武将

岩城 宣隆

佐竹義重の四男。多賀谷家の養子となり宣家と名乗る。改易後は兄・義宣に仕えた。後年、佐竹宗家の継嗣となった岩城義隆の代わりに岩城家の家督を継いだ。

正木 為春

頼忠の嫡男。徳川家康に仕える。妹のお万が徳川家康との間にもうけた子・頼宣が紀州和歌山に移封されたとき、その家老となって紀州に移り住んだ。

小笠原 信之

酒井忠次の三男。伊那小笠原家当主・信嶺の妻を娶り、養子となる。養父の死後家督を継ぎ、武蔵本庄城主となった。後に下総古河に加増転封となった。

酒井 忠勝

家次の嫡男。将軍・徳川秀忠より一字を賜る。父の死後家督を継いだ。信州松代を経て、1622年に出羽鶴岡に加増転封され、城下町などを整備した。

小笠原 政信

信之の嫡男。父の死後家督を継ぎ、下総古河藩二万石の2代目藩主となる。後に下総関宿二万七千石に加増転封された。板倉重昌の娘を妻に迎えている。

岡部 長盛

正綱の子。徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いなどで活躍。関東入国の際、下総に所領を与えられた。後に丹波亀山などを経て美濃大垣五万石を領した。

内藤 家長

徳川家臣。弓の名手で、三河一向一揆攻めなど多くの戦いに参加し、武功を立てる。関ヶ原合戦で鳥居元忠とともに伏見城の守備にあたり、奮戦したが戦死。

酒井 家次

忠次の嫡男。徳川家康に仕え、一字を賜る。家康の関東入国の際に下総碓井城主となった。大坂夏の陣で活躍し、その功によって越後高田に加増転封となった。

松前 公広

慶広の嫡孫。父・盛広の弟・由広と家督を争った。幕府から正式に嗣子として認められ、祖父の死後、2代藩主として松前藩を継いだ。

秋田 俊季

実季の長男。勘気を蒙り蟄居処分を受けた父の後を継ぎ、常陸宍戸藩2代藩主となる。人柄は律儀で、懸命に幕府に奉仕した結果、加増され陸奥三春へ移った。