武将

喜入 季久

島津家一族。所領である喜入の地名をとり、姓を島津から喜入に改めた。義久の家老として各地を転戦。その功により後に薩摩鹿篭山之城主となった。

穴山 小助

真田十勇士の1人。幸村と同年で、体つきも似ていたために、大坂夏の陣では幸村の影武者として徳川勢に突撃する。徳川方の原隼人に討ち取られたという。

蒲生 秀行

氏郷の嫡男。「家中不和」を理由に会津九十二万石から宇都宮十八万石に減封されたが、これは実母・冬姫が秀吉の側室になるのを拒否したからともいわれる。

望月 六郎

真田十勇士の1人。望月甚左衛門または望月卯兵衛がモデルと思われる。望月家は信濃の名族・滋野三家の一つである。大坂夏の陣で活躍したと言われる。

浅井 井頼

真田十勇士の1人。真田家譜代の臣・禰津小六がモデルと思われる。大坂夏の陣では、幸村の影武者として出陣。「われが幸村なるぞ」と奮闘したという。

海野 六郎

真田十勇士の1人。海野小平太がモデルと思われる。海野家は真田家の本家の出自である。大坂夏の陣では、他の十勇士たちと共に活躍した。

川上 久朗

川上忠克の子。島津家の看経所に名を残した武将の一人。弱冠18歳で島津義久に守護代に推されたほどの才幹の士であった。菱刈家攻めで戦死した。

猿渡 信光

島津家臣。主に肥後・肥前方面で活躍した。沖田畷合戦では一軍の将として出陣し、龍造寺軍壊滅に貢献する。豊臣秀吉の九州征伐軍との戦いで戦死した。

種子島 恵時

種子島家第13代。島津忠良・貴久親子に従い、数々の武功を立てた。種子島に漂着したポルトガル船から鉄砲を入手。いわゆる鉄砲の伝来をもたらした。

種子島 久時

種子島家第16代。兄・時次の早世により家督を継いだ。島津家に従い小田原攻めや朝鮮の役などに参加、鉄砲隊を巧みに操って武名を轟かせた。