武将

滝川 一益

信長麾下の猛将として転戦し、武田家攻めでは抜群の軍功をあげる。しかし、本能寺の変後、北条軍に大敗して清洲会議に参加できず、失意のうちに病死する。

佐々 成政

信長の黒母衣衆として活躍。本能寺の変後は、羽柴秀吉に最後まで抵抗するも降伏、肥後に移封となる。その後、国人一揆が発生し、責任をとって自刃した。

池田 輝政

織田信長の近習として武功多数。信長没後は豊臣家に仕えるが、関ヶ原の合戦では東軍に属した。その後、徳川政権下で播磨国姫路53万石に封ぜられる。

堀 秀政

織田信長の側近。各地で軍功を重ねる一方で徳川家康の饗応役も務め、文武の両面にその才を発揮した。信長死後は豊臣秀吉に臣従、一門同様の待遇を受けた。

加藤 嘉明

賎ヶ岳七本槍の1人。生来ものに驚く事がないという沈勇の士で、焼け火箸をそれと知らずに握り、手から煙が立つのも平気で話をしたという逸話がある。

片桐 且元

賎ヶ岳七本槍の1人。秀頼の後見人に指名され、豊臣家存続のため奔走するが、家康への内通を淀殿に疑われて大坂城を退去した。大坂落城後、間もなく死去。

大久保 忠世

徳川家康に独立前から従い、弟・忠佐との連係で多くの軍功をあげる。清貧剛直の士である一方、一度背いた家臣の復帰を家康に取りなす寛容さも備えていた。

宇都宮 国綱

豊臣秀吉の小田原城征伐軍にいち早く参陣し、旧領安堵の朱印状を受ける。しかし、1597年に豊臣家内部の権力闘争に巻き込まれて改易処分を受けた。

芳賀 高定

宇都宮家重臣。幼主広綱を補佐し、宇都宮家中に絶大な権力を持つ。しかし、高定はあくまで主君に忠節を尽くし、宇都宮家のために戦ったという。

正木 時茂

安房里見家の臣。二度の国府台合戦をはじめ、里見家の戦いにはほとんど参加し勇名を轟かせた。特に槍に長じたため、「槍大膳」の異名をとった。