武将

島津 以久

忠将の子。耳川の戦いで戦功を立てる。1603年、関ヶ原合戦で戦死した島津豊久の旧領を継ぎ、日向国佐土原三万石の初代藩主となった。

龍造寺 高房

政家の嫡男。父が病弱のため隠居した後家督を継ぐが、佐賀藩の実権は鍋島直茂に握られていた。後に自殺未遂を起こし半年後死去、化け猫騒動の伝説を生む。

堀 忠俊

秀治の嫡男。父の死後越後福島藩を相続し、徳川秀忠より松平姓と一字を賜る。後に藩政を巡る御家騒動が発生、「大国を支配する器量無し」と改易された。

堀 直竒

直政の次男。堀秀治・忠俊に仕える。堀直次の追落しを企み、直次の僧侶殺害を徳川家康に訴える。結果、直次と忠俊は改易され、自らも減封された。

赤座 直保

別名吉家。豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦では大谷吉継軍として西軍に属していたが、決戦時に朽木元綱らと東軍に寝返った。戦後、所領を没収された。

藤田 信吉

武田家旧臣。武田家滅亡後は上杉景勝に仕え、佐渡攻略などに従事。関ヶ原合戦の直前に上杉家を出奔、上杉・徳川間の調停工作を行うが失敗し、剃髪した。

津田 信成

豊臣家臣。小牧・長久手の合戦・小田原攻めなどに参陣。関ヶ原合戦では東軍に属して戦った。後に京都市中における集団暴行の罪で改易となった。

北条 氏盛

氏規の嫡男。北条宗家滅亡後、豊臣秀吉より下野に四千石を賜る。父の死後、徳川家康より河内狭山の遺領七千石を安堵され、河内狭山藩初代藩主となった。

木下 利房

家定の次男。豊臣秀吉に仕える。関ヶ原合戦で西軍に属したため所領没収となるが、後に大坂の陣で功を立て、備中足守二万五千石の領主に任じられた。

新庄 直頼

豊臣家臣。摂津高槻城主を務める。関ヶ原合戦では西軍に属し、伊賀上野城を占拠するが、戦後改易され蒲生秀行預かりとなる。後に常陸麻生三万石を領した。