武将

片桐 且元

賎ヶ岳七本槍の1人。秀頼の後見人に指名され、豊臣家存続のため奔走するが、家康への内通を淀殿に疑われて大坂城を退去した。大坂落城後、間もなく死去。

大久保 忠世

徳川家康に独立前から従い、弟・忠佐との連係で多くの軍功をあげる。清貧剛直の士である一方、一度背いた家臣の復帰を家康に取りなす寛容さも備えていた。

宇都宮 国綱

豊臣秀吉の小田原城征伐軍にいち早く参陣し、旧領安堵の朱印状を受ける。しかし、1597年に豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれて改易処分を受けた。

芳賀 高定

宇都宮家重臣。幼主広綱を補佐し、宇都宮家中に絶大な権力を持つ。しかし、高定はあくまで主君に忠節を尽くし、宇都宮家のために戦ったという。

正木 時茂

安房里見家の臣。二度の国府台合戦をはじめ、里見家の戦いにはほとんど参加し勇名を轟かせた。特に槍に長じたため、「槍大膳」の異名をとった。

北条 氏照

北条氏康の子。北条家中随一の武勇をもって兄・氏政を助け、北条家の北関東攻略の要となって活躍した。小田原開城後秀吉の命により兄と共に切腹した。

林 通勝

織田家筆頭家老。織田家の家督争いでは信行方であったが、許された。しかし、その後さしたる働きもなかったため、信行擁立の件を蒸し返され、追放された。

佐久間 信盛

織田家の臣。冷静沈着で殿軍の指揮を得意とし「退き佐久間」と呼ばれた。本願寺攻めの不手際により19箇条の折檻状を叩きつけられ、追放された。

村井 貞勝

織田家の臣。信長の上洛後、京都所司代に任命され、京都の諸事を奉行する。他方、安土城築城などにも貢献した。本能寺の変の際、二条御所で信忠に殉ずる。

森 可成

早くから織田信長に仕え、清洲城奪回や桶狭間の合戦などで武功を上げた。近江宇佐山城を守備中に浅井・朝倉連合軍に攻められ、戦死した。